現代人は「万物の霊長」たりえているのか?
日本の心を照らします☀
鉄舟です!
最近は、柿の摘蕾という、蕾を間引いていく作業を、4月下旬からずっとしております。
蕾を指で倒すと、「プチッ」という音が出て、少し癖になります笑
さて、哲学やら心理学やらを勉強してて、「人間は元来、非常に貴い存在」だと考えるようになりました。
自分の考えを整理しつつ、読者様に「昔は人に対してこんな考え方をしていた」というのを伝えられればと思います。
「人間は万物の霊長」という言葉があります。
この言葉を見て、「人間が万物の長なんて、おこがましい」と捉える人もいるかもしれません。
しかし、この言葉の真意を知るには、「霊」という文字の意味を深く知る必要があります。
世間では、「霊」という字から「幽霊」を連想すると思うのですが、本来は幽霊のような禍々しい意味ではありません。
「霊」の字の旧字は「靈」であり、巫女さんが雨を三つの口(魂、心、身)で受け止めて天意を知る様を表現した字です。
今の漢字で書くと禍々しさを感じますが、旧字を知ると神聖な文字であることがわかると思います。
そして、「霊(靈)」の本来の意味は、宇宙を源とも呼べるような存在から分派したもの、分け与えられたもの、という意味です。
宇宙の源という表現をしましたが、これは、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、GOD、アッラー、グレートスピリッツ、など、地域や宗教によって呼び方が異なる、宇宙の創造主のような存在といってもいいのかもしれません。
日本古来の考え方では、万物は、宇宙の創造主の分霊(わけみたま)とされていました。
創造主が自分の本体をいくらかを分け与えることで物が作られた、と考えられていたのです。
この創造主本体から分け与えられたもの、これを「霊(ヒ)」と呼びました。
この「霊(ヒ)」の分配量が自然界で最も多いのが、人間なのです。
だから、人間は「万物の霊長」であり、何かを創造できる唯一の生物なんです。
そして、適切な接し方さえすれば、どんな動物も人間になついたり、従ったりするんです。
「長」と聞けば、自分より低い立場にいるものに対して傲慢な態度をとってもいいと捉える人もいるかもしれません。
現実は、「長」が傲慢な態度を取れば、その共同体は滅びます。
「長」の立場にあるものが、相応の人格を備え、低い立場にあるものを慈しみ、守っていく、それらができて始めて、共同体は繁栄し、長続きしていきます。
だから、人間は万物の霊長にふさわしい精神性を有している必要があります。
戦前まで大切にされてきた価値観の一つに、「恩を忘れた人間は、犬や猫に劣る」というものがありました。
いろんな本を読んだり話を聴いたりすると、昔は、「人間らしい在り方」を大切にしていたように思います。
人間が人間たりえる、万物の霊長にたりえる存在であることを、無自覚ではあると思いますのが、社会で大切にしていたのではないか、と思います。
昨今はどうでしょうか?
もちろん、一部の方々、学びに熱心な方々は、人間的に素晴らしい方ばかりです。
僕なんか人間性において敵わない方々ばかりです。
一方で、そのような素晴らしい方々は、世間の中で何割くらいいるのでしょうか?
受けている恩を知ろう、忘れないように努力している人は、世間でどのくらいいるのでしょうか?
2020年に実施された、子どもの幸福度に関すくるユニセフ の調査で、日本は調査国の中で精神的幸福度がワースト2位でした。
子どもは社会の縮図、という言葉があります。
社会のメインプレーヤーである大人の精神の質が、急速に落ちているのではないでしょうか?
こんな日本になるために、先人たちは文字通り命を懸けて戦ったのでしょうか?
先人がどんな想いで国を繋ごうとしてきたのか、知ろうとしている日本人は、現代にどれほどいるのでしょうか?
僕らが当たり前のように科学技術の恩恵を受け、豊かな生活を送れているのは、戦争を戦い抜き、戦後復興を成し遂げた方々のお陰です。
その大恩を意識できている大人は、どれほどいるのでしょうか?
もちろん、「恩」は戦争のことだけじゃなく、家族や関わってきた方々に対するものも含みます。
ただ、「万物の霊長」と言われても恥ずかしくない精神性を備えた大人は、どれほどいるのでしょうか?
人間が人間たりえなくなってきたから、天地は怒り、異常氣象が増えてきているのではないか、そんな氣がしてなりません。
中高生の頃にお世話になった大先輩は、「自分のことしか考えない人が増えた」とおっしゃっていました。
90代のyoutuberである一阿(いちあ)さん は「敗戦するまでは、日本はもっと美しい国だった」とおっしゃっています。
現在27歳の僕は、悔しいです。
偉そうなことをだらだら書きましたが、実際の僕は、口だけ、中身が伴ってないと笑われても仕方がないようなレベルです。
一歩ずつ成長し、一切引け目を感じることなく、今回の記事の内容を主張できる人間になり、人生の大先輩方が安心して見れるような社会の実現に向けて動ける人間になりたい次第です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
何か響くものがあれば幸いです。