豊かにめぐるお寺へ 〜小野山 浄慶寺坊守 中島千晴さん〜
私が感じたあなたを切り取り綴るshutter
ご依頼者様と対談、感じたことやそのかたのストーリー、今伝えたい想いをお聞きして言葉にさせていただいています。
今回のshutterは、おかわりshutter。最初の対談から約半年を経て、さまざまのチャレンジと体験をされた今をお聞かせてくださいました。
京都の小野山浄慶寺で坊守としてお務めされている
中島千晴さんです。
昨年3月に、京都で初めてお会いして対談した千晴さん。
理学療法士になり、海外に憧れて飛び出した先のカナダで出会ったのは、自分の国のことを知らず話せずだった自分自身。
だからこそ、もっと日本を知るんだと帰国した先で出会ったのが、住職でもある旦那様だった千晴さん。
以来、京都の地で小野山浄慶寺で坊守(浄土真宗ではお寺の奥様をこう呼びます)として、3人のお子さんに恵まれ、四季折々のお寺でのお勤めをされています。
とはいえ長らくは、
「お寺の坊守なら○○でなければ」
「お母さんならこうであらねば」
さまざまな、「こうあるべき」という、自らに課したルールの中で、一人の女性として楽しみたい自由を、どこか禁じて、ご自身を縛っていたかもしれない千晴さん。
もっと自分として、一人の女性として、母親という役割や、お寺の坊守という役割から自由になった私としても、生きる時間があっても良いのかもしれない・・・・
そんな思いになった時に、縁あってエントリーしたのが、京都着物ランウェイ。
日本の伝統的民族衣装である着物を、自分で着れるようになろう。そして、着物自分で着た時の、晴れやかな気持ちそのままに、人生も生きよう。華になろう。
それを体現する着物姿でランウェイを歩くイベントに、
「一人の女性」として、「中島千晴」として、新たな挑戦をされた千晴さん。
私が主役になって、日本の華になると、女性として美しく生きる姿を目指し、ランウェイを主役になって歩いた、千晴さん。
それは、大きな「解放」であり「開放」で、ご自身への「許可」だったそう。
一大イベントを終えて約半年たった千晴さんの、今、そして思い描くこれから。
今回の対談は、千晴さんのお住まいでもあり、お務め場所でもある、京都の小野山浄慶寺で。
前回、一人の女性としての私を書いて欲しい、と私服でいらしていた千晴さんは、今回は、僧侶の姿でいらっしゃいました。
4年前に、娘さんと一緒に得度(出家をして僧侶となるための儀式)をされた千晴さん。
初めてお会いした時よりも、自信から生まれる安定感のようなものを感じたのは、気のせいではなく、千晴さんが「今ここにいる」ことを心が大きく受け止めているから、だったように思います。
早速、お話をお伺いしました。
私たちは、自分の人生を豊かにしたいと誰もが願うし、そして、しあわせでありたい、しあわせになりたいと、願います。
だけど、縛ってしまうのですよね。自らを。
例えばそれは、立場や年齢、性別で。
なんて。
実は、世界にそんな絶対的なルールはなくて、誰もに「自由にしあわせに豊かになる権利」は十分与えられているのに
自分の中の「こうでなければいけない」という価値観が、自分を縛り、責めてしまう。
こんなことしたらいけないよね。と。
着物ランウェイに出られる前の千晴さんは、まさにそんな感じだったそう。
誰も、そんなことを禁じてはいないのに、その思いが千晴さんを縛り、窮屈にさせていた。それが、着物ランウェイに出て、世界が広がり、今までには出会ってこなかった人たちにも出会って、
自分の中の枠が広がったそうです。
そう、許せた。
きっかけは、経済的にとても豊かに、幸せに生きている女性に出会ったこと。
ご自身でも事業をされ、ご自身がまず豊かになり、そうして、周りの人や、社会の人の豊かさのために、ご自身の経済力をたっぷりと循環させて生きている姿をまのあたりにした時に、「稼ぐこともお金を得ることも、決して悪いことではなく、豊かに幸せになるためには必要善だ」ということに気づかれたそう。そして、千晴さんご自身は、ずっとどこかで「お寺の人間だから、お金を欲しがったりしてはいけない」と思っていたことも。
一人の人との出会いを通して、お金や、豊かさに関する価値観や思い込みがぐるりと変わったそうです。
とはいえそれはすんなりと変わったわけではなく、欲とは何か、お金をいただくってどういうことなのか・・・・仏教の教えと照らし合わしながら、考えた時間も、あったそうで。
そうして、行き着いた先は
そう、「許せた」のでしょう。
自分の中に、「思ってはいけないこと」を抱えている時、私たちにはある種の苦しみが伴います。
