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地蔵【後編】(短編小説;2700文字)

取引先企業の岩田が発注ミスを犯した。原因を問い詰めていると、無言で固まった彼の体は、突如《石》に変わった。

「ああ! ああああ!」
 課長は『絶望』を声として絞り出し、両手で顔を覆った。
「だから、だから、……」
 彼はわめきながら、こちらには目もくれず、あわただしく部屋を出て行った。
 しばらくして、こうした事態に対応する部署らしい、作業服に身を包んだ男たちが現れ、《石化》した岩田の体をさすったり小突いたりしたあげく、頑丈そうな台車に載せて運び出した。
 課長は、やはり絶望的な表情のまま、何か書類に書き込んでいる。始末書なのか、報告書なのか、いずれにしても、この『惨事』の経過を記しているのだろう。

「……あのう」
 私の存在は無視され続け、いや、話しかけることすら拒む気配に、やむなくそのまま応接室を出た。
 玄関では、《石》と化した岩田を、先ほどの作業服たちが《地蔵》の並びに新たに加えていた。立っている《石地蔵》もあれば、座っているものもあり、衣類をはぎとられた《岩田地蔵》はどこからか運ばれてきた庭石の上に座らされようとしていた。

 話には聞いていたが、《石化》する現場に居合わせたのは初めてだった。
 もちろん、わが社の本社ビル前にも《地蔵》と呼ばれる元・社員の石像が並んでいる。その中には同期入社もひとり、混じっていた。彼は特にブラックな職場にいたわけでもなく、ただある日、他部署との打ち合わせの最中、突如《石化》した、という。

「へえ、そんなことがあったの? ……たいへんねえ」
 夕食のテーブルで話題に出すと、妻の職場も同じだという。
「ウチは病院じゃない、だから時と場合によっちゃあ、患者さんの生死に関わるのよ」
 看護師が注射を打っている最中に《石化》したことがあり、石になった状態で患者の上にのしかかり、たいへんな騒動になったという。
「それは、どんな状況で起こったの? その看護師さん、𠮟られたとか……?」
「ううん、患者さんが注射針が刺さった瞬間に『痛い!』と、まあ大声は大声だけど、そう叫んだだけみたい」
「へえ……たったそれだけで?」
「そう。看護師さんは何か説明しようとして口を開いた後、そのまま……。これで病院玄関前の《お地蔵さん》の数は、医師ひとり、看護師3人、検査技師2人、事務方2人で合計8人、いえ8体になっちゃった」

 ちょうど、ニュース番組でもこの問題を取り上げていた。
「……昨年から始まった『石化』現象ですが、今年に入って事案が増えています。政府は特別チームを作って本格的な原因究明に乗り出すそうです」
 スタジオでは社会学者と医学博士がゲスト識者として出演していた。
《石化》した人たちの共通点は、会話が苦手ということみたいですね。いえ、しゃべるのが苦手、とは違います。会話というのは、相手の話す内容を理解し、適切な用語を用いてそれに応じる、ということですよね。人類は ── ヒトは、会話術の発達と共に文明を発展させてきました。基本中の基本が会話であることに、異議を挟む人はいないでしょう」
「でも、普通の人なら普通の会話はできるでしょう?」
 キャスターの問いかけに、社会学者は首を振った。
「『普通』って何でしょう? ようく、考えてください。ほとんどの人は ── 特に若い世代では ── SNSを使ったコミュニケーションが盛んですが、基本的には『独り言』の応酬なんじゃないでしょうか? いや、それすらも簡略化しています ── 『りょ』いや『り』が『了解しました』だったり、他にも、仲間内でしか通用しない符号を多用しています。そんな人たちが、『普通』の会話を求められると、困って『固まる』んです。そこで相手が諦めれば時間と共にほぐれる』のですが……」
「さらに会話を求められると、《石》になってしまうんですね」

 キャスターはもうひとりのゲストに向き直った。
「では、この《石化》した人たち、医学的にはどうなってるんでしょうか?」
《石地蔵》なんて言う人もいますが、まだ生きておられるので、解剖するわけにもいきません。ただ、体のほとんどは確かに《石》 ── 無機質に変化しているのですが、聴診器を当てると、かすかに心音が ── 1分間に2-3回ほどですが ── 聞こえます。『生きておられる』と言いましたが、それが唯一の根拠です。冬眠中の熊のように、いや、それよりもはるかに少ない量の代謝たいしゃを体内で行っているようなんです」
「じゃあ、生き返る可能性もあるんですね?」
「生きているんだから、『生き返る』 ── ではなく、『ヒトに戻る』と言うべきかと」
「あ、失礼。それで政府が《石化》した人をその現場の玄関に配置するよう命じたのですね?」
「そうです。いつヒトに戻るかもしれない、その時には人目につく場所がいいだろう ── 即座に治療にかかれるから、という考え方ですね。それに、今のところ、いわゆるパワハラに該当するような原因はないようですが、《石化》が多発する職場や学校に注意を喚起する意図もあります」

「なるほど」キャスターは時間を気にしながら、まとめに入った。
「でも、ヒトに戻ることって、これまであったんですか?」
 医学博士が黙って首を振った。
「やはり、《石》でいる方が居心地がいいんでしょうかね……わかる気もします。私も時々、全てを遮断したい、って思いますもん……」
 仕込みのセリフとは思えない言葉をつぶやき始めたキャスターが固まりかけたようにも見えたが、そのままCMに変わった。

「最近じゃあ、ウチの会社、昼休みに《お地蔵さん》に花を手向たむける人、増えたなあ。ヒトに戻るのを祈ってるんだ」
「あ、病院も同じ ── いえ、ちょっと違うかな。《石》になった先生や看護師さんにお祈りすると早く治るって噂が広まって、患者さんが手を合わせてる」
「つまり、信仰の対象になったってことか? ──そりゃ、ホントの《お地蔵さん》だ!」

 ── 妻も、そして私も、あえてその話題には触れない。

 《地蔵》は玄関の外に出しておくように、という政府の指示にどの組織も素直に従っているのは、《石化》した人びとの姿を、勤務時間という『日常』の中で見ずに済む ── ある意味、『無かったこと』にできる ── からかもしれない。

 翌早朝、妻がまだ寝ているうちに起きて簡単に食事を済ませた。
 昨日《石化》現場を目撃した会社にもう一度行って、《岩田地蔵》に手を合わせてくるつもりだった。

 自宅の玄関を出て、すぐ脇に立つ ── 正確には傘立てに腰かけた姿の《石地蔵》に手を合わせた。
 《地蔵》の手には、ここだけは《石化》していない、ゲーム機のコントローラーが握られている。
 あまりに強く握っていて、どうしても外すことができなかったのだ ── 先月《石》に変わった息子の体から。

〈了〉

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