コロナ禍のヒロシマで「10年目の被爆樹木の撮影-葉に触れ、影を視つめ続けることで感じたこと-」
爆心地から370m。最も近い場所で被爆し、今も生きている被爆樹木シダレヤナギと出会ったのは2012年。
それから毎年、この樹に会いに行き、樹木の存在を撮影している。
今年で10年目の節目となり、これまでの制作を記したいと思う。
撮影は、フォトグラムという方法で行う。
フォトグラムとは、カメラを使わずに撮影する撮影技法やその写真のことを指す。光に反応する感光紙に直接光をあて、その光の差(日焼け)を像として得る。
私はこの方法で、10年間、この被爆樹木シダレヤナギの生きている時間を撮影してきた。
きっかけは東日本大震災。関東で震災を経験し、原子力について考えるため、初めて広島を訪れた。その訪問で、被爆樹木の存在を知り、毎年被爆樹木を撮影することがライフワークとなった。現存する被爆樹木は爆心地から約2km圏内に160本存在している。被爆樹木マップを手にそれらを巡りながら、作品が増えていった。
2014年には、初めて8/6の広島を体験した。この年は珍しく雨の8/6となり気温もとても低かった。1部屋6人のドミトリーに滞在していた私は、窓から雨の音を聴きながら、準備の足取りが重い中、この年の8:15の影を撮影する為に広島に来たことを自分に伝え、被爆樹木シダレヤナギへ向かった。
こんなにも8/6の広島には様々な音があったのかと街には耳を塞ぎたくなるような音が溢れかえっていた。人混みを進み、シダレヤナギがある土手沿いの道に入ると、クマゼミの鳴く音と風が葉を揺らす音だけになり、次第にゆっくり呼吸が整っていった。
撮影は、雨のため感光紙が濡れないよう工夫をして、8:15を待った。遠くの方で鐘の音が聞こえ、辺りが静まり、目を閉じながら少し長めの露光時間を意識して撮影した。
撮影した像には、雨粒も写り込み、様々なイメージを投影できる作品が生まれた。
1年で1枚しか撮影できない特別な写真。8:15 8/6のその瞬間から現在まで流れる時間を焼き付けるように、太陽光によって記録する。
2021年でこの「8:15 8/6」シリーズは8枚となった。
かつて、
「ものを着想するということは、それらのものに対し、自分が望む分量の光と影とを作品の中で与えることができるような方法を用いて、それらのものを並べることを意味する。」
「De Piles,Cours de peinture」
と記した人物がいたが、私なりの方法と発信で、今後も制作を続けていきたいと考えている。
撮影を初めて4年目の2015年に、広島で2つの個展を開く機会に恵まれた。
これまで、広島に行っても樹木の撮影のみを行い、帰ってくるだけだったので、個展をきっかけにして、広島に友人ができた。友人たちとの交流は広島を改めて深く知り、考えるきっかけにもなった。その頃は、広島の地図も被爆樹木で成り立っていたので、友人たちに住んでいる場所や美味しいお店、おすすめのアートスポットなどの具体的な広島の地名を言われてもよく分からなかった。私は言われた地名を調べ、近くの被爆樹木を探すことで土地勘を得、友人はそこに被爆樹木があることを初めて知るという出来事がとても面白く、新鮮な体験だった。
広島での作品発表の機会から、様々な人たちとの出会いを経て、制作は福島へ繋がっていく。
そして、2017年に、音楽家の青木裕志氏と1つのイベントを行った。そのイベントの名を「被爆樹木の下で」とし、「被爆樹木の下」に日出から日没までいるので「被爆樹木に会いに来ませんか?」というもの。
私は、感光紙を準備して、訪れた人たちとフォトグラムの制作を行い、青木氏は音楽を鳴らしていた。この呼びかけに当時広島在住のサックス奏者の女性が訪れてくれて、被爆樹木の下で即興のセッションが行われた。そのセッションの後、広島市青少年センターの職員さんが私たちのもとに来てくれて「次の年から何か一緒に企画をしませんか?」と声をかけてくれた。初め、「音を出していて青少年センターを利用する人の迷惑になるのでやめてくれませんか?」という類のものかと身構えてしまったが、この被爆樹木の下での出会いで2017年から「1本のいのちの下で」という企画名で、広島市青少年センターとの共催事業としてイベントをつくっていくことになった。
