この土地は、決して「豊かさ」だけではない 狭山市『子返しの図』
狭山にある『柏原白鬚神社』には、不気味な絵馬が奉納されている。女と、その隣には鬼が、同じ構図で描かれている。
神主さんに聞くと、これは江戸末期に描かれた「子返しの図」だそうだ。
子返しとは、間引きや子消しのことだ。この地域でも、貧しさゆえにそうせざるを得なかった時代がある。
享保の大飢饉は1732年、天明の大飢饉が1782年から87年まで、天保の大飢饉は1833年から39年まで。加えて重い年貢がのしかかり、幕末の農村風景は荒廃していた。
この絵馬には、子返しを戒めながらも、貧しさへの同情を現している。当時の人たちは、この絵を非常なリアリティを持って眺めていたのだろう。
この子返し図は、この地域だけで描かれたわけではない。柳田國男は、利根川沿いに住んでいた頃、村の地蔵堂で同じような子返し図をみた。その絵馬に衝撃を受け、その経験が経世済民の民俗学を興す大きな動機になったという。
武蔵野は、決して「豊かさ」だけではない、生きるのに必死な人たちが開拓してきた土地でもある。