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日本教育の問題点再掲、またその対策となるアプリの紹介

 まずはこのノートを呼んで欲しい。ここには、かつての日本教育の被害者がいる。

 一読してもらった通り、現状中年と呼ばれる年齢層は未だに「受験後遺症」に苦しんでおり、それは彼らの子供にも受け継がれているという現状がある。

 実は今日、日本教育は国際的な評価が高い。
 諸外国では、教員の業務が主に授業に特化している。
 一方日本では、教員が、教科指導、生徒指導、部活動指導等を一体的に行うことが特徴となっている。
 つまり、教師の負担を増やし社会の要請に応えて来たのだ。そしてテストを作りまくり、やらせまくったのが日本教育である。

(1)これまでの学校指導体制
(中略)
「日本型学校教育」は,国際的にも高く評価され(※1) ,学力面では,OECD・PISA調査等の各種国際調査を通じて世界トップレベルとなっているとともに,勤勉さ,礼儀正しさなど道徳面,人格面でも評価されてきた(※2) 。このようなことから,「日本型学校教育」の海外展開が要望されるようになっている。今後も,このような「日本型学校教育」の有効性が生かされることが重要である。

文部科学省
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1379013.htm

 一方で、今後求められる能力についても記述されていた。

   (2)更なる対応が必要な課題
(中略)
  基本的な知識・技能を習得し,それを活用する力とともに,膨大な情報から何が重要かを主体的に判断し,自ら問いを立ててその解決を目指し,他者と協働しながら新たな価値を生み出していくことは,将来の予測が困難な時代を生き抜く上で最も必要な資質・能力である。また,こうした課題の発見や解決の過程において,手段としてICTを効果的に活用できる力を育成することも必要である。

文部科学省
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1379013.htm

 今後、学校教育は詰め込み型(受験型)から、上記の資質を育てるような方向へと変化していくと思われる。それは、探究型学習と呼ばれている。

総合的な学習(探究)の時間
総合的な学習(探究)の時間は、変化の激しい社会に対応して、探究的な見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成することを目標にしていることから、これからの時代においてますます重要な役割を果たすものである。

文部科学省
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/sougou/main14_a2.htm

 探究型教育は、今後の人間に求められる能力の一つだろう。だが、先程のノートを読んだなら分かる通り、親から子へ受け継がれる問題は探求型教育によって解決はしない。それには根本的な是正が必要となるからだ。

「つくる」ことの手応え
 自分を否定してきた価値観なんて、人生の早いタイミングで捨ててしまったほうがいい。それなのに、親たちが競争社会という硬直化した価値観を捨てることはできないのは、他の拠り所を知らないからである。だから、わからないまま、不安なままに親は今日も子どもに「勉強しなさい」と言葉を掛け続ける。親の「勉強しなさい」は自身のわからない不安を鎮めるための呪文のようなものである。
 では、その拠り所はどこにあるかといえば、それは自分で時間をかけてつくり上げていくものでしかなく、決して初めから用意されているものではない。

受験後遺症の大人たちが子どもを追い詰める
鳥羽和久

 それは、上記のノートで述べられた通り「拠り所」が根本的な是正となるだろう。

 日本では大人になっても「勉強」観をアップグレードすることなく、学生時代の延長でそのことを捉えている人が多い。「勉強」といえば、受験のための勉強、資格のための勉強、語学の学習といった狭義の意味で捉えられがちで、勉強は目的を達成するための手段という考えに疑問を挟まない傾向がある。
(中略)
 このような「勉強」の可能性を初めから狭めてしまう思考の癖は、大人たちが学生時代に身につけた「常識」を反復していると想像され、この意味で多くの大人はいまだに学校教育と受験競争の後遺症の中で生きていると言える。

受験後遺症の大人たちが子どもを追い詰める
鳥羽和久

 探究型教育がその真価を発揮するためには、「受験後遺症」をどこかで克服する必要がある。なぜなら、探究型教育は受験やテストといった「目的のある勉強」とは違った学びだからだ。

 もちろん世代を経ていつかは消えていくだろう。だが今、探究型教育を受けている世代を持つ親は中年層であり、受験後遺症が受け継がれてしまう。その場合探究型学習が本来の力を発揮するには想定以上の時間がかかるだろう。あるいは教育がデジタル化により完全にパーソナライズされる方が早いかもしれない。

 受験後遺症によって受け継がれる思想が、探究型教育に及ぼす影響は大きいと考える。ウサギとカメの童話のように、相反したものだからだ。
 受験後遺症を持つ大人やそれを受け継いだ子供にとって「勉強」は「うさぎ跳び」である。また、子供に「ウサギ跳び」を強いることは必然的に過干渉にならざるを得ない。そして親子関係は悪循環に陥ってしまう。

 そしてこの悪循環は今、日本中で起こっている。
 これは主観だが、子供に「勉強」させたい親ほど仕事を大切にし、公私混同は決してしない印象を受ける。子供に「ウサギ跳び」を強いる分それが自分にも刺さり、もっと頑張らねばと言い聞かせ、無理やり背筋を伸ばしている、という具合に。これは彼らの学生時代の「常識」なのだろう。
 そういった中年層が主に買う本を想像すれば、スキル本や感情のコントロール術、もしくは煽り言葉ばかりの俗に言う「ビンタ本」のようなものだろう。

 この問題はいずれ教育が個々人に最適化されるまで続いていくだろうと考える。そしてそれを阻止する可能性のあるアプリを一つ紹介する。
 それは

Atom: Meditation for beginners 
である。
「拠り所」が無いなら作るべきである。

 このアプリは、一日一回3分の瞑想をガイダンス付きで行えるアプリである。特徴は、絶対に瞑想を習慣化してもらえるように、科学的根拠に基づくたくさんの機能が巧妙に配置されている点である。
 B.J.Fogg教授というスタンフォード大学の行動デザインラボの設立者が提唱する習慣化の三要素、
・モチベーション
・アビリティ
・トリガー
 を丁寧に遵守するAtomは、まずトリガーを設定する。このアプリを開くと、日常の内どの行動の後に瞑想するかの取り決めを作るようになっている。
 3分な上、ガイダンス付きで瞑想できるので、アビリティ(難易度)は限りなく低い。
 モチベーションに関してはアプリ側は関与できないが、「ウサギ跳び」に飽き飽きした人ならそこから脱出したいと思うはずだ。

 ここから本当に悲しい話だが、現在このアプリは英語版のみの対応となっている。だがもし日本版があればポテンシャルは計り知れないだろう。誰も作らなかったら私がいつか作る。

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