読書していて陥りがちだし思っていること
私の人生で後悔していることがある、それは普通の受験をしなかったことだ。
当時やりたい競技があったからその競技ができる高校に進学したし結果がある程度出たから推薦で大学にも進学した。
よく言えば上手く人生をうまく運んでる部分もある
しかし!ないんだ!基礎学力が!本を読むたび思う!
この年(アラサー)になって今更勉強をやり直しているほぼ全部中学の勉強からだ。
読書好きな私であるがちゃんと本を読み始めたのはおそらく大学生くらいの時、好きな女性が読書家だったのでお近づきになりたいというなんとも不埒な理由だ。
そんな理由はともかく私は興味が向くままに読書を始めたそこで今でも時折感じるのは基礎学力のなさから出るモヤモヤだ。
特にSF、おそらく名作と呼ばれるSF作品は私みたいな知識不足がうわべだけをすくっても楽しめるようになっているしそれである程度満足している。
しかしだ!理系の友人や知り合いは別のところで面白さを感じ、論じている!
・・・・・うらやましい!!解像度が違うのはずるいぞ!
とてもアラサーとは思えない幼稚な意見だが思ってしまっているならしょうがない。
これを小中学生時代に感じていたらもっと勤勉な学生になれていたであろう
そんな気持ちを読書をするときふと思ってしまう。
そして私はどうしようもない人間なのでたまに自分を棚に上げて
読書 しない 語彙力
みたいな検索をする、自分の読書をするというだけのアイデンティティを必死に守りたいがためにイマジナリー読書しない語彙力不足マンを自分の中で召喚して少しバカにする。
自分でも情けない行動だとは感じてはいる。
実際問題別に読書しなくても普段の生活から学びを得られる人や他の媒体から学べるならなんら問題はない。
私がコミュ障で出不精だから文章から情報を得るのが好きで本が向いているだけで。
そんな自分の知識不足が露呈してなおかつ恥ずかしい行動をする起因となっている読書を今なお継続しているかというと、おそらくそれが快感になっているからだと思う。
これは決して私のドM性癖紹介ではないと思ってほしい。
読書をしていると自分を過信しすぎぎることは少なくなる、これはとても幸せなことだと思う。
SNSを見ると〇〇みたいになりたいorなれると錯覚してしまうから自分にどぎついハードルを課してしまう。
嫉妬は時に大きなエネルギーになるが持続はしない。
追い抜いたら目標を失い追い抜かなければ絶望する。
SNSによってより可視化されたと思う。
何者になれない自分に絶望し何者になれたと思ったらなれていない。
評価が他人軸だと本当につらい戦いになる。
だから自分に甘い私は読書でとことん自分を甘やかす、自分自身に興味を持つために本を読む。
自分の脳が人間関係で悩んでいたら人間関係に関する本
勉強量が足りなくて悩んでいたらよりわかりやすい学びなおしの本
退屈を感じているなら面白い物語の本
冒頭で述べた知識不足は読書をする以上一生解決しないと思う。
ただ一生退屈せず新しいことを学べると思ったら素晴らしい趣味だと思う。
図書館に行けば基本無料で読めるし知識がつけばただの散歩でも退屈しない。
ブラタモリとか好きな人にはわかると思うが知識あればそこら辺の散歩道でも感動したり新たな気付きを得られる。
ある意味私は今から老後の準備で読書をしているのだと思う。
小銭を稼ぎながらのほほんと図書館で本を読んでいるじいさんになれるよう日々精進していく。