【天御中主(アメノミナカヌシ)♡】
『古事記から学ぶ日本人のココロ』と言うテーマで、お話を伺う機会があった。「古事記」は日本最古の書物と言われ、日本の国の成り立ちを表した神様や天皇の物語で、上・中・下巻に分かれている。中でも「上巻(カミツマキ)」には、古代の日本人の精神性の元となる神様のお話が書かれていて、3巻の中でも一番ヴォリュームがある。
特に印象的だったのは、日本人の世界観だ。
図解を見ると、3つの同心円が描かれていて、一番外側の大きな◯が「ウチュウ」、中間の◯が「カミ」、一番小さい◯が「ヒト」となっていて、
ウチュウは、美しいものを生み出す空間
カミは、美しいものを生み出す意志
ヒトは、美しいものを生み出す意志が留まった生き物
とあって、3つが三位一体となっているのが、私たち日本人の世界観だということ。三位一体の同心円は、全てが繋がっていて、全体から個別へと発想する。
一方、西洋の世界観は、1つの◯の下に、3つの◯が別々に描かれていて、上にある◯が「GOD」、下の横並びの3つの◯は、「人」と「動物」と「自然」となっていて、上の「GOD」が、下の3つを創ったと考えられ、それぞれが別々に存在しているのだ。
下にある「人」が良くなるためには、上から与えられた「universe」の力を借りなければならない。お互いに繋がりはなく、個別から全体へ発想する。
どちらかいい悪いと言うことではなく、これ位、発想が違っているということだ。
古代の日本人的な考え方は、世界は全てが繋がっているので、全体(世界)が良くなることを考える。つまり、調和する世界だ。
みんなが良くなれば、自分も良くなる。
みんなが幸せになれば、自分も幸せになる。
西洋的な考え方は、世界は繋がっていないので、自分が幸せであることを考える。その為には、力を付けて、他のものをおさえて(支配して)、自分が良くなることで、世界が良くなると考える。自ずと、力づくの世界となり、支配するものと、支配されるものとに分かれる。つまり、勝ち組・負け組の考え方だ。
この差は大きいと思う。
ただ、現代の私たち日本人は、明治維新以後の富国強兵や、敗戦後の教育や刷り込みなどで、かなり西洋的な考え方の影響を受けているので、今や日本も力づくの社会となってしまい、疲弊しているように思う。
本来、私たち日本人は、
「和を以て貴しとなす」
「万機公論に決すべし」
の言葉に表されるような全体から個別へ発想する、調和する世界観を持っているのだから、西洋的な力づくの世界観の中では、どこか満たされず、ストレスを感じるのも無理はないと思う。
古事記の冒頭に出てくる、一番最初に登場する神様は、「天御中主(アメノミナカヌシ)」で、私たち日本人の共通した祖先に当たるが、このお名前の意味は、「美しさを生み出す力を身に宿した主人公」とのこと。
美しいものを生み出す空間「ウチュウ」に産み落とされた私たち「ヒト」は、美しいものを生み出す意志が留まった生き物であり、主人公なのだと捉えていた、昔の日本人のココロに触れると、私たちの真の幸せの鍵は、ここにあるのではないかと思う。