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選択?洗濯?千択?

ある本に書いていたのだが、私たちの過ごす現代はモノが飽和していて溢れているらしい。

当たり前すぎて気付かなかったが、バッグでも服でも本でも欲しいと思ったら、店舗に買いに行く、もしくは、ネットで注文するとすぐに手元に届く。

いつでもどこでも好きなモノが手に入る現代に生きている私たちは、そうではない時代・地域に住む人々から見れば幸せなのだろう。


ただ、モノが溢れているということは
選択肢が多いということだ。


選択肢が多いということは、選択をしなければならない機会が多いということを意味する。


選択肢が多すぎるのは、しんどい。
あっちの方がいいかな?いや、でも、こっちの方がいいかな?


色々考えないといけない。


選択した後も、選択しなかったあっちの方が良かったのでは?などと思ったりする。


選択


モノだけではない。
私たちは様々な場面で選択し続けている。


進学先、就職先、結婚相手、、
私自身もこの先、きっと選択し続けるのだろう。


選択肢が全くないのはたぶん本当にしんどい。


生まれた瞬間から、自分の道が決められていて、それ以外の道を選ぶことができないという状況は、想像しただけで失望する。
もしかしたら、失望を通り越して絶望なのかもしれない。


選択


選択肢が多すぎるのはしんどいけど、
2択だろうが、3択だろうが、1000択だろうが、
私たちは1つしか選べない。


自分の選んだ選択肢が正解だったかどうか?
そんなことは、分からない。


そういう意味で言うと
"どの"選択肢を選ぶか?
はそんなに重要ではないのではないか。


それよりも
"なぜ"その選択肢を選んだのか?
"どうやって"自分の選んだ選択肢を正解にしていくのか?

の方が重要なのかもしれない。