20200630_沖縄戦について、真面目に書く

 戦後75年。つまり、あの血みどろの沖縄戦からも、今年で75年である。
 
 僕はtwitterでは、沖縄戦に関する資料や記事などを積極的にRTするようにしている。なので、慰霊の日である6月23日前後は、沖縄戦関連のRTがどうしても増えていってしまう。きっと多くのフォロワーさん方に、相当にウザがられているんじゃないかと思う。沖縄戦RTがしつこいせいで、僕のアカウントに対して、RT非表示やミュートなどの対応をとりながらお付き合いされている方も、そう少なくはないかと思う(苦笑)。もっと言えば、すでにリムられた方もいらっしゃることだろう。

 僕が沖縄戦のことをもっと知りたいと思うようになったのは、4年前からだ。
 きっかけは、正月恒例「ニュー・イヤーズ・ワールド・ロック・フェスティバル」(NYWRF)のオープニング映像だった。毎年毎年、内田裕也が世界各所を自転車で回る姿を延々カメラが追いかけるのが、NYWRFのオープニングのお決まりだったけれど、この年(2016年)は沖縄が選ばれた。
 これまでにクレムリン宮殿に天安門と、ニュースな世界各所でチャリを漕ぎ続けてきた裕也さんを毎年見てきたけれど、僕は沖縄編が一番好きなのだ。シュールで間抜けではあるんだけど、絶望的な美しさともの哀しさにハッと息を呑んでしまう。そこが大好きなのだ。
 底抜けに明るい空と海をバックに、ゆるゆるとチャリを漕ぎ続ける裕也さん。その姿にBEGINの「涙そうそう」が被さり、沖縄戦の惨状を伝えるテロップが淡々と流れる。宝石のような海の輝きと、強烈な死の記録のコントラストに魅入られて、初めて「沖縄戦のこと、もっと知らなきゃ」と思うようになった。

 そしてその年の夏休みを利用して沖縄に行って、旅程の最後にひめゆりの塔に立ち寄り、トラウマ級の衝撃を喰らって、今に至るのである。
 これまでの僕があまりに無知だったこともあるが、恥ずかしながら、沖縄戦の何たるかをひめゆり祈念館の資料で初めて知ることがあまりに多かった。

 6月23日・慰霊の日は、沖縄駐留部隊・第32軍の最高司令官らが自決したことで、沖縄戦の組織的戦闘が終了した日であるが、司令官が「最期まで徹底抗戦せよ」という指令を残してハラキリしたために、大将の首が飛んだ後も繰り広げられる意味ないゲリラ戦に、一般の県民が巻き込まれ続け、以降もおびただしい犠牲者が出続けた。慰霊の日は、沖縄の人々にとって終戦記念日でも解放の日でもなんでもなく、さらなる殺戮がエンドレスで続く無間地獄の始まりでしかなかったのである。
 また、血みどろの地上戦のさ中で、子ども・女性・高齢者を含む多くの罪なき人々が日本軍によって殺された話は、twitterからRTで流れてくる情報などでご存じの方も多いことだろう。ある所では、集落丸ごとの集団自決を強要されて。またある所では、暗く狭いガマの中で泣き叫ぶ赤ん坊が、「静かにしろ」と撃ち殺されて……。
 とかく沖縄戦は、日本軍の“罪”の部分が、あまりに色濃すぎるように思える。

 本来ならば、沖縄戦は、もっと多くの人たちに語り継がれていなければならないはずである。しかし原爆記念日や終戦記念日と比べても、沖縄慰霊の日の存在自体が、あまり知られていないようにも思える。もしかしたら、日本が100%の被害者である広島や長崎と比べ、沖縄の惨劇は、多くのメディアにとって扱いにくい厄介な存在なのかもしれない。それはきっと、沖縄戦が帯びる、大日本帝国の“罪”の部分によるところが影響しているのではないだろうか。現状では、ひめゆりの塔などの悲劇のモニュメントに実際に立ち寄ってみないと、沖縄戦の惨状を実感することは難しい。実際、僕もそうだった。

 戦前日本の“闇”や“罪”の性格をあまりに色濃く帯びすぎている沖縄戦の資料を読むと、無辜の人々が横暴な日本兵に虐殺された事例が、当たり前のように幾らでも出てくる。
 その一方で、虐殺の事例と比較したら残念ながら少数派ではあるが、一般の県民を命懸けで守ろうとした心優しき日本兵の話も、様々な資料から読むことができる。
「君たちは生きなさい。戦争で死ぬのは俺たち男だけで十分だ」
 その言葉を遺し、女学生たちを安全な場所に誘導してから自決した若い兵士の話を、ひめゆり祈念館の資料で、実際に僕も読んだ。

 いわゆるネトウヨ層の人たちは、沖縄戦における大日本帝国の“罪”をとかく矮小化、もっと言えばなかったことにしたいのだろう。
 しかし彼らには残念なことだが、血みどろの地獄を生き延びた方々の、一切を包み隠さぬ証言は、どれも紛れもない事実だ。 
 なぜなら、当時の資料から読むことができる「心優しき日本兵」の数少ないエピソードが、それを証明している。
 沖縄戦の資料の数々が、彼らが言う“反日サヨク”“中共の手先”のプロパガンダだとしたら、これらのエピソードの数々は、恣意的に一切がっさいが封殺されていたことだろう。
 だからこそ、沖縄戦を生き抜いた方々の証言は、どれもこれもが嘘偽りのない、剥き身の真実なのだ。
 沖縄戦の資料の数々は、けっしてプロパガンダではないと断言したい。

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