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圧倒的他者視点の魅力ライターします。までの道のり。


ご来訪ありがとうございます。

魅力ライターあそゆかです。

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いろんな方の魅力や、その人との対談を通して気づいたことを紹介させていただくにつれて

あの取材はどうやっているのか
どうしてこのスタイルのライターになったのか

そんなご質問をたびたびいただくようになりました。


そもそも私は、ライターになりたかったのかというと。。。。

実はそうではなくて。

周りの人からのご要望で、ライターにさせてもらった、と言うより、散々モジモジしながら、やっと、ライターします、と自分で引き受ける気持ちが整った、と言う方が正しいかもしれません。

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気づけば、私という人のこと、なぜライターになったのか、それも、代筆でもなく「圧倒的他者視点」「私からみたあなた」で、つまりは「あそゆかワールド全開で遠慮なく直球で感じたままに書く」という、ちょっと変わったライターになったのか、お伝えしてなかったので今日からここでそのストーリーを綴ってみることにしました。


さて、一話で終わるのか、続くのか。それすらもわかりませんが、始めます。


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子どもの頃から本を読むことと作文がとても好き。お習字は幼稚園に入るか入らないかの頃から、自宅で祖母に教わり始めました。

私の人生は、祖母の影響がとても大きいようです。もともと才女でお嬢様の出の人。ところがお母様が早くに亡くなり、後妻できた継母によくしてもらえず、学校に行けなくてとても悔しい思いをした、だからあなたは勉強をしなさい。立派ないい女になりなさい。そう言って、今思えば本当に様々な教養をその生き方で見せ、そして与えてくれたように思います。

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実家の廊下。この先の洋間は、祖母が自分の部屋が欲しいと、勝手に頼んで増築したそう。笑 

自宅にはお習字用の机があって、まだ小さかった私の後ろから、祖母が一緒に筆を握ってくれて、こうやって書くんだよ、と教えてくれたことは、おそらく私の最も古い記憶の一つ。

そのうち書道教室にも通うようになり、毛筆も硬筆も習い、高校1年生にして師範代試験に合格。作品展に出す時などは週に2回3回と教室に行ってさまざまな言葉、文章を書く。お手本の文字や言葉、その意味を読みながら、何度も何度も書く日常。習字用の万年筆がとても好きで、文字を書けることそのものが喜びでした。

その万年筆は今でも愛用中。どこの文房具屋さんでも売っているような安いのものですが、軽くて、持ちやすく、書き心地が滑らかで極細字が書ける万年筆としては、ダントツの使いやすさです。極細字で、今のところこの万年筆にかなう書き心地のものは、出会っていません。人生で出会えてよかったものは何かと聞かれたら、私はこの万年筆をまずあげるでしょう。

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「字は綺麗に書きなさい」「字の上手い人に悪い人はいない」「字はその人を表す」 これは祖母から何度も何度も言われた言葉。だから、字を綺麗に書くことは、もう私の習慣であり、宿命?みたいなもの。そしてやっぱり、綺麗に字が整っていると嬉しいし、とても気持ちが良い。反対に字が乱れていると、非常に居心地悪く、あぁ、心も乱れているのかもしれない、そんなことを思っては、自分を振り返る癖があります。

祖母は読書家でもあって、本好きな私にはいくらでも本を与えてくれました。スポンジが水を吸うが如く、私は日々日々どんどん本を読み、読み終わったら「次のが欲しい。」もう読んだの?!と呆れられた記憶があります。

日常の遊びの中には、カルタや花札、百人一首もあり、いろんなうたを詠みました。祖母が好きなうた、母が好きなうた、それぞれにあって、意味はよくわからないながらも、百人一首の言葉のリズムの心地よさ、その言葉と絵から想像しうる、世界観、そう言ったものに触れてきた他、花札の言葉のリズムもとても好き。猪鹿蝶、このたった3文字の中にも世界がある。そんなふうに感じて過ごしていました。

与えられた環境の中で、ごくごく自然に言葉と触れ合う機会がかなり多い・・・いわば、「言葉の被曝量が多い」そんな生活をしていました。

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お稽古事も多かったので、お友達と遊んだ記憶があまりなく、もしかしたら「言葉が友達」だったのかもしれません。

