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読書メモ:哲学と宗教全史② 3章哲学の誕生〜4章 3人のギリシア人哲学者

日本の心を照らします🌞
鉄舟です!

哲学と宗教全史の読書メモ part 2 です。
以下の章について書きます。

3章 哲学の誕生、それは"知の爆発" から始まった
4章 ソクラテス、プラトン、アリストテレス

前回までは、人類の誕生から、最古の世界宗教ゾロアスター教までのお話でした。

今回から、ギリシア哲学の話になります。

ギリシア哲学は、なんとなく話は聞くけど、実際どのようなものか、全然知らずに生きてきました。

ここでギリシア哲学がどのようなものか、大枠でいいから学べたのはいい機会でした。

3章 哲学の誕生、それは "知の爆発" から始まった

内容

・BC 5世紀前後、鉄器が世界中に普及し、生産能力が向上したことで有産階級が出現、知識人等が登場し、「知の爆発」がギリシアで始まり、インドや中国でも起こった。
・エーゲ海東海岸のイオニア地方にて、「世界が何からできているのか」の答え、万物の根源である「アルケー」を探求した、自然哲学者が現れる。
・アルケーの答えを出した哲学者たちを時系列順に並べると、以下のようになる。

年代           名前       アルケーの答え
BC 624頃 ~ BC 546頃 タレス     水
BC 540頃 ~ BC 480頃 ヘラクレイトス 火, 万物流転
BC 490頃 ~ BC 430頃 エンペドクレス 4元素 (火/空氣/水/土)
BC 460頃 ~ BC 370頃 デモクリトス  アトム (原子)

自然哲学者以外による、アルケーへの答えを出した哲学者

年代           名前        アルケーの答え
BC 582  ~ BC 496  ピュタゴラス  数
BC 520頃 ~ BC 450頃 パルメニデス  二元論

・インドでは、ブッダや、62種類の佛教以外の教え (六十二見) が出現。
 六十二見のうちの一つは、エンペドクレスと同じ様な4元素論を提唱。
・中国では、孔子や老子が登場。
 同時期、陰陽五行説も台頭。


本文は、アルケーを探求した哲学者たちの考えたことが、もう少し詳細に説明されていますが、長くなるので省かせていただきます。

ちなみ、デモクリトスのいう「アトム」は、現代科学の言う「原子 atom」とは少し違います。

あくまで物質には最小単位となる「アトム」が存在するとし、万物はアトムによって構成されている、という考えを唱えました。

ほとんど現代科学の「原子 atom」と同義ですが、現代は、「原子 atom」よりも小さい「素粒子 particle」という概念も存在しますので、デモクリトスの「アトム」と現代科学の「原子 atom」は全くの同義ではありません。

感想

・現代のような自然科学の知見、測定技術がなかった時代に、直観と思考だけで、アルケー (万物の根源) を水としたタレスや、アトムとしたデモクリトスの直観力に衝撃を受けました。

本当に賢い人は、科学的な手法を用いなくとも、おおよそ真理に近づける能力を持っているのでしょう。

デモクリトスについて、ちょっとだけ調べてみまして、牛乳を見ただけで、この牛乳がどんな特徴をもった牛のものなのかを言い当てたり、処女を失った前後の女性の顔の違いを見極められるなど、鋭い観察眼を持っていたようです。

おそらく、現代にまで名を残すような哲学者達は、凡人とはかけ離れた特徴を、なにかした持っていたのではないか、そんなことを思いました。

物事に対する観察や洞察を、どれほど深く、徹底的にしていくかが、直観力を鍛える肝になるのでしょう。

・エンペドクレスの4元素論と似たような考えが、同時期にインドや中国にも見られた点は、面白いと感じました。

似たような考えが、同時期に世界の離れた場所でも生まれることがあるんですね。

今、僕が考えていることを、同じタイミングで世界の何人かが考えているのかもしれないんですね。だからといってなんの意味も持たないですけど。

・次の章では、社会情勢が哲学者の考えに多大な影響を及ぼしたことが述べられているのですが、自然哲学者たちが住んでいたイオニアでは、BC 500年頃に、隣国ペルシアから侵略を受けました。

イオニアはペルシアの侵略を阻止することになりましたが、この争いを起点にペルシア戦争が勃発、50年ほど続きます。

ソクラテスは、戦乱の時代において、「アルケーを探求するよりも人間の生きる意味を探求すべき」という考えに至ったのではないか、とされているのですが、イオニアの自然哲学者たちはアルケーを探求し続けました。

