『水掛け論』になったら、議論はそこでSTOP!
会社勤めをしていた頃の一時期、役員研修会のMC的な仕事をしたことがあります。
毎週の役員会での議論内容はどうしても近場の問題を取り上げるため、年に1回、研修所のような場所に取締役と監査役が集まり、合宿形式で経営に関わる本質的な議論をしようというものです ── 理想としては。
役員を務めるような人たちであるから、皆さん能力が高く、一家言持っており、かつ、負けず嫌いも多い。
どの議題も、最初は建設的に始まりますが、議論が進むにつれてその先にそれぞれが関わる組織や業務の利害関係がうっすらと見えてくる。あるいはそれぞれが過去に行った判断の是非に関わってくることもある。
すると、建設的だった議論が防衛的になったり、
「だったら、あなたの管轄の**の件はどうなんだ」
的な(反攻のための)反攻に出たりする。
── だんだん本質から枝葉へと議論が散漫になることがあります。いや、それが人間です。
そんな時、MC役は勇気を持って、
「話が本質からずれています。議論を戻しましょう。##は是か非か、その理由は何か、おひとりずつ簡潔におっしゃってください」
というように貨車を軌道に戻す。
もうひとつ、重要な采配があります。
本質からはずれていないけれど、自分の意見にこだわり、膠着状態に陥ることがある。
これは、必ずしも『我』が衝突しているケースばかりではなく、互いが真実、そう信じていることもある。
なぜなら、ある決定によって起こる変革は、それがいかなる変化を引き起こすものであろうと必ずトレードオフがある ── すなわち、メリットもあればディメリットもある。
一方がメリットを訴えるのに対して、他方がディメリットばかり指摘すれば ── いずれもそれなりに正しいけれど……。
一旦そうなると、
『では、メリットとディメリットのどちらが大きいか?』
の議論には入りにくい。
(話はそれますが、国会の議論のほとんどがこれです ── それによる『必要な変革の遅滞』あるいは『ディメリットを封じるための国家予算の無駄遣い』は悲惨なレベルであーる)
『傍目八目』と言いますが、脇で聴いていると、建設的だった議論に『勝ちたい/言い負けたくない』要素が入ってきたのがわかる。
これも人間です。
(Aさんの方が正しいかなあ……)
と思ってもここは、一旦、『クリンチ状態の選手を分ける』のがレフェリーの仕事です。
「水掛け論になってきましたので、この議論はここで一旦、止めましょう。では、一度整理してみます」
として、白板に、それまでに意見の出た、
・(変革によってもたらせれる)メリット
・(同じく)ディメリット
を重要な順に箇条書きにしていき、ディメリットに、
・要対策(その内容)
・軽微/対策不要
などとタグを付けていく……。
(……熱くなっていた人たちもここで頭を冷やす)
あるいは、クリンチがかなり深刻な場合は、
「水掛け論になってきましたので、この議論はここで一旦、ペンディングにして、次の話題に移りましょう」
として、まったく別の話で頭を冷やしてもらう。
その間に、MCのアシスタントが、白板の裏側に上に書いたような『整理』をします。
そして、別の議題をいくつか終えた後で、
「ではここで、先ほどの**議論に戻ってみましょう。役員の皆さんから出されたご意見を整理してみました……」
と白板をひっくり返す。
先ほど熱くなっていた人も、このメリット/ディメリットの軽重/対策表を冷静に眺める余裕ができて、今度はみなさん、改めて建設的な話し合いができる ── というわけです。
『水掛け論』って、ホント、時間の浪費であるばかりでなく、続けることでエスカレートして、人間関係が壊れることもあります。
相手が誰であろうと、
「水掛け論になったのでやめましょう!」
という勇気を持ちたいものです。
自分が当事者で、その場に二人しかいない場合ももちろん、
「水掛け論になったのでやめましょう!」
このnoteでも本質は同じです。
いや、noteこそ、メリット・ディメリットなどに関わる水掛け論は不毛であり、時間とエネルギーの無駄です。
コメント ― コメント返しなどで『水掛け論』になりそうな時は……
まあ、上のセリフ「水掛け論になったので…」はやめた方がいいですね(『対面/口頭』ならいいのだけれど……)。
noteで水掛け論になりそうな場合は、黙って(あるいは『なるほど』ぐらいで)議論を止めるのが最善です。
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