創作の評論はできないけれど、紹介ならば
小説など、創作物の『評論』を行う人たちがいて、文芸評論家と呼ばれている。
高校の現代国語教科書に引用された評論作品は、小林秀雄ぐらいだったでしょうか。創作に比べると、掲載数は少ない。
本格的に小説を読むようになった高校時代には小林サンの名前は既に文芸誌で見かけなくなっており、代わりに江藤淳がたいてい何か書いていた。
当時の私は ── 実は今も ── 創作物の鑑賞はきわめて個人的なプロセスであり、従って印象も感想も多様であって、『プロによる評論』の必要性を疑問に感じていました。
『評論家』と称する人たちの『評論作品』には、作家の生い立ちや私生活などを『作品背景』として念入りに調べ、その作家の作風や創作物との関係を推理するものがあり、それはそれで面白い読み物ではあったものの、私自身は『評論』というより、半ばゴシップ的興味で読み進めていたのかもしれません。
さて、noteで感銘を受けた作品について、当初は、コメント欄に感想を書いたりしていました。しかし、これがなかなか難しい。
感動は文字にできない ── おそらくは語彙不足などもあるでしょうが、ありきたりの感想を書いても仕方がない。
かといって、
「タイトルはむしろこの方がいいのでは?」
「最後のオチはこうしたら?」
などと書くわけにもいかない。
(もちろんケチを付けているのではなく、さらに素晴らしい作品になるのでは?と思ったとしても ── そんなことは期待されていないでしょうし)
でも、
「ボクは好きだよ!」
を顕すため、作者の了解もいただくことなく、勝手にマガジン『ヒミツの図書館/創作棚』に入れさせていただいている。
『ヒミツの』と付けた理由は、その本棚がきわめて個人的なコレクションであって、料理と同じく、テイストには好みがあると信じているからです。
もちろん、取りこぼしも多いし、そもそもどんな素晴らしい作品でも残念ながらまだ巡り合っていないものは多いはず。
特に、あまりに長い作品は読み切るのが難しく、このため、本棚に入っていない。
(特に、事前に全体分量がわからない長編;タイトルに【1/5】など付記されている作品はいいのだけれど)
今日気が付いたらコレクションは81作品になっていた。
将棋の世界では、《81》とは盤のマス目の総数であり、特別な数字である。
棋士は、81歳になると《盤寿》を祝う。
これを契機に、本棚に集めた作品の紹介を ── これも勝手に ── させていただこうかと思います。
ただ、半年前にひとり、マンガ作者の方だけは紹介してしまいました ── 少々『愛情過多』でご迷惑だったかもしれないけれど。
まさに表題にあるように、『評論』などはできませんが、『愛』をこめて、これからボチボチ『紹介』させていただこうと思っております。
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