なぜ、イオニアの哲学者は、社会情勢に関係なく、自然を対象に考え続けたのか、疑問が残りました。

もしかしたら、イオニアは都市ではなく地方であって、都市のように戦乱の影響を受けなかったのかもしれないです。

4章 ソクラテス、プラトン、アルキメデス

内容

章タイトルにある、3人の哲学者の人生、考え、後世に与えた影響等が説明されています。

3章に登場した哲学者たちは、ほとんどイオニアという、地方の生まれでした。

対してソクラテスとプラトンはアテナイ (アテネの昔の呼び名) の生まれ、アリストテレスはギリシア北部マケドニアの生まれです。

国の中心部ということもあり、社会情勢が個人の内面に大きく影響していたようです。

一人ずつ、ポイントを書いていきます。

細かい言葉の意味は、それぞれでお調べくださると幸いです。

ソクラテス (BC 469頃 ~ BC 399)
・少年期から青年期 アテナイが、おそらく一番平和な時代だった。
・38歳頃 ペロポネソス戦争勃発。兵役義務により参戦。
・65歳頃 ペロポネソス戦争終結。
 市民に不知を自覚させようとし、問答や論破を繰り返す日々を送る。
・論破した人たちの逆恨みが裁判に発展、死刑が確定し、刑死。
・戦争に翻弄された人生を送った。
 →万物の根源 (アルケー) の探求より、人間の生きる意味に思索を深めたのではないか。
・ソクラテスの著作物は一切残っておらず、弟子のプラトンの著作から人物像を把握するしか方法がない。
・ソクラテスの弟子の中には、アテナイとスパルタの和約を台無しにした政治家や、アテナイを混乱に陥れた30人の独裁者の一人が存在する。
→プラトンは志の高い素晴らしい人格者としてソクラテスを描いているが、実際にそうだったかは疑問を拭えない。


プラトン (BC 427 ~ BC 347)
・青春時代を、ペロポネソス戦争でアテナイが苦戦している時期で過ごす。
・28歳で師と仰いだソクラテスが刑死。
・当時のギリシアの上流階級が文武両道が重んじられ、プラトン自身、学問にもレスリングにも秀でていた。
・39歳頃、イタリアでピュタゴラス教団の考えを学ぶ。
 数学や幾何学に加え、輪廻転生の思想も学んだと考えられている。
・40歳頃、アテナイの郊外アカデメイアに自身の学園を創設。
 約900年間残り続けた。
・理想の政治を実現可能な機会が、シチリアで2度あったが、失敗に終わる。
・著述とアカデメイアでの教育に専念、80歳で生涯を閉じる。

・プラトンの著作は、ほとんどが今日まで残っている。
 分野は、哲学から自然科学まで多岐にわたっている。
・イデア論が有名。
 「天上に万物の本質であるイデアが存在し、現世で見ているのは全てイデアの模倣」という考え。

プラトンが提唱した政治形態
支配者が一人の政治
・王政...血統により後継者が決定される。
・僭主政...実力により後継者が来ます。法制度無視。
支配者が複数人
・貴族政...法制度に準ずる。
・寡頭政...限られた少数の集団が支配、ルールは皆無。
・民主政...多数の人で決定している。
理想の政治形態
・哲人政治...「哲人王」と呼ぶような賢い君主や、複数の賢い人 (哲人かつ実務者) によって形成される「夜の会議」によって、善い政治が実行される。


アリストテレス
・プラトンの43歳年下、マケドニアで生まれる。
・若い時期の記録や伝承はあまり残っていない。
・幼くして両親と死別、義理の兄を後見人として少年期を過ごした。
・17 ~ 18歳頃 アカデメイアに入学。
・20年近く学んだ後、アカデメイアを去る。
・42歳頃、マケドニア王フィリッポス2世により、王太子アレクサンドロスの家庭教師に任命される。アレクサンドロス13歳の頃。ブレーンとなる優秀貴族の子弟の教育も任される。
・48歳頃、アレクサンドロスが王位に就く。
・翌年の49歳頃、アテナイに戻る。
・アレクサンドロス大王の資金援助により、アテナイ東の郊外リュケイオンに自身の学園を創設する。ペリパトス (散歩道) を歩きながら講義することを好んだため、「ペリパトス学派 (逍遙学派)」と呼ばれるようになった。
・61歳頃、アレクサンドロス大王が急死。アテナイで反マケドニア運動が激化。
・62歳頃、母方の故郷、エウボイア島のカルキスで生涯を閉じる。

・必ずしも講義が得意ではなかったため、詳細な講義録が残された。現在はその1/3が「アリストテレス全集」に収録されている。その分野の広さは、哲学から自然科学に至るまで、「万学の祖」と呼ばれるにふさわしいほど。
・プラトンのイデア論のような観念論とは対照的に、実証的、経験論を重んじた。
・ソクラテスが人間の内面に思索を伸ばし、プラトンが哲学の問題提起を数多く行い、アリストテレスが多様な問題をきれいに整理した学者、と位置づけられている。
・エンペドクレスの4元素論に、4性質 (熱/冷/乾/湿) をかけ合わせた説を提唱、森羅万象や人間の性格にまで当てはめて、壮大な体系を構築した。
・4原因説 (質料因 × 形相因 × 作用因 × 目的因) により世界を説明した。
・アリストテレスが体系づけた学問は、きれいかつ壮大だったため、1000年以上もの間、ヨーロッパはこの学問体系に縛られ続けることになった。


