【一日一生】喜びと感動を与える尊い存在となる
ゆっくり息を吸って
ゆっくり吐く
人生とは何でしょうか。
唐突な言い方ですが、人は人生を送りながら
その人生を知りません。
あたかも目の前にやってきた電車に飛び乗っただけで
その電車がどこに向かうのか誰も知らないのです。
しかもその電車の乗客ときたら
塞ぎ込んでいる人
希望に胸を膨らます人
友達とおしゃべりをして気を紛らす人
誰もが同じ電車という運命共同体に乗ったら
誰も終点まで行くまで
窓から降りるわけにはいきませんから
とにかく人それぞれその景色を楽しもうといたします。
でもある程度歳をとるとこう思います。
このまま何もなくて過ごしていって年老いて
最期は自分が誰だか分からなくなって死んでいく
そんな木や石や草のような生き方をしていいんでしょうか。
人生とは何でしょうか。
隣り合わせた乗客に聞いても誰一人知らないのです。
先頭列車の方は先に乗った乗客がいますが
その人に聞いてもついに分かりません。
それでも列車は進んでいくのです。
喜びも悲しみも全てを乗せて走っていくのです。
いつかこの列車の時刻表や行き先を確かめてみたいと思います。
そういう人たちが不思議な世界の探究の旅に出るのです。
あなたの魂は旅が好きです。
一箇所のところにじっとしていられません。
またそれがどうしてそんな特徴を持っているかも知りません。
小さいときは落ち着きがないと言われ
多種多様なものに興味を持ちました。
でもそれは自分の性格なんだと一言でかたを付けてきたのです。
それは果たして単なる性格でしょうか。
それとも何か意図的な大きな世界からのシグナルなのでしょうか。
蜂はその年の台風を察知して巣の作り方を決めると言います。
人間だって 何かを察知して動くはずです。
あなたの心は一体何に興味を持ち何に関心を持つのでしょうか。
一生変わらず追求していけるテーマとは何なんでしょうか。
もしそれが見つかったら生き甲斐というものも自ずと実感できます。
一生続けていけるものが見つかったら
それこそ命は永遠だと実感できるに違いありません。
そんなわけでコロコロと気移りしてしまう自分の性格が
そろそろ気になり始めているのです。
もっとしっかり根を下ろして地に足をつけて
周りからも言われ自分でも自分に命令してきましたが
一体自分のこの心の衝動は何なのでしょう?
今から二千数百年前、ローマに円形劇場がありました。
そして今でいうオリンピックのような競技のようなものが行われ
そして選手たちの入場に際して
あなたは選手を勇気づける歌を歌うように命じられました。
あなたは自由に伸び伸びとさせてくれるのでしたら
いつでも存分に実力を発揮できます。
こんな風に細かく指定されてしまうと途端に身動きがとれなくなるのです。
人の指示に従うのが嫌なのか
人の指示を的確に掴むのが下手なのか
いずれにしても心が窮屈になってギクシャクしてくるのです。
何かとてつもなく理不尽な指示を出されますと
いつもドギマギして逃げ続けてきました。
そんなある日、悩みに悩んで
ぼんやりと田園で腰を下ろしていました。
目の前で本当に背虫のように曲がったお爺さんが
畑に鍬を入れて一生懸命農作業をしています。
どう見たって次の一振りで坂を転げ落ちてしまいそうな
そんな危なっかしい所作でした。
あなたは思わず声をかけたんです。
あなたは驚きました。
自分が悩み苦しんでいることをこの老人がどうして知っているのか。
何度も畑に鍬を入れています。
その瞬間、自分の迷いの正体が実に明らかになったのである。
今まではどうしたら監督の言うことに忠実に従えるかと悩んでいたが
一番の恐怖とは、次の役がうまく演じられなければ
自分は永久に役を追放されるのではないか。
図星であった。
あなたは驚いたのだ。
こんな自分の本質を見ず知らずの老人が見抜くなんて。
これで心が決まりました。
人を勇気づけるさせるために
自分が自分の心を勇気づけるのを忘れておりました。
大切なのはあくまでこの自分でありました。
そうだ たとえ下手と言われてもいい。
これでもうクビだと言われてもいい。
そんな覚悟で歌を歌おう。
一日一生という言葉がございます。
しかし、今自分がやっていること
この所作が済んだら息絶えてもよろしいという気持ちでやれば
そこには必ず人の心をときめかせ人を感動させる力が宿ります。
こうして一生懸命、入場時に歌ったあなたの歌声は
ハラハラと人々の心を感動させ激励し勇気づけました。
この時の緊張感を決して忘れてはなりませぬぞ。
あなたは懸命に生きるその姿を通して
人の気持ちに生きる喜びと感動を与える尊い存在なのである。
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