見出し画像

圧倒的他者視点の魅力ライターします。までの道のりを書き切ったら、圧倒的な自分で生きていきたくなってきたような編集後記。

ここに来てくれて、ありがとうございます。魅力ライター、あそゆかです。

画像1


今年から始めたライティングサービス

私が感じたあなたを切り取り綴るshutter

画像2

こちらの記事を作るごとに、いろんな方から、ライターとしての私について聞かれるようになり、改めて、ライターとしての私ができた道のりを、この二日にわたってぎゅっと、全出しして書き上げました。

いやもう、出涸らしです。笑


自分の中をぐりんと掘り下げて、掘り起こして、荒削りながらも出し切った、そんな気分。

そうやって書いた全5話を何度も読み返してみたら


私、けっこう頑張って生きてきたな。


そんな気持ちにふとなり、涙がじゅーじゅー出ました。

うん、頑張って来たよねぇ、と。


と、同時に、こんなにも私自身の気持ちをぐりぐりに出して、アツ苦しいほどに書き上げた時に、私は初めて自分の輪郭に触れたような気持ちになりました。

そう、これが私だ。私なんだ。と。


画像3

いろんなことの中で、いろんなこと感じて、それがいいとか悪いとか、器用とか不器用とか、その私が、素敵とか素敵じゃないとか、、これがよかったとかダメだったとか、そう言うことじゃなくて、そうやって進んできた全部が私だよなぁ、と。

そうしていろんなことを体感して来た私だからこそ、今願うこと、望むあり方を感じられるし、そうありたいなって思える。

(とはいえ、やっぱり、もうちょっと平和的な境遇でもよかったじゃないか、くそー、とは思っちゃうものです。笑)


揺らぐことのない自分の本心、その片鱗に触れた時、私は確かな自分を感じることができました。


〜 自分がわからない 〜


私もよく思っていたし、そしてまた、そう言う人をたくさん見かけます。

自分のことって、ほんとわからないよね。って。


でも、それはもしかしたら、

自分がわからなくなるくらい、自分の本音をほったらかして生きてしまっているってことのかもしれない。

本音が、わからなくなってるのかもしれない

そんな感覚になりました。

なぜなら。

自分の心の奥底からの本心を知って、そのままに生きていたら

きっと、誰かや何かに頼って自分を知りたい、自分を確かめたい、なんて思わない。

だって、私が自分でその本音に触れているのだから。

それこそが、私の輪郭だから。

それを、体感できているのだから。

そんな気持ちになりました。

   

画像4


どうしたら、みんなが仲良くなれるんだろう

どうしたら、分かり合えるんだろう

何が、私たちの答えになるんだろう


そう思っては家族の中でいろんなことを自分の内側でずっと考え続けて来ていた、人生の前半戦。

自分は、誰かを笑顔に、幸せにすることができない、そんな無力さを感じた日々は決して短くなくて、その非力さや至らなさにフォーカスしていた時間がとても長かった。

だからこそ、いろんなことに頑張って、自分を認めたかったし、認めてもらいたかった。

ずっと、「誰かの笑顔」を願って、どうしたらいいんだろうって考えていたし、母や父、そして祖母が、心から笑えていないのに、それがいつも気になって、自分だけ好きに生きることに、罪悪感がどこかで拭えないままでいました。

そうやっているうちに、誰かの気持ちに対するセンサーはどんどん磨かれ、それが今、私を生かすための一つの長所、素質になっている一方で

自分のことは、事故や自爆テロを起こしながら、やらかしながらでないと、「あ、私ほんとはこうしたいんだ」わからない、という、なんとも本末転倒な生き方をして来た(今もしてるかなぁ)な気がします。笑


そんな私の生き方を変える大きなきっかけになったのは、長女の誕生。

彼女は、まぁ・・・・感情と口が直結しているような人で、自分の気持ちをいつも世界にどぱーん!!と表現する。赤ちゃんの時から。他人の事情なんてお構いなし。家だと特にそう。

私にとって彼女のその生き様は、こんなに感情をまるまる出すなんて狂気のようだったし、当初は理解に苦しみました。

でも、それこそが、気持ちを、本音を出していいんだって言うことこそが、実は当たり前のことであり、私がしてこなかったこと、なのですよね。笑

長女の子育てを通して、私はやっと、誰かのためではない自分の本音を感じて出すと言うこと、その練習?をさせてもらえて、以来18年、まさに、事故や自爆テロを繰り返しながら、背負ってきた誰かの人生をおろし、私の輪郭を明らかにして来れたのだなーと思います。


私たちって、受けて来た教育の中で、答え探しの習性を強化されているし、一つの正解じゃないとだめ、みたいな思考が、もんのすごく強くへばりついている気がします。

普通なら、常識なら、社会は、道徳的に、そんな言葉で、一体どれだけの「自分ではない何かの答え」をその心に体に、頭に染み込ませて、それを選択しなければいけないと思い続けて来たんだろう。


だから、自分の本音に気づくって言うことが、簡単なようで、難しい!!


本音だと思ってやってみるのに、やってみたら

「おや、なんか違うぞ?」がいっぱいある。

もう、何やってんだ、私は、ばっかり!人生、迂回だらけじゃないか!苦笑


でも、この一年以上の時間の中で

何度も自問して、問いかけて、確かめて


やっぱり消えなかったもの

やっぱり、こうしたいと思ったもの

それが、


ただただ、感じたことを、書いて生きていけたら、幸せだよなぁ

   

画像5


でした。


目の前の日々、その中で感じること。

ただそれを感じたままに書いて、時にはいろんなところに出かけたり旅行して、いろんな人に会って、ひとときをともにしたり、語らったり、美味しいもの食べたりしながらそこで感じたことを書き綴って生きていけたら、ほんと幸せだなぁ〜と。

写真も大事。

世界観の表現に、言葉と画像、この二つは欠かせない。

だから写真と文章が大事。

画像6


写真の力ってほんとすごい。言葉の魅力を何倍にもする。


書くことは、いのち


だなぁと


それは、これで稼げるか稼げないかとかそう言う次元を易々と超えて

私にとっては、多分、いのちそのもの。なのだろうな。



いつの日だったか

自分のエッセイを出したい

そう思っていたことを思い出しました。


誰の人生もドラマティックだけど

その毎日は案外、つつがない日々。

でもその日々こそが、素晴らしいストーリー。


私の毎日も、きっとそう。


それをエッセイにして本にしたいなぁ


そう思っていた夢を、これからは叶えるために


書くことが好き、と言うこの本音を大事に


そして、このつつがない毎日は

私の心からの本音の選択によって

最高の毎日になるはずだから


まだまだ、自爆テロを繰り返して気づく本音だけど

   

私は私の

圧倒的本音のために生きることを諦めることなく

見つけていこう、今日、ここから。

そしてそれを書いていこう


なんて、思っています。


書くは、いのち。ですからね。苦笑

  

ほんと、文章バカ、言葉バカです。

その他のこと?うん、結構、壊滅的。笑


でもいいじゃん、それが私だもんね。


画像7


さ、今日はこれから、我が家でごはん会です。

みなさま、良き週末を。


いいなと思ったら応援しよう!