著者の出口治明氏は、3人の天才の登場で哲学の世界が刷新されたと考えるのではなく、それぞれの時代背景が、彼らの思想に大きな影響を与えたことを重視するべきと述べています。

感想

・3人の、生き様が、素直にかっこよかった。
3人全員が、自分の信じることに従い、社会に対して自分にできることをやっていたのではないか、と思いました。

・ソクラテスは、地位や権力に一瞥もせず、道端の人を捕まえては問答して、相手の不知を自覚させようと論破しまくりました。

はたから見たら迷惑ですけど、戦乱の時代を生き抜いて、自分なりに、必要と思ったことをやり続けたんでしょう。

裁判で、堂々と反論はしたそうですが、死刑と決まれば、ジタバタせずに、法に遵って刑死。

死刑を逃れられる機会もあったそうですが、「ただ生きるより、よりよく生きることが大切」と言って、一度出た判決を覆そうとせず、毒ニンジンの杯をあおり、亡くなったそうです。

武士道に通じる潔さを感じました。

自分はソクラテスと吉田松陰と重ねてしまったのですが、同じ様な感覚をいだいた人もいるのではないでしょうか?


・プラトンは、孔子のように、自分の理想とする政治を実現させようと、動いたそうです。

また、彼が理想とした哲人政治は、儒教の目指す「聖人による統治」と類似しているように思います。

そして、孔子もプラトンも、多くの考えを後世に残しました。

孔子自身の著作は少ないそうですが....。

孔子とプラトンが、同じ様な時代に、同じ様なことを考え、動いていたことに興味が湧きました。

・アリストテレスは、アレクサンドロスとそのブレーンを育てたそうで、抜群に賢かっただけでなく、相当な人格者だったのだと思いました。

国のトップから直々に指名を受け、後継ぎの教育を頼まれ、しかもその後継ぎが広大な土地を治めるほどの王になっている辺り、教育者だったアリストテレスは賢いだけでなく、人格面の教育もすごかったんだろうと、思いました。

彼が提唱した概念や打ち立てた学問はもちろんですが、その人となりがどんな人物だったのか、非常に氣になりました。

そして、アリストテレスが体系づけた学問が、1000年以上もヨーロッパをしばり続けたという事実にも、驚きました。

世界について考える上で、絶対知っておかなければ人物であることを認識しました。

・著者が、わざわざこの3人の哲学者の思想が、時代背景によって影響を受けて生まれたものであることを強調した意図が、自分はわかりかねました。

ただ単に天才だという、内的な要素だけでなく、社会情勢などの、外部からの刺激も相俟って、始めて後世に残るような功績が生まれる、ということを示唆したかったのでしょうか。

3〜4章 感想まとめ

初期ギリシア哲学について、一通り学ぶことができました。

自然哲学、万物の根源「アルケー」の探求から始まり、人間の内面へ思索を伸ばし、現代学問の礎が築かれていく様を、動画を何倍速かで見ているような、早送りで歴史のストーリーを眺める氣分で読むことができました。

明治維新が終わり、戦争が終結するまでの間、当時の日本の学生 (中学から大学まで) は、佛教や東洋哲学だけでなく、西洋の哲学の本も読み漁っていたそうです。

今では考えられないですが、そのレベルの濃い、内容のある本を、当時の学生は必死になって読んでいました。

当時の学生たちが得ていたのと同じ知識を、ほんの一部分かもしれませんが、この本を読むことで学べている感覚があり、嬉しく感じました。

そして、なぜ古代ギリシアの哲学者たちの話が、僕が今まで読んできた本の中で、たびたび出てくるのか、納得できました。

現代科学が明らかにした答えと、ほぼ同等の答えにたどり着いた、自然哲学者たちの鋭い直観力や、激動の時代の中で深めた思索を社会に活かし続け、現代の学問の礎を築いた、ソクラテス→プラトン→アリストテレスの知性。

これほど世界に "知" のインパクトを残していたことに、衝撃を受けました。

大学で、よく「知を創造する」など、「知」がどうのこうのという標語を見かけるたびに、「『知』ってそんなに大事なのか?」と疑問に思っていました。

「知」というものに、わくわくというか、ときめきという、関心を持っていなかったです。

今回、この本を読み、古代ギリシアの哲学者たちの考え、成し遂げた功績、現代への影響を知ったことで、「知」の重要性について、少しはわかったように思います。

この本と、ここまで向き合うことができて、非常に嬉しく思います。



この本をおすすめしてくださった福岡ともたけさんには、感謝感謝です。

福岡ともたけさんの情報は以下にリンクを載せておきます。

「お金にモテる」ために必要なことを発信されています。本質的な学びが得られるかと思いますので、ぜひのぞいていってください♪

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