圧倒的他者視点の魅力ライターします。までの道のり。その4。
ご訪問いただきありがとうございます。
魅力ライター あそゆかです。
なんでライターになったのか、そのストーリーを書き始めたら、思いがけず深く長くなりました。
前回からの続きです。
最初から読みたい方はこちらからどうぞ
理想の自分に少しでも近づきたくて、書くのが好きで、書きたくて、そのためにブログを書いてきた、15年以上の道のり。
その間には、地域団体を育てて年に一度の大きなお祭りを作り上げたり、コーチングを学び、親子コミュニケーションのコーチとしても活動、自分自身と人との関わり、在り方についても、たくさんの学びと体感を得たり。
その中で、ずっと日々の出来事、気づきや感じたことをFacebookで綴っていくうちに、いろんな方から
「あそさんの文章は長いのに読んでしまう」
「引き込まれて最後まで一気に読んでしまう。」
「とにかく、響く。すっと心に届く。」
「読みたくなる中毒性がある」
そんな感想をいただくようになり、文章力を褒めていただくことがどんどん増えていきました。
とはいえ、自分では頑張って努力して獲得したものではないし、ただただ、書きたくて書いている「だけ」だし、どこかで学んだものでもない。だから、「息をするのと同じこと」であって、私にとっては価値のあることではなかった。
どちらかというと、それより、コーチ力を認めてほしいと思っていました。笑
そんな中でちらほら言われるようになったのが「ライターになるといい」ということ。
自分では「いやぁーーー、まさか。」です笑 だって、頑張ってないから。書きたくて書いてるだけだから。
でも、あんまり多くの人に、文章力を褒められるようになり、だんだん、認めざるを得ない状況になってきました。
でも・・・資格もない。学んでもいない。全くの独学。書き方なんて考えたことない。散々お金を注ぎ込んだことは他にもあるのに、それ?!と言う気持ち。仕事になんてなるわけない。そう思っていたのですが
そうこうしているうちに、私に何か書いてもらいたい、そんなことを言われるようになりました。そうしてチャレンジしてみたのが、もう2〜3年前になるでしょうか。プロフィールを代筆するサービス。
なんのノウハウもない中、行き当たりばったりで始めたのが、お客様に恵まれて、ありがとう、と喜んでもらえることに。
ですが、続けた先で、「書けない」という事態が出てきます。
それは、私が感じていないこと・・・・「こういう風に見てもらいたいので、こういう人に書いてください」という依頼に対して、「感じてないことを書くことができない」という状況になってしまったのです。
見せたい姿があって、それで仕事をしていきたいと思っているなら、そこを表現することも、大事な私の役目だったのかもしれません。でも、自分が感じてないのに、それをあることとして、書くことが、嘘を書くみたいで、どうしてもできなかった。言葉が全然出てこない。パソコンの前でどうしたらいいんだろう、と何時間も固まり、最終、できませんと、返金したことがあります。
そんな経験もしてみて思ったのは、私、あそゆかの視点で、嘘がない、正直な表現じゃないと私は書けないんだ、ということ。
どこの誰かわからない人が書いた文としてではなく、「私が書きました」と言える言葉で、思ったままに、正直に、ただただ、感じたことを、そのままに書いていたいんだという、なんとも自己主張強めの、答え。
この本音に出会った時は、正直少し、めいりました。なんか、すごくわがままだよなぁ、結局自分のことばっかりなんだな、なんて。仕事って、人のためにすることなのにな、私は、誰かのために何かをできないんだ、と。
だから、ライターとして仕事するなんて、やっぱり無理だ、これまでのように、Facebookに感じたことを感じたままに書いている方がきっといい
