賀状の変遷
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
一昨年、昨年と、先輩方から、
「賀状やりとりはこれまでにしたい」
旨と書かれた賀状を受け取るようになり、
同輩後輩からも、
「年賀状は紙からe-mailに移行したい」
ということで、こちらが出す枚数はかなり減りました。
年賀状のやりとりはこの国の文化でもありますが、その作法中身は個人の歴史文化でもあり、この機に振り返ってみました。
20代から30代にかけて、年賀状は『プリントゴッコ』で作っていました。いや、結婚の報告(式は一応やったものの参列者はほぼ親のみ)も理想科学工業の『プリントゴッコ』でした。
この装置、当時としては画期的な簡易カラー印刷機でした。
いや、その頭に『万能』と付けたいくらい ── たいへんお世話になりました。
この頃の年賀状には、毎年、正月や冬に合わせた短い創作寓話を書いていた。
今ではほどんど憶えていないけれど、例えば、
『炬燵の神』
というショートストーリーを書いた年があります。
文字数は200~250字くらいかな?
帰宅すると怪しい人物がこたつでミカンを食べている。誰?問いかけると関西弁で応える ── オチはない、そこから始まる1年を暗示する、謎めいたストーリーでした。
2年前に書いた下記創作は、長さも展開もまったく異なりますが、この年賀状を想い出したことが物語を書き始めるきっかけになりました。
30代中頃に米国に留学し、3年半の間1度も日本に戻らなかったため、この間は年賀状も中断していました。こういった『中断期間』があると、『義理年賀状』を自然に途切れさせる効果があります。
帰国後は新たな知己を中心に再度出し始めましたが、年賀状流儀は大きく変わり、写真を入れるパターンに変わって文字は挨拶程度となりました。
この頃、知人女性から、
「……以前の短いお話を楽しみにしてたのに……」
と言われたことがあります。
当時、個人ルールとして決めていたのが、
・子供だけの写真は送らない(賀状相手はあくまでも自分の知己であり、親バカジジバカを家の外に輸出しない)
・必ずひとこと手書きで添える
その後数年でデジカメの時代になり、現在に至っています。
50代で3年間海外勤務となり、この時も『賀状断捨離』がありました。
── 人生には変化が必要である。
座右の銘、のようなものです。
写真入りメール、個人的文化としては長く続き過ぎました。毎年写真は変わるとはいえ、ほぼ同じ人物であり(『当然』を疑うべきだったかも)、変化が無さすぎる!
このあたりで紙の年賀状を辞めて電子化に移行すると共に、むしろその機を利用してトラックを2周ぐらい前に戻り、かつてのように、『創作』にかかわる賀状に変えてみようか、などと思っています。
……なにしろ、『葉書』という限られた土地に、建てたい家を無理やり建てる必要がなくなるわけですから……