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実は寝ぼけている感性(駄文01)

#404美術館

右往左往とひしめく想念の海の中を泳ぎ渡りきる体力がない時にふと思う。

相当な量の物質化エネルギーを身にまとって、まるで自分軸以外はバーチャル存在のように捉えているのではないかと疑ってしまいたくなるような行動をしている人々の存在について。

多分だけど、当人の頭の中でたくさんの会話がなされていて、周囲の状況や周囲で動いている人や車が進路をふさがない限り全てスルーしているのだろうなと。知らんけど。自己実現のためになんでもする、それはそれでその個体のあり方としては素晴らしい決意と行動力だと思いつつ。

当人の心のアクティブな引き出しに関連項目が無い限り、全ての事象は、「なかった事」になっているのではと余計な邪推をする。

改めて、そんなふうに考えたら「関わり」を持たなかったことと「興味のあること」の差は、いったいどこで生まれるのかなぁと思い巡らせる。

出会った時の状況、第一印象、事前情報、類似の項目、なんとなくそんなものを一瞬で総合判断してポイしたり気に留めたりまたは直感的に全く度外視したり。

自分のことで忙しい人間は、無駄なリソースは割きたく無いだろうし、「何かしらのわかりやすい価値」以外に着眼点を広げる意識がないのだろう。

当人に有利に作用するものにしか反応しない人が散見されるということは、一般的な主流の考え方の一つなのだろう。

見ていない認識していないものは、存在しないと同義。少なくてもその人にとっては。

そこにアクションを仕掛けて商行為や興行の客寄せを行い、商売をする人々というのは頭が良いのだろうな。悪質な場合は上げ底、上げ蓋、廃棄回収材料、リメイク、危険物質混入、デマや偽装、詐欺、悪質な情報搾取まで介入してたり。こんなことでも「目新しい刺激」として受け入れさせてしまう手法には目を丸くしっぱなしだ。

仏教思想的には「客が満足して対価を払うなら、問題なし」ということだ。確かに、騙されてでも欲しい感情やホルモン状態を入手しようとする人々は群衆と呼べる単位でたくさん分類されている。

抑圧的で退屈だった時代の負の遺産的なノウハウだと思うが。

ナニカ楽しいことや、ナニカ美味しいもの、ナニカ素敵なこと、ナニカためになること、ナニカ自分を良い方向に変えてくれるもの。。。

仮にそんなナニカを求めるのなら、商(ショー)ビジネスの大きな流れに依存しきるのは危険だと思うのだけれど、「平均化されて標準化された消費者群」の一員となった人々にはなんの疑問もないのだろう。新製品やシリーズ最新刊の見込み客であり続け、そして共通の話題や共感性も似通った手法で創造されて蔓延し認知の世界に収まって行く。いや、悪いことではない。むしろ無趣味よりは遥かに良いこともあるだろう。

が、舞台裏のあまりに酷い状況を見聞きして繋ぎ合わせれば、あまりの理不尽な犠牲と奴隷の如き隠された環境と選民意識、指定監視団体の上層部介入とマスコミ操作まで聞くに耐えないストレスの中から搾り取られたエキスをこぞって行列をなして食い荒らすとか、そんなものの見方をしてしまったのなら、もはや何一つ純粋に楽しめなくなってしまう。

そんな世界を横目で追いながら、一方では、そこら辺の海岸や河原で何かのキラキラを探して集める日々はそれなりに楽しいものだと思う人も数多くいる。比喩的にもそのような身近なところで見つける楽しい遊びだ。

支配者の監督下にある既製品にとらわれない柔軟な価値観の人との出会いは常に興味深いと感じる。人それぞれの個性的な宝箱。

大量コピーされて山積みされた上げ底文化が徐々に消えていく時代にこそ、「キラキラハンター」でいられる感性を奪われないようにしなければいけないと思うんだ。

どこにあるのかすらわからない「見えない意思の操り人形」しか見つからない未来など1mmも考えたくない。

玉石混合、清濁併せのみ、それでも銭金のためだけの模造模倣しかない人生よりは遥かに豊かになれる気がするんだ。絶対多数決システムにスポイルされやすいとしても、ドングリの背比べでも、そういう感性の持ち主がローカルで過疎とは限らないし、影響力が少ないわけでもない。まして素材として、奴らがスカウトに来るのは、そういう場所のルーキーたちである。

てか、ある意味どうでも良い話だった。とはいえ「図太くおおらかに立ち直り早く日々精進」していく喜びが、鈍った感性を磨く基礎になることは間違いないと思える。

「生きにくい」という言葉を何度も聞く度に、どう返していいかわからなかったことがあるけれど、今はこう言葉にする。

「それを言う人も、それを感じる人も本物のあなたですか?」と。ひょっとして誰かの同調圧力や誰かの邪な意識の毒気に当てられて追い込まれてるだけなんじゃぁないの?と。そういう貴方に対して、害でしかない人々ですら尊重できる貴方の何処に落ち度があるというのですか。意味がわからない。そんな場所で生きるより、荒野を旅する道を選ぶ方がずっと幸せだと思うのに、旅人にならない理由がわからない。

だって、生まれてから、肉体を手放すまでの間、それこそ旅そのものだというのに。奪われるがままに餌として生きることだけが道じゃないでしょ。「生きにくいなら、生きやすい生き方にチェンジすれば良い」付随する旅支度や今までの後始末を手短に済ませよう。

どこか別の世界から転生してきて、転生前の記憶や目的を忘れてしまっているだけなんじゃないですかねぇ、と。スピ系の記事を見聞きして腑に落ちたネタだったのだが「異邦人」すなわち「エイリアン」の生きる道は、「物見雄山」と「地球に奉仕活動」で充分じゃないだろうかと。その中で、なじまぬことにも「へぇーそうなんですね」と驚いて見せ、地球に奉仕活動しながら、あとは花やネコや雲でも眺めてぼーっと暮らせばいいと思う。

大きな強すぎる河の本流の流れに、いきなり入れば足をすくわれる。

好きなようにやれる範囲で好きにやるのが最高ですよ。飽きてきたら、レベルアップしていく。行けるところまで楽しみながら進むのが一番。

制限時間に縛られなきゃ無理な人は別ルート探索に行くのだろうし。マイペースの人は、良いんですよ。あっちに迎合しなくて。

さて、どうやって糧を得る?

その心配が中心の人生ならば、野良人間として逞しくなるしかないんだろうなぁ。飼い犬稼業が嫌ならば野良も最高!

ワンワン。

わたしゃ、どっちかといえば猫が好き。

能天気に明るく生きてれば、結構死なずに楽しく生きていけるくらいにはこの世は優しい。


さて、ケダモノどもにエサと間違われない為の武装ファッションについては、現在追及中ですわ。よかったら、見てみて。市場の価値観から離れて、アホやって生きる為のデザインを中心に、あたしゃ頑張ってますよ。

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SHUNZO mewmew
生きることは、驚きと気付きの連続です。こうした出逢いもまたキセキです。地球の状態や宇宙の状態もとても気になりますが、まずは我々の良い状態を作り上げ、維持してゆくためのクリエイティブ活動をたくさんの視点から様々な表現手法で誰かの心にのこせる人間になりたいです。日々精進です。

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