そう思うのですが、でも、どこかにそうじゃない私もいるのです。
「そうは言ってもやっぱりあなた書きたいでしょ??仕事になったら、それで生きていけたらいいな、って思ってるでしょ?」
と、つぶやく私が。笑
ここからが、実に、長かった。苦笑
今まで、割と自分では行動力はある方だし、最初の一歩も踏み出せる方だと思っていたのです。運もあるし、人にも恵まれる。
今まで地域でやってきたことも、こうなったらいいな、と思ったことは、大体、引き寄せてきた。(あまりに大変すぎて、自衛隊に手伝ってもらいたい、とこぼしたら、その時自衛隊の人がいたくらい!そしてそのお祭は自衛隊ボランティアの力を借りれることになったと言う。)
なのに、この「書くこと」「ライターになる」と言うことに関してだけは
どうにも、こうにも。
書くのが好きだ、だから書いていきたいと思う私と
せっかくなら仕事にしたらいいじゃーん、と言う私と
何言ってんのできるわけないじゃーん、と言う私
いやいや文章力あるんだから、って背中を押したい私と
また、できないって言って諦めるんでしょ?って私と
本当は、やりたいよね?って言う私。
とにかくいろんな自分が行ったり来たり。アクセルとブレーキと、サイドブレーキまで踏んだり離したりの日々。
それでも日々の投稿アップはやめない。やっぱり書くのが好き。書いていたい。
なんなんだ私は、と思う。
自分で仕事を作るための講座を受けてみたり、ビジネスのセミナーをかじってみたり、色々してみるも、いまいち踏み切れない。
それでもやっぱり、捨てきれない。「ライターになれたら、ハッピーじゃない?」そう、囁く自分を。でも、うまくいく気がしない。
その前のコーチングでも、「コーチングは好き」だけど「ビジネスを回していく要領がない」と言うことに気づき、
好きなことをやることと、ビジネスを回していくこと、この両輪がないと、「好きを仕事に」はできないんだと気づき、私には到底その要領なんてないと、思い知ったこともあって、きっとまた、回せないんじゃないか。同じ轍を踏むんじゃないか、なんて思ってしまう。
(コーチングに関しては、最終的に行き着いたのは「コーチになって稼ぎたい」のではなく、「自分の日常にコーチングを生かしたい」が私の答えでした。だから、コーチの資格を手放しました。)
本当に、長いことうだうだしていました。
そんな中でもいただく依頼には、うん、私でよければ書くよ、とお応えして。でも、やっぱり、思い切って踏み切れない。
こうして書いてみると、実に、うだうだしています。苦笑
それを打破するきっかけになってくれたのが、ヒモ解きの鈴木深雪さん。
思考を整理してまとめることを生業にされている彼女に、私がライターとしてやるならどんなことができるかと、彼女にセッションをお願いしたのです。
講座の体験レポートなんかをするといいね、1日密着とかもいいね、と私の話を聴きながら、こんなやり方があるよと提案してくれた深雪さんが、なんと、私のことを書いてと、ご依頼くださった。
それも、「あそゆかさんが感じたままに書いて!」と言うもの。
なんてありがたい!それなら、全力で私視点で書きます!と二つ返事。
そうして書いたのが、shutterの始まりです。
メモをとっていたら、書くことに意識が飛んでしまうから、深雪さんの話すことをただただ聞いて、そこから感じることだけに集中して、そうして、書き上げた記事。
彼女が言いたいこと、わかって欲しいことって、きっとこう言うことなんじゃないか、大事なことは、これなんじゃないか、深雪さんの「何か」にコネクトする感じで、予感することを、そのままに、私の中から降りてくる言葉に従って書いた記事。
