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「逆転!美術館」 住民の95%が反対した北斎美術館はなぜできた? ー後編ー 

「作品をもってない」
「地域の理解を得られてない」
「バブル崩壊でお金もない」

というところから始まったすみだ北斎美術館。
どうしてこの逆境をはねかえして美術館を設立できたのか。その30年のストーリーをざっくり追ってみます。の後半です。
前半記事はこちらから
https://note.com/shupary/n/nd0c31e22656a

久米さんとファンドレックスが最も問題視したのが、
何より地元の共感を得られていないことでした。

具体的行ったのは、2つ

ひとつが自分事作戦です。

象徴的なのが、美術館設立に向けたスローガンです。
当初は、
地域へ、世界へと北斎に関する情報を発信し、成長し続ける美術館
という何がいいたいのかわからないありがちなメッセージを、
日本とすみだを元気にする美術館
としたのです。
うん、わかりやすい!

具体的には、
役所内の各部課長や地域住民に対してヒアリングとワークショップを実施しました。

「北斎 X ◯◯ 」でどんなことができそうですか?と具体的な呼びかけを行いました。
すると、色々なアイデアがでてきます。

役所では、水道管轄の部局から、工事現場やゴミ回収者に北斎の絵を描いたらどうか?
女性区民からは、ヨガに北斎を絡めたイベントに参加したい。
区内の旅行業者からは、北斎美術館 建設地現場ツアーを開きたい
など
北斎の力で、墨田区はこんなに元気になる!というアイデアが各所から生まれていきます。
美術館が完成すると区にどんなメリットが生まれるかということを、自分の頭で考える作業を行いました。
それを通して、他人事だった北斎プロジェクトが自分事となり、
反対勢力が応援団に徐々に変わっていったそうです。

お金がない!

お金がない!と言って思い出すのは、織田裕二主演のドラマです。東幹久って今なにしてるのかなぁ。。。

美術館設立の機運も期待も高まっていても、現実問題として残る大きな問題が当初の3倍に膨れ上がった総工費です。
この解決方法は、もうお金を集めるしかありません。
文化庁への交渉など様々なとりつけを行うなどをした結果、残り5億円のところまで目処をつけることができました。
この足りない5億は、
墨田区が1年で集める!!」
ということを議会で約束し美術館の着工へとコマを進めます。
しかし、それまでの20年間で集まっていた寄付は、わずか1000万円!
(いや1000万円の寄付はわずなと言える額ではないですがか)
要は残り4億9000万円という巨額な寄付を集めために、議会に宣言して背水の陣を敷いたわけです。

結果からいうと、
開館までに5億を超える寄付を集めることができています。
多額な寄付をあつめた施作は大きくわけて2つです。

・積極的なトップセールス
当時の山崎亨区長が自ら区内の主だった企業をまわり「美術館の共同創設者となってくれないか」と依頼しました。100万円の大口寄付者を募りました。また、それだけでなく、前編で紹介した北斎 X ◯◯でアイデアがあった地元信金の「北斎預金」を実現化。利息の一部が寄付にまわるなど、地域の力で設立資金を後押しする体制をつくります。

さらに後押しとなったのが、
・ふるさと納税
です。
今と違い超マイナー制度だった「ふるさと納税」。美術館設立プロジェクトの寄付募集に合わせるように、法改正がありました。その内容は、寄付者の税額控除額が当時の2倍にあがる特例制度ができあがったことです。
このタイミングを逃すなと、寄付プラットフォーム「ふるさとチョイス」と提携。
返礼品には、職人のまちならではの江戸切子グラスなどの工芸品を用意。ちなみに、一番人気だったのは、スカイツリー展望デッキでの食事券。5万円でランチ、10万円でディナー券だったそうです。

当時は、ふるさと納税に力を入れている23区内の自治体がなかったこともあり、話題を呼びました。

これらにより、最終的に5億2000万円の寄付を獲得。
無事に開館資金を調達し開館することができました。

美術館を中心とするアートプロジェクトへ発展

素晴らしいのは、開館前の一過性におわらず、開館後も寄付が集めることができている点です。
その後もふるさと納税は人気で、美術館のランニングコスト(運営費)の一部を賄うことができています。
またふるさと納税で集まった寄付は、「すみゆめ」と題した墨田区内で行うアートプロジェクトの資金としても活用されています。北斎美術館を中心においた、アートイベントが多数開催され、地域に人を呼び、墨田区のブランドイメージのアップに貢献しています。

霞ヶ関に集まった税金を、各地にばらまく補助金事業は、もう限界です。
補助金だけに頼らず、
自分たちで頭を使い、地域の共感を得られる努力を続けたことでできた美術館がすみだ北斎美術館です。

それは、美術館の外観にも現れています。
妹島和世の設計した建物の壁面は鏡ばりのようになっており、一見奇抜な外観な印象をうけます。
しかし、現地に行くとその印象は変わります。
鏡には周囲の風景を写り込み、むしろ地域の風景に溶け込むよう配慮された外観になっているのです。

西洋美術界に憧れられた北斎は、東洋美術の象徴です。
東洋社会の持つ共生と共感という血は、「すみだ北斎美術館」にしっかりと流れています。

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<開館までの道のり>
1989年 美術館建設の構想スタート
1993年 基本計画が策定。建設予定地を購入
2000年 財政難により計画が一度凍結
2006年 スカイツリーの建設発表もあり、計画の凍結解除
2013年 建設入札を行うも応札業者が現れず、計画の見直しを迫られる。
2014年 着工開始
2016年 開館(開館3ヶ月で年間入場者見込みを突破)
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参考)
「知られざる北斎」(神山典士)幻冬舎、 ほか

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