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東国と蝦夷を分かつ「みちのおく」の入口 白河の関跡

白河の関跡。
那須高原を越えると山路になる。既に関東平野の面影はない。その道に入っていく先にあるのがこの関跡。
古代律令制の頃に作られ、東山道の蝦夷と東国とを分かつ境界として機能した。下毛野から先は、みちのおく。畿内からみて最奥の道だった。それが道奥になり、陸奥国となる。


平安時代、律令制が機能不全になり、この関も忘れられることとなる。それを思い出していたのが、歌詠の人たちだ。西行が詠み、芭蕉が詠んだ。
僕らが白河の関を知っているのは、歴史書や史跡ではなく、彼らが遺した詩によるものだった。



静かな関所を抜け、湖に出会う。白河の名主が愛した日本初の公園だ。
みちのくは、当たり前だけど東国とまるで雰囲気が異なる。それはもちろん地理的要因だし、関所の設置も地形に沿っている。



みちのくへの入り口は、この道だけではない。常陸国から勿来関そしていわきへ行く道。日本海から酒田に上陸する人たちもいたそうな。
いわきは古代には当時最大の製鉄が営まれていたし、文化は日本海側からも伝わっていった。



帰りには那須黒磯SHOZO CAFEへ。そこでみつけた星野道夫の文章が、松尾芭蕉の「旅を住処として」と重なる。

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