こんなことを思っている自分がいけないんだ、という、言葉にならない、心の責め、自責があると、
望む気持ちと望むことを禁じて責める気持ちの狭間の綱引きで、身動きが取れなくなり、それは想像以上に日々の言動に影響する重りとなって、人生のスピードを遅くします。
思っていることを「思ってはいけない」と戒めながら、でも、本当は思っている、そんな自分がいけないんじゃないかと責める苦しさ。
そこに使うエネルギーは案外大きくて、日常でそうした些細な自責に多くのエネルギーを浪費しているのが、人間の一側面でもあります。
それを実際にどうするかは別として、まず、願うこと、思うことはいいし、それがあなたの本当のありのままの気持ちなら、その気持ちは、あっていい。
だからと言って千晴さんがいきなり「坊守、稼ぎます!」と何かを大きく始めたわけではないけれど。
こんなこと思ったらダメだと思っていたことに、許可が出たら、思いがけず、「豊かさ」へのイメージが、自由に軽やかに、広がり出して、千晴さんのこれからのイメージも、一気に広まり始めたようです。
日本より、海外に憧れて。
出かけた先で、日本のことを知らなすぎる自分を突きつけられて。
もっと日本を知ろう、と帰国して
出会ったお寺の住職さんと結婚して。
お寺の奥様・・・坊守になって、お務めと子育て、家事に尽くして。
もっと、一人の女性としての自分も見てみたい、と世界を広げて。
そうして新たな経験をされて、
妻の自分も
お母さんの自分も
坊守の自分も
ただ、千晴としての自分も
全てが私としてあっていいのなら、と
もう一度、改めて見つめ直す、千晴さんの日常。
坊守として、得度した僧侶としての毎日
母親として、妻として生きる私がいる、このお寺での日々。
私もお寺の坊守でも豊かになりたいし、なっていいのだとしたら、
私はどんな豊かさを、この自分の足元で、広げていきたいんだろう。
4年前に、僧侶になるための得度を終えた時。
いただいた言葉が忘れられずにいるという千晴さん。
僧侶になったら、たくさんのお務め・・・法要や、日々の行事があるから、それを務めなければと、
僧侶としての「仕事」に目が向いていた千晴さんに授けられた言葉は
「教えを説き伝えること」でした。
浄土真宗の教えを、生きるために大切な教えを、人々に教え説くこと。伝えること。
それこそが、僧侶の大切な「務め」だと。
この言葉に、千晴さんは、ハッとしたそうです。
大切な役割を、私は授けられたのだと。
浄土真宗は、日本に数ある仏教の中でも、多くの人に親しまれ、なおかつ、戒律が優しい仏教として、有名です。
厳しい修行をする必要はなくて、浄土真宗は、この世界に生きるあらゆる人のためのもので、そこには、仲間外れを作りません。
どんな立場の人でも、どんな状況にあっても、あなたはあなたのままで大丈夫。人間は、どうしたって欲があり、欲を無くして生きることなんて、そうそうできません。
やっぱり、感じるものは感じるし、欲しいものは欲しいのです。
だから。
修行ができなくても、欲があっても。煩悩に悟りがひらけなくても。
ありのままのあなたを、阿弥陀如来様がまるまると認めてくれているし、見守ってくれている。
だからこそ、手を合わせる私たちは、「阿弥陀様にお任せします。委ねます」という気持ちを込めて、「南無阿弥陀仏」と唱える。それが浄土真宗です。
さらには、浄土真宗では、お亡くなりになった人は、すぐ、お浄土に行かれます。そう、この世に魂が残るという概念がない。
だからこそ、浄土真宗では、亡くなった人やご先祖さまに手を合わせるのではなく、阿弥陀如来様に、手を合わせます。
ありのままの私で生きることを、あなたに委ねます。と、自分の力を超えたものに委ねる気持ちと、見守られている感謝とともに。
どんな人も、ありのままに。そして、そのありのままで、幸せに、そして豊かに。あなたがあなたの望みのままに生きることを、見放したりしない。あなたはあなたであれば、大丈夫。
これをしたためているライターである私の実家も、浄土真宗です。
身内が亡くなった時の法要では、
「もう亡くなった人は元気にあちら(お浄土)に行っちゃったんだから、いいんだよ。律儀に仏壇に手を合わせる暇があったら、あなたが今日を幸せに生きなさい。それでいいんです。あなたがね、幸せになるんだよ。大丈夫なんだ。」
そう教えてくださり、浄土真宗について、深く学んだことがなかった私は、なんとおおらかで優しく温かい教えなのだろうと、改めて感銘を受けたことがあります。
誰もに居場所を与えてくれるし、誰のことも責めることなく、「あなたがあなたとして幸せであれ」と