やっとやっと書いてお渡ししたら、深雪さんからは、感激の感想をいただいて、これはやった方がいい!そう言っていただいて、このスタイルなら、私は書けるかもしれない、と言う手応えを見つけられることができたのでした。
そうこうしていたら、昨年のコロナ自粛。
改めてこの時に、何をしていきたいのか、どんな時間をいきたいのか、いろんなことを考えた
人生で一番ゆっくりと過ごした、おやすみ時間。
きっとあの時期、多くの人が、改めて、生き方を考え直したのではないでしょうか。
あの時から、やっぱり・・・と私の中で明確になってきたこと。
それが
「やっぱり、書くのが好きなんだよなぁ。」でした。
感じたこと、出来事の中から、気づいたこと。
これを伝えたら、きっと、誰かの心に届くだろうなと思うこと。
それを、写真と合わせて書くこと・・・・
正確には、手書きは言葉が降りてくるスピードが追いつかないので、
言葉を、打ち込んで表現していくこと、
写真と合わせて世界観ができて行くこと、それが伝えられることが
書いてる時間も、全部全部
好きなんだよなぁ、と言うこと、でした。
だって、誰にも言われてないのに、延々18年、やり続けてる。
朝娘たちを送り出して、コーヒー入れたら、もうPCの前に座ってる。
綺麗な空を見るたび、誰かの思慮深い顔を見るたび、心が動く何かを感じるたびに、どう書いたら伝わるかな、こんな言葉にしたらきっと誰かの心に響くって、ストーリーを考えてる。
この人にはこれからきっとこんなストーリーがあるかもしれない、いつも誰かの、何かの言葉が、心のどこかで動いてる。
やっぱり、書きたいのよねぇ。本当は、ただただ、感じたことを書いて、それで生きていけたら幸せだよね。
これしか、なかった。
そんな中でも、ぽつぽつといただく、shutterのご依頼。そのほか、表には出ない、「あそゆかさんに書いて欲しい」のご依頼。
那波佑香さんからのご依頼もとても嬉しかったこと。
WEB戦略、SNS集客に特化したページづくりなら彼女、と言えるほどの、言語化のエキスパートのゆかさんから、「書いてもらうならあそゆかさんに!」と言っていただけたこと、それが本当に嬉しくて、身が引き締まる思いでした。
そして、私の記事史上最大に人目に触れたのが、この3年の私に大きく関わってくれた、人柄写心家丸山嘉嗣さんの記事。
「つぐとは何者かを書いて」
そのたった一言から始まって、2ヶ月近く、ずっとひたすら、「つぐさんて。」を考え抜き、脳内丸山嘉嗣ゲシュタルト崩壊まで引き起こして書いた、渾身の記事。
とっても大変で、たくさんつまづいて、友達に泣きついて、でも本当に、書くことが楽しいと思えた記事。1人の人のことを思いつづけ、言葉を探し、どうしたら伝わるんだろう、誰に何を伝えたらいいんだろうって、毎日毎日考えて、何度も書いて、消して。1万字まで書いたのに納得いかなくて、最終、渡そうと決めた日の2日前に一気に書きなおした17,000字。
誰かの生きてきた時間、そのさまざまの背景に想いを馳せ、綴ることが好きで楽しい。書いて生きていけたら幸せ。
でもね、私のやり方っって、通常のお仕事で言ったら、絶対、おかしいのです。
まずまず、対談がフリースタイル。録音なし、メモ取りなし。事前にこのテーマで、とお話しする予定があったとしても、当日その方がお話することがあれば、その流れに任せて対話をします。
そうして、その時その時間で出てきたことが、今その時とこれからに必要で大切なことだと思うから。
録音したりメモをとれば「聴く」と言うことから意識が離れてしまうので、感度が下がる。だから私はそれはしません。あくまでも、自分の感覚・・・恐れずに言ってしまえば、五感+「なんかしらんけど、頭の上の方で感じる第六感」を使って、感覚で聴く。