小学校の時には、先生が文章力を見出し、作文指導を熱心にしてくれ、コンクールに入賞したり。アナウンサーになりたいと、放送委員になったことも。こちらはしゃべる方ですが、それでも「原稿を作ること」が好きだった記憶があり、何かと言葉に縁があったように思います。

学校では成績はずっと優秀でいい子。私に様々な教養を与えてくた祖母が常々「あなたはブスだから、成績くらい良くないとダメ」だから優秀であること、女の子でも大学くらいは行きなさいと、折に触れて言ってたこと、そして私はそれを、当たり前のようにまるまる信じていました。笑

だからいつも勉強をすることになんの疑問もなかったし、塾にも通い、いつもたくさん問題を読み、それを解いて、小中学校では常に成績上位を保ち、高校は進学校へ。ところがここで


「なんで勉強ができないといけないのか」


これがさっぱりわからなくなってしまった。

なぜなら、私の理由は「おばあちゃんがそう言うから。」「頭が良くないとダメ」だったから。笑

「ブスなんだから勉強くらいできるようになりなさい」「大学くらい行きなさい」その言葉にふとに疑問を感じて「どうして?」と初めて自分の目で問いを持ち、世界を見てみたら、意味不明だった。

勉強が出来なくてはいけない理由が、もっと言うと、成績上位でいなければいけない理由が、どこにも見当たらなかった。

生きるってなんだろう? 

15歳にして生まれた疑問。

そこから急に、勉強をしない高校生活が始まります。それでも続けていたのが、本を読むこと。

中学生で初めて出会ったよしもとばななのTSUGUMIに「こんなにも人の心に静かながらも訥々と布石を落としてゆく表現があるのだろうか」と感激を受け、以来彼女の本を次々と読み漁りました。中でもキッチンは最も好きな作品の一つ。

あの本を読んで、心に絶望の影が落ちてしまった時、私もきっとキッチンで静かにその心を癒そうとするのだろうなと、そんなことを思ったものです。言葉と、その言葉を綴る人の織りなす世界観の美しさ、もっと言うと「誰も悪者にすることなく、世界をそっと包み込む、どこまでも控えめでどこまでも深い優しさ」にあんなにも見惚れたのは、おそらくよしもとばななさんが、初めて。今でも、自分がわからなくなった時、孤独を感じた時には、キッチンを読み返すし、彼女から感じた世界観・・・誰も悪者にすることなく、読む人にあたたかく深い優しさや安堵、気づきを、と言う願いは、私が今文章を綴る上で、もっとも大事にしていることの一つです。

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勉強を全くしなくなって、「おばあちゃんがそう言うから」と言う世界を離れて自分の世界を見たら、どうしていいかわからないし、自分の進路さえわからない、選べない、なんとなく流されるように日々が過ぎていく、そんな状態でも、国語の成績だけは全国上位レベル。

なんで、現代文だけこんなに成績がいいんだろう。当時の私自身でさえ不思議に思っていたことでした。


いろんなことがあったけど、言葉の持つエネルギーや、言葉が人にもたらしてくれるもの、そう言うものを私はいつも感じてきていたし、いつも、「誰かの言葉から、その人の気持ちや背景を感じては想像すること」時にはそれをしたため表現すること。それは私にとってはごくごく自然なこととして生きてきました。

でもそれは当たり前すぎて、私にとっては息をしてるのと同じくらいのものだったので、それが好きだとか特質だなんて、一度も実感したことはありませんでした。

なんで?みんな書けるでしょ?読み解けるでしょ?

どうしてみんなは作文が書けないんだろう?なんでわからないんだろう?

どうして、感じないんだろう?

ずっとそう思ってきたけれど、今にして思えば


なんであなたは感じるのよ、書けるのよ。


だったのでしょうね。笑


子ども時代に、圧倒的言葉の被曝量があったこと

言葉と字と言うものに、深く密接に関わってきたことは

今の私の、大きな土台になっていることは、どうやら確かなようです。


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そうして大人になった私にとっての、言葉とは生きるとは、はまた次の記事でしたためることにします。

  

今日もお読みいただき、ありがとうございます。よき1日となりますように。


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