心動かされた出会い
社会人になって半年が経った。今年も残すところ僅か3か月。
【月日が経つのが年々早く感じる】
これについて国語の先生がしてくださった説明は納得のいくものだったから聞いてほしい。
「1年が早く感じたり、1日が短く感じたりするのは、過ごした時間が長いからなんよ。昨日産まれた子にとっての1日は、昨日と今日の2日間のうちの1日(2分の1)。でも、50歳の人にとっての1日は、18250日間(=365日×50年)のうちの1日(18250分の1)。要するに、人生において1日の占める割合がどんどん小さくなっていくから早く感じるわけだ。」
と。
体感的や感覚的なものよりも、理屈的でロジック的なもののほうが腹落ちのいい僕からすると好きだったし印象深い話だった。
(高校2年生の山本秀飛)
高校の国語の授業で覚えていることは、これと平家物語の冒頭分、古文において夢に好きな人が出てきたらそれは相手も自分のことが好きである事を意味するってことくらいかな。
受験期、あんなに古文単語やら漢文の読み方やら勉強したのにほぼ覚えとらんわ。
そ、で、ちょうどこの前読んだ『20代で得た知見』っていう本の一節にこんなことが書いてあった。
自分の心を動かしたものだけが、真のインプットである。誰かの心を動かしたものだけが、真のアウトプットである。
(〈62〉インプット・アウトプットの最終定義 より)
まさに1日が短くなる話は僕にとって真のインプットになったし、高校3年間での国語の真のインプットはあれだけだったんか、とも思わされた。
この本には、他にも心を動かされる知見があったけ、その中からからひとつ紹介して、それについて考えたことを綴ることにする。願わくば、それが僕のアウトプットになればと思いつつ。
今回紹介するのはこれ。
なにかを面白くないと思ったら、または、何かの値段が高いと思ったら、それは「あなたが客ではない」ということです。
(〈85〉よいものを見つけたら、よいと叫ぶといい より)
今まで、自分の興味の範疇を越えたものにとやかく思ってた僕にとっては心揺さぶられる出会いだった。
TicTokでかわいい子供に癒されとっただけど、その子がBurberryだかのTシャツを着とったんよね。4歳児くらいかな。なんちゃな子だ~、その歳で5万円のTシャツかよ。
とか
え、外食でカレーはなしやろ。
とか、思ってた。
でもいいんだよ、それはそれで。よそ様はよそ様。僕がお客様になるんは、鳥取のローカルスケボーショップだったり、弟のやってるアパレルブランド。例え少し高くても、焼き魚定食なら喜んで外で食べたいね、家だとたべられないから。
ってことで、キッズサイズのBurberryを買う人もおるし、美味しいカレー食べたい人もおるってことだんな。
今までは自分がすべてのお客様であると勘違いして、あそこは値段があーだこーだ、あの店は敷居が高いだどーだ、なんて品定めしてた。値段高くてもいいじゃん、格式高くていいんよ。そこにはそこのお客様がいる、僕がそうでないだけで。自分の範囲を超えて偉そうに言うよりも他にある。
著者はあの一節のあとに、こう続けている。
よいものを見つけたら、よいものを見つけたと叫んだ方がよい。みんなよいものが知りたい。なにより、よいものを作った本人にその声は必ず届く。
(〈85〉よいものを見つけたら、よいと叫ぶといい より)
みなさん!『20代で得た知見』は、よいです!!
自分のなかでうまく言葉にできないけど、普段感じているそれを代弁してもらっている感じ。「あ〜確かに。なるほどね。」が詰まっとるけ是非。
最後にこの著者のインスタから一枚。