それを、対談の日からねりねりして、相手のご様子なども感じつつ、今回お聞かせいただいたことから感じる、「ストーリーとなるもの、そのど真ん中」いわゆる・・・何をどう言葉にしたら、ご依頼者さまと、読み手に響くのだろうか、という「肝心ポイント」を探り続けます。と同時に、「書くタイミング」をなんとなく図っていて、「あ、そろそろ書き時だな」と思ったら、書き始める。
つぐさんの記事に関して言えば、対談さえしていません。苦笑 これまでみてきたこと、感じてきたこと、その全てを、私の頭の上にある、フィーリーングセンターから引っ張り出してきて、そのあらゆる点と点を繋いでできるストーリー、その軸は何かと、ひたすらに探し、思い描き続けました。
出だしの言葉がストン、と降りてきた時が、書き時の合図です。この言葉が、ピタッとハマる感覚を得られたら、もう、書ける。迷わない。
「いつまでに書かなきゃ」で書いても、なんだか書けない。これじゃない、と思ってしまう。結局、書き直す。二度手間になるから、その時まで、アンテナ張って、待つしかない。
人によっては、対談してから、2ヶ月3ヶ月と時間が経つこともあります。ななゆかさんは、互いのタイミングがあって、だいぶかかりました。(半年近く。苦笑)でもそれは、お忙しかったり、ちょっと他のことの方に注力されていたり、変化のど真ん中にいらっしゃったり、その人のご様子をみていて「今じゃないな」と感じるなら、書かずに、ちょっと様子をみて感じてみる。そこに根拠はありません。でも、なんか、そう思う。理由なんてないけど、「なんか」なのです。「機が熟す」「今だ」その時って、やっぱり、なんか、感じるのです。
そうして、出だしの言葉が降りてきて、今なら書ける、と言う時がきたら、一気に書き上げて、お渡しする。大体1日〜3日で書き上げます。そうすると、大概の方が「待ってた〜」と言う言葉とともに「今もらってよかった!」と言ってくださるし、感激して「泣いた〜」とお返事がやってくる。そして、自分を認められた、好きになった、大切にしたい言葉たちだ、と、喜んでくださる。
もう正直、自分でも一体何がどうなってるのか、分かりません。
でも私の感覚が言う。今じゃない、とか、今だよ、って。時には、もうちょっと待って練ってごらん、って。ヒントはまだあるよ、っていう。だからそれに従うしかない。言葉の語調もボリュームも、人それぞれ。
でもこれは・・・既存の、申し込んで、対談して、期日以内に納品、と言う流れには全くそぐわないやり方で、ビジネスとは言えないんじゃないか、ずっとそんな、罪悪感とも呼べるものがあって、堂々と、やりますー!って、言えないままでした。一人一人、全て違う、私との関わりがあって、タイミングがあって、そこに一貫性なんて、ないから。
そして、もう一つ言うなら、私の女性としてのバイオリズム。生理前後の1週間はやはりどうしても感度が下がるし、生理後から排卵日までの10日ほどは感覚が冴えて書きやすい、避けようのないリズムがやっぱりどうしてもあります。それは、抗えないもの。だからできることにも限りがある。
私からの精一杯のお言葉としてお渡しするなら、やっぱり、一番のものを一番のタイミングでお渡ししたいし、そのために、全力を尽くしたい。私が表現し尽くせる言葉にしたい。
既存の、販売やお仕事のルールからしたら、もう全然適応してないし、おかしい、でもやっぱり、私から、ベストなものとして渡したいと言う気持ちが譲れない。
これは頑固すぎるんだろうか、偉そうすぎるんだろうか、どうなんだろうか、ずっと考えていて、踏み出せずにいたけれど
でもやっぱりやってみたいんでしょう?自分の可能性に、ライティングの力に、言葉の力に、表現の可能性に、「なんか」の予感に、あなたは賭けてみたいんでしょう?書いて生きていけたら、幸せでしょう?
