悩むな!答えは稲妻の中にある!

 
人は悩む生き物である。たとえ小さな問題でも起ころうものならば、目くじら立てて問題を追求し無害化しようと躍起になる。

実にアホらしい。しかしそれが人である。自分の前に立ちはだかる得体の知れない何かを恐れてしまう生き物なのである。たとえそれが害があるかどうかすらわからないうちであっても人にとってはストレスなのだ。

しかし、それは人の正しい反応であり脈々と受け継がれてきた本能ともいえよう。
その本能は実に厄介で、理性の生き物である人(理性が本能を飼い慣らしているつもりでいる)を首をジリジリと締め上げ、疲弊させる毒になってしまう状況をしばしば目撃する。

いついかなる時に置いても、人は自らの防衛センサーによって環境や他人を自己の危険を察知しようとする。他人が自分のテリトリーを侵害する行為を見かけようものならば腹立たしく追い返したくり、それも相手をコテンパンにしたくなる。
花粉症と同じ防衛本能の過剰反応と言えるだろう。

かつての私も同じであった。自分の視点が世界の幅と思い込み、今思えばとてつもなく小さな小さな事で人に牙を向けてしまった事がある。

私は思う。人は悟らねばならないのである、あくまで自分個人の影響の及ぼせる範疇は自分の視点の幅の内側までという事を。

しかし、自分を達観視するという事は容易ではない。一人称専用で生を受けた瞬間から主人公は自分自身で他人はRPGで言うところの村人Aに過ぎない。

そこで私はある考え方をお教えしたい。
〝地球は最初水だけだった〟理論である。

宇宙誕生からしばらくして、地球には動物はもちろん、植物もあらゆる全てが存在しなかった。
ただ、風が吹き、波が揺れる。音はするものの、それを感知する術を持つものなど居らず。ただそこに地球があっただけ。水が、地面が、空気があっただけなのだ。

そんな時、地球で海に雷が落ちた。
その瞬間に全ての生物、そして人の根源的な祖であるタンパク質が誕生した。

私はこの事を知った時、人の、いや、全ての動物における本能の始まりは全てこの雷だという事に気付いた。全てはここから始まったのだ。

生物の脳にはニューロンという細胞がある。電気的刺激によってあらゆる知覚から情報を伝達する。感情であっても同じくニューロンの働きにより、人は怒り、悲しみ、喜ぶ。感情とは突然変異的なタンパク質と同じなのだ。

かつてタンパク質だった我々は自らに雷を落とし、嘆いてはいないだろうか、「不幸だ」と。
その愚行に〝全ては自らの雷によって始まる〟事を教えてあげて欲しい。

全ては無だったのだ、感情は内なるもので具現化するものでは無い。目には見えず物体としても存在はしない。しかし、確かに私たちの中に存在している気がする。だが、本当は自分自身の中にも感情は存在しない。感情とはとるに足らない結果である。確かに存在するのは雷が起きたという事象のみである。それを理解することが重要である。

すなわち、〝地球は最初水だけだった〟理論とは脳内で起こっている電気信号達は確かに存在している事を理解し、それは自分の内側のみで起こっている事であり、環境や他人ましてや過去や未来に対しては干渉し得るものではない事を理解する事である。

堅苦しい話よりも実例でお見せしよう。
例えば、
悪口を言われたとする。
私はこう思う「ムカつくけど、電気信号がそう思わせただけで怒るという感情は存在しないぞ、相手が何故そう言ったかを考えよう」

仕事でミスをしたとする。
私はこう思う「あぁ凹むなぁ、でも電気信号がそう思わせただけで悲しんだりする感情は存在しないぞ、ここにあるのはミスしたという結果だけだ、それに対して行動を起こそう」

しかし、褒められて嬉しかった時は、私は素直に喜ぶ。電気信号が及ぼした奇跡の恩恵を受ける。かつての雷に想いを寄せて。


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