「周りの目を気にするな!」 「自分を信じて行動すればいい!」 「Twitterのタイムライン上」 「本屋さんの自己啓発本コーナー」 「アイドルの応援ソング」 街中でもCMでもよく目にする。 「周りの目を気にするな!」 「自分を信じて行動すればいい!」 こんな言葉を目にするたびに、疲れる。 でも、これらの言葉をを否定するつもりは全くない。 ただ自分のことを誰かに否定されたような気持ちになるだけだ。 「周りの目を気にするな!」 「自分を信じて行動すればいい!」 自分も
ある本に書いていたのだが、私たちの過ごす現代はモノが飽和していて溢れているらしい。 当たり前すぎて気付かなかったが、バッグでも服でも本でも欲しいと思ったら、店舗に買いに行く、もしくは、ネットで注文するとすぐに手元に届く。 いつでもどこでも好きなモノが手に入る現代に生きている私たちは、そうではない時代・地域に住む人々から見れば幸せなのだろう。 ただ、モノが溢れているということは 選択肢が多いということだ。 選択肢が多いということは、選択をしなければならない機会が多いとい
とある日曜日の昼下がり。 小学校6年生の組体操。 旗を使って、パフォーマンスしている。 ふーん、今年の組体操は、旗を使うのかーと軽く思っていた。 そしたら、ブンブンと旗を回すのを見て気づいた。 ソーシャルディスタンス そういえば、今見てる組体操。 1人でできる技ばかり。 例年ならば見られる ウェーブ、サボテン、ピラミッドがない。 1人でできない技の代わりが、旗なのか。 そのことに気づいた瞬間、何故か涙が出てきた。 (実際に涙が流れることはなかったけど) 何故なのか
身の回りには様々な仕事がある。 文章を書く仕事 人にモノを売る仕事 人に情報を売る仕事 信用を売る仕事 たくさんの仕事があるけど、仕事をするということは、その仕事に対する責任が生じるということでもある。 何らかのミスやトラブルがあったとき、誰かがその責任を取らなければならない。(その責任を取る方法は、大きなものから小さなものまで様々あるだろうが) 責任の所在を明確にするものとして、「肩書き」というものがある。 内閣総理大臣、大臣、議員 社長、社員、アルバイト職員 先
「隣の芝生は青い」 「Twitterのインフルエンサー」 「自己啓発本コーナーに並ぶ本を書く著者」 「応援ソングを歌うアイドル」 青い青い、ただ青い。 「隣の芝生は青い」 フェンスの向こう側の芝生 綺麗で、カッコよくて憧れて 自分の庭の芝生は? 青くないかもしれない。 枯れているかもしれない。 でも、誰にだってしっかり自分の庭がある。 青い青い芝生の生えた隣の庭のようなものではなかったとしても、自分には自分の庭があるんだ。 周りの目を気にすることもある。 自分
「音が大きく聞こえるようになった」 「取る前と取ってもらってからではまるで違った世界にいるように感じた」 「前回は2019、8月」 なんの話だよって言われるかもしれないけど、耳鼻科に行って耳垢を取ってもらったという話。 どうやら自分は耳垢が溜まりやすい人間のようで、定期的に耳鼻科で耳垢を取ってもらう。 そして、今回は約1年ぶりに耳鼻科に耳垢を取ってもらいに行った。 いざ取ってもらうと、1.5センチぐらいの塊がゴロゴロと出てくる。 耳鼻科の先生のおじいさんはとても優しく話
たぶん、そうやって私の場合は20年生きてきたのだから、急に自分の意見を外に出そう!と思って行動しても中々上手くいかないと思う。 自分の意見を言うぞ!と思っても、相手の望む意見(当たり障りのないお人好しな意見)を言ってしまう自分。 自分の意見を言わなきゃ言わなきゃ!と思うあまり、全然思ってもないことを言ってしまう自分。 急に変えようと思っても上手くいかない。 人は意外と他人のことを見ていないし興味がない。そのことには気づいていはいても、中々、実感できない。やはり、どう思わ
「ポケモンのソフトが欲しいと思っていること」 「トレーニングの時間を本当は好きだと思っていること」 小さいなりにもちゃんと自分の意見を持っている。 「ポケモンのソフトが欲しい」 「トレーニングの時間が本当は好き」 小さくても自分の意見は持っている。 「これを言ったら、どう思われるかな?」と考えるあまりに、外に意思表示できないだけなのか。 そうか。 自分の意見を持ってないんじゃない。 自分の意見は小さくても持っている。 それを周りにどう思われるのかを気にするあまり、