その内なる声に対する私の返事は YES だった。
もう、全然説明つかないんだけど、YES だったんですよね。
ふつーに考えたら、おかしいこと、変なやり方かもしれないけれど、私は私が感じるものを信じて言葉にしていきたいし、そこにこそ意味があるってことを誰より私が、予感してる
そんな自分を、やっとね、今までよりもちゃんと認めることができた。
それが、昨年の終わりごろ、でした。
長いですよね。何年がかりだったのか。
メンターにも言われました。「導火線が長い。」と。苦笑
ずっとやってきたことだけど、何より「大義名分なく、ただ好きなだけ、やりたいだけでやってきたこと」だったから、そこに価値を見いだせなかったし、それでやっていけるなんて思えなかった。
本当は・・・
そんなに続けられた大好きなことなのに、それを仕事にして立ち行かなかった時の絶望が、怖かったのかもしれません。
書くことでさえダメだった、そう突きつけられてしまったら、きっと、生きて行く理由がなくなってしまうから。
このたった一つの大好きなことでさえ、私はやりきれなかった、ってなってしまうことが、きっと、怖いんですよね。それしかないから。もう、絶望したくない。
自分の人生を思い返しても、誰にも何にも言われなくても、自分のうちなる欲望に従って、心のままにやり続けてきてこれたことは、書くことしかないのです。
あとはもう、いっぱい頑張ってきたけど、やりきれなかったことばっかり。ずっと、ちゃんとした人にならないと、何かできる人にならないと、素敵な人にならないとって思ってきたけど、頑張れば頑張るほど苦しくなってしまって、いつも「またできなかったねぇ」を突きつけられる。でもそれは心からの求めるものでなかったなら、そうなって然りなんですよね。わかってるけど、つい、やっちゃう。
そんな負のループに気づいたからこそ、自分の気持ちに従うって、本音で生きるってどう言うことだろうって、子育てとともに18年間を生きてきて、自分と少しずつ和解して、トライアンドエラー繰り返して、エラーばっかりやって、そうして、自分を確かめて、最終残っているのは「書くこと」
やー、マイストーリーを書くと、なんとなくの直感で自分で始めたことで、こんなことになるとは。
自分で書いてて泣いてる。苦笑
言葉って、すごい力があるのです。
たった一言が、光にもなれば
たった一言で、心が粉々にもなるのです。
私はそれをたくさん経験してきたから
言葉は、必ずしも心のそのままを完璧には表現しないけれど
でも、
人に授けられたものとして言葉があるなら
言葉から始まる美しい世界がつくれると思う。
綺麗事かもしれない
でも綺麗事ではない
あらゆるものを・・・・
正誤や、常識や、普通は、と言った価値観
そう言うものを全部取っ払った、混沌としているかもしれない
理不尽そうで不平等そうなこの世界の中にこそ、全部丸め込んで
人として生きることの美しさって、私はあると思う。
だからそう言うことを、その世界を、日々を、感じたことを
書いていきたいのだろうな。
日常っていろんなことが起こる
それを、いいとか悪いとか、あってるとか間違ってるとか
そう言う、自分の都合で判断して切り分けるのは、すっごく簡単
でも、それをやっている限り、評価の世界からは抜け出せなくて
部分で切り取って生きていく虚しさが募っていくんじゃないかって
そして
誰かや何かを否定することって
その実、自分の何かも否定しているんですよね。
私は、誰かや何かを簡単に批判したり否定したくないし、
自分にとっていいか悪いかで切り落としたくない
それはそれとして、全部私の世界に、この世界にあるものとして
内包していたいし
否定がない世界って、すごく優しいと思う
だから、そう言う関係を、世界を作りたくて
きっと書くのでしょうね。
認め合うより先に
否定しないことが、何より大切だと思うから。
あれ、これ何の話だったっけ。
魅力ライターになった道のりの話だったけれど、随分と脱線した気もしますが、
18年書いてきて、きっと一番、感情を載せた言葉たちであることは間違いない気がします。
「これからは自己表現がテーマ」と多方面から言われているので、まずはこのまま、今この私の自己表現として、公開してしまおう。
続きは、どうなるかな!笑