そのことをどこまでも大切にしているのだろうなと。
今回、shutterを通して、同じ浄土真宗の坊守の千晴さんと出会えたことは、私にとっては、とても縁深い出来事の一つでもあります。
この、浄土真宗の教えを説いて伝えていくために。
お寺をもう一度、この時代に合った地域のコミュニティにしたい。
それが今千晴さんが願っていること。
以前の檀家さんで賑わっていた時代の良さは残しつつも、それを檀家にならないといけない、とか、必ず続けないといけないとか、そういった「制度」にするのではなく
強制のない共生社会を、お寺に作りたい。
それが千晴さんが今描いている、お寺の未来のイメージ。
学校帰りには、お母さんがお仕事をしている子どもたちがやってくる。
おじいちゃんおばあちゃんが、ちょっとお茶をしにやってきていて、
昔の遊びや学びを教えてくれる。
子どもは、おじいちゃんたちのおしゃべりの相手にもなって。
不登校の子が、お寺にひょいとやってきて、子どもたちの面倒をみてくれたり。
お寺の行事の時には、お料理が好きで作りたい人たちが、その都度集まって、みんなでできることを差し出し合いながら、御斎を用意する。
年末の大掃除や年越しの準備も、子どもも大人もやってきて、できる人ができることをする。
みんなが、無理なく、自分にできることを、差し出しあい、自然と喜びと豊かさ、笑顔や幸せが巡る、そんな場所に、「地域の寄り合いになるような真ん中」にこのお寺を育てたい。
そして、もしそこに、お金という豊かさが必要とされるならば、それを喜びとともに投資できるくらいの自分でもありたい。
自分としても豊かになり、そして周りの人と、あらゆる豊かさを、渡し合い、生み出しあい、受け取りあって、巡っていく、そんなお寺コミュニティ。
そしてそこには、浄土真宗の教えが、ありのままで、あなたのままで大丈夫それを基本にした教えが自然と染み渡り、そこに、千晴さんがいる。
私は、そんな場所に、ここをしたいんです。と。
聞いているだけで、楽しくなるような、ワクワクしてくる、千晴さんの夢。
私も、その中に入って、一緒にお料理したり、お寺のお掃除、してみたい。
役割を、させられていると思うと苦しいけれど。
でも、授かった役割の中で、私たちもまた生かされているのだと、
そんな心で自分に与えられた「今」を大切に思うことができたなら。
私たちの毎日、今ここにある、全ての役割も、日常も、あたたかく大切なものとして、育っていく気がします。
余談ですが
過日、私の父が亡くなった時にも、千晴さんが、助けてくれました。
京都と、千葉。離れていても、今やSNSのメッセージツールを使って、浄土真宗ならどうしたらいいのか、お寺さんとの今後のことなど、いつも気にかけてくださり。
さらには。
亡き人を案じている人が
亡き人に案じられている。
そんな言葉があるのですよ、と教えてくださり。
身近な存在を・・・それも、親という、ある意味人生で、もっとも影響力が大きく、もっとも愛してくれて、最も愛を求めて、もっとも、ワガママにもなり、近いからこそ、素直になれない時もあった、そんな大きな存在を亡くしてしまうと、残された人の心はつい、「もっと、○○できたんじゃないか」そんなことを、思ってしまいます。
もっと、優しくできたんじゃないか。
もっと、親孝行したらよかった。
お父さんは、幸せだったのだろうか。と。
でも、そうじゃない。
亡き人を案じているあなたを
今は亡きあの人が、案じて・・・心配してますよ。
だから、亡くなった人を心配する必要なんて何にもないんです。
そんな言葉を授けてくださり、どれほど救われ支えられたことか。
今まで、何かの宗教を深く信仰したことはないし、浄土真宗といえども、そうなんだ、とあっさり受け止めるくらいのものでしたが、
私は千晴さんとのやりとりを通して、改めて、昔々の時代から、人がその生き方や心を見つめ続け、得てきた、学び・・・・仏教というもの、浄土真宗の教えの深さに、心を打たれました。
まさに
千晴さんが、自然と、教え説いてくださった。
素敵だなぁと。
これが、僧侶という人の、あり方であり、お務めであるなら、なんて素晴らしいことだろうかと、思いました。
身近なところに、困った時、救いを求めたい時に、すぐ、頼れる場所がある。
それが、誰の身にもあったなら、世界は安心と平和に包まれる気がします。
千晴さんがこれから目指す世界は、きっと、そうなっていくのではないかと。
だから、これからがとても楽しみです。
千晴さん、この度は本当に、ありがとうございました。
また、浄土真宗のお話も、聞かせてください。^^