2018年、2019年と被爆樹木の下で、「今」について考える機会をつくりたいと集まった人たちで「1本のいのちの下で」を行った。8月6日の広島を様々な人たちとこの場所で感じることは、とても意義深いことだと実感するようになった。
2019年には、被爆樹木をテーマとした展覧会にも作品を出品する機会に恵まれた。
2020年、そして今年の2021年の「1本のいのちの下で」の企画は新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で中止となった。その中で、8/6・8:15の被爆樹木シダレヤナギの撮影のみ行った。
この状況下で企画は中止になっても、撮影を応援してくれる人たちに出会うことで、改めてこの制作の持つ意味を考える機会に恵まれた。
今年の作品は、ゆらゆらと揺れる炎のような、暖かいゆらぎを感じられるイメージとなった。
2021年の撮影を終え、被爆樹木の下でのんびりしていると、ふと2つの言葉が生まれた。
「触れることからはじまる」
「先にあきらめちゃダメ」
私が初めて被爆樹木に出会った時、その柔らかい葉、ゴツゴツした幹に触れることで、初めて広島が自分の中でリアルになった実感があった。それは柵の外から原爆ドームを見ているのとは私にとって異なる体験だった。
10年目の制作をする中で、自分の中に何か張っているものが生まれていたことにも気付かされた。この制作の終わりの区切りについてもどこかで考え初めていた。
1945年8/6、8:15の原爆で地上部分が全て吹き飛び、そこから再び生きている樹。原爆の投下後、75年間草木も生えないと言われていた土地で成長し、現在も生きる被爆樹木の存在の大きさを改めて実感した時間となった。76年目の広島で、生きているものどうしだからこそできることを考えていきたい。このことを続けることが解なのかはわからないが、76年のいのち(或はもっと長いいのち)が伝えることを来年も感じたいと思った。
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これまで制作、活動を支えてくれた皆さま、暖かい声や励ましの勇気を与えてくれた皆さまに深く御礼申し上げます。
また来年、被爆樹木の下でお会いできることを楽しみにしております。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
最後に、記事を読み、お心に何か残るものがありましたら、来年の制作のためのサポートを記事の末尾からよろしくお願いいたします。
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●メディア掲載
・NHK広島放送局「お好みワイドひろしま」:2016.7/30「被爆70年 被爆樹木を撮る」
・中国新聞:2019.10/15「被爆樹木 記憶つなぐ 埼玉の写真家・浅見さん 「75年」に向けて創作開始」
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=93952
・中国新聞:2019.7/13「被爆樹木無言の訴え」
・中国新聞:2012.10/9「被爆樹木の息吹写す」
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=7756
●関連記事
●広島滞在制作歴
①2012 8/19-8/20
②2012 10/6-10/8
③2013 11/111-11/13
④2014 8/3-8/7
⑤2015 4/9-4/19
⑥2015 7/23-8/7
⑦2015 8/25-8/27
⑧2016 8/5-8/7
⑨2017 8/5-8/7
⑩2018 8/4-8/6
⑪2019 6/3-6/6
⑫2019 7/10-12
⑬2019 8/3-8/6
⑭2020 8/4-8/6
⑮2020 12/4-12/6
⑯2021 8/5-8/8
⚫︎写真作家・造形ワークショップデザイナー ・キュレーター・「時間」と「記憶」をテーマに制作。2012年〜ヒロシマの被爆樹木をフォトグラムで作品制作 ●中之条ビエンナーレ2019参加アーティスト ●さいたま国際芸術祭2020 市民プロジェクトコーディネーター