たぶんこの答えは、小さい頃から 「自分の意見」を発する機会を避け続けていたからだと思う。 <小学校1年生のとき> 誕生日プレゼントを買いに両親がおもちゃ屋さんに連れて行ってくれたのだか、自分は当時流行っていたDSのポケモンのゲームソフトが欲しかった。 でも、「欲しい」と言い出せなかった。 今だから分かることだが、当時は、両親に真面目で優等生だと思われたくて、私がゲームをしたいと思っていることを親にバレることが嫌だったのだろうなと思う。 <高校1年生のとき> 当時バドミ
「正直に言ってよ」 「本当はどう思ってるの」 自分はこれらの質問をされると答えられなくなる。自分は、率直な意見・本当に思っていることがないことが多い。これは別に、本音を人に言えないとか、そんな話ではない。 本当に自分の意見がないのだ。 最近気づいたことだが、自分は会話の中で 「相手はどんな答えを望んでいるのか?」 を無意識に考えて発言している。 「こう言ったら相手はどう思うかな?」 「相手はどんなことを言ってほしいのかな?」 を"無意識レベル"で考えている。 意識は
またnoteを書きたくなったので、書き始めます。 「アウトプットの場として」とか 「情報発信するため」とか そんなカッコいい理由は特にないです。 ただ、日頃考えたこと・思いついたことを文章にして書きたくなったので、書きます。
こんにちは。シュンです。 おうちでできることって何でしょう? 「映画鑑賞」「ゲーム」「料理」「筋トレ」 「オンライン〇〇」 この辺りですね。では、おうちではできないこと。 「旅行」「スポーツ」「登山」「外食」 おうちでできないことっていっぱいあるなぁ。 でも「おうちでできないこと」 実際にはできなくても、"想像"はできます。 たとえば 旅行に行ってる「想像」 スポーツをしてる「想像」 登山をしてる「想像」 外食をしてる「想像」 「想像」だったら、おうちでできます。
こんにちは。シュンです。 頑張っているのに辛いとき。苦しいとき。 もう無理だと諦めそうになるとき。 そんなときに助けてくれる。 乗り越えられないと思ったことを乗り越えさせてくれる存在。 それは、仲間だと思うんです。 私は、3年前の大学の受験勉強を通じてそのことを学びました。当時は、志望していた大学のレベルの高さと自分の学力とのギャップが大きすぎて、辛くて苦しくて。 それを乗り越えさせてくれたのが、共に目標に向かって励んだ仲間の存在でした。勉強の合間に、晩ご飯をコンビ
こんにちは。シュンです。 今日で7日連続のnoteの更新です。 1週間続きました。 どんなことでも続けることは難しいですが、 今は、毎日楽しみながら発信しています。 noteの記事の執筆、これからも楽しんで続けていこうと思います。 今日は短めです。 最後までお読みいただきありがとうございました。 シュン.
こんにちは。シュンです。 私の通う大学でオンライン授業が始まりました。授業によって方式は様々です。事前に授業を録画したものを閲覧するものや、双方向のオンライン授業など。 オンライン授業のメリットとしては、自宅で授業を受けられるということ、デメリットとしては、学生側からすれば授業に対しての質問がしにくい、教員側とすれば授業内容がSNS等で拡散される恐れがあるなどが考えられます。 そんなオンライン授業ですが、個人的には普段の授業とほとんど変わらず、むしろ画面を一時停止してメ
こんにちは。シュンです。 私の最近の楽しみのひとつに、毎朝のNHKの朝ドラ鑑賞があります。以前は、朝ドラとかそんな面白くないやろとか見てもないのに勝手に思っていたのですが、いつの間にかハマっちゃいました。笑 そして、今日(5/7日放送分)の朝ドラ『エール』を見ていて、少し考えさせられる内容というか会話がありました。 世界で活躍する作曲家を目指す主人公「裕一」の母である「まさ」と将来、裕一の妻となる「音」との会話です。 (まさは、裕一に作曲家になる夢を諦めさせたい。音は、