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読書スタイルの変化を楽しむ―環境によって変わる読書体験

友人が『失われた時を求めて』を読み始めた、寝る前に少しずつ読んでいると聞いて、そういう読書スタイルすごくいいなと思った。

言われてみたらそういう読み方をしたことがない。私の読書時間のほとんどは電車の中だ。満員電車でつり革が掴めないときでも、最大限に足腰を意識しつつ本を開いていた。スマホをいじることもあるが、本のほうが多い。しかも紙。今思えば理由はひとつで、「こんな本まで読んでいる自分」を社会にアピールしたかったからだったのだと思う。その証拠に、ブックカバーをかけてもらったことがない。

電車内の雑音が読書に入り込む最適のBGMであった。静かすぎず、うるさすぎず、特に意味のない音。意味がないというのが大事で、その聞く必要のなさがいっそう本の世界への集中度を高めた。今の環境になってからはあまり電車を利用しない。今はカフェに行ってみたり、シンプルに自宅で本を開いたりしているが、明らかに読書量は減った。電車内で開いているときのような「自然さ」がないのだ。いまだ、電車内に代わる読書場を見付けられていない。

こんな読み方している人がいるんだと驚いた本がいくつかある。

仕事論などで有名な筆者。とにかくいつも読んでいる。仕事の本を読んで、疲れたらリラックスのために別の本を読んで、リフレッシュしたらまた別の本を読んで。いやいや、すごい。ある意味、戦略もなにもない。

この本もおもしろい。

こちらも、とにかく常に読んでいるようだ。呼吸するかのごとく。読まなきゃ、という気負いがまったくない。いつも傍らに数冊の本、理想の読書家像だ。ちなみにこの本自体分厚すぎて読みきれていない。

それからこれはとてもおもしろかった。特におすすめ。

横光利一の短編作品『機械』を、極限までゆっくり読み進めるという試み。その年月なんと11年。そういう読み方だってあっていい。

なんらかの大著をいったん読みきってみたい。『失われた時を求めて』とか、『戦争と平和』とか、『ユリシーズ』とか。数年がかりでもいい。それこそ習慣化して1日ちょっと、習慣化なんてしなくても時々思い出したようにめくる作品なんてものがあったら、また人生豊かになりそう。

何を読むかに気を取られがちだが、どう読むかというのも大事だ。このタイミングで、ちょっと考え直してみようか。

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