再勉生活! 英語《再勉》!のいきさつ
新卒で入社してから7年後、突如始まった「海外留学制度」に応募しました。
留学候補の募集が個人的にタイムリーだったのは、この半年ほど前から自発的に英語の勉強を始めていたことです。
英語は好きでも嫌いでも無し、という状態で大学に入ったのですが、教養の英語科目は実につまらなかった。理系の学生にはほとんど興味が持てないような(おそらくは教師の専門分野の)本を教科書に使う。どうせなら、ニュートンかアインシュタインの伝記でも原著で読ませればいいものを。
ただ、21歳の時に寝袋とバックパッカーを背負ってひと月欧州放浪(表題写真)をしたことで、外国語ができるかどうかが旅の楽しさを大きく左右する、ということがわかりました。
その後も細々とNHKのラジオ英会話など聞いていましたが、31歳の時にフロリダの国際会議で研究発表するため米国出張の機会を得て、英語能力の重要性をさらに認識するに至りました。
ちなみに、この出張の1年半ほど前に「木村家の人びと」で小説新潮新人賞をいただいており、
「あいつ、会社辞めるんじゃないか」
とささやく人もいる状況で、当時は社内で年に4,5人しか行けない海外出張を上司が命じたのは英断でした。
ある日、事務系のフロアで社員50人ほどが机を並べているのをながめて思いました。
(ここには人事、経理、総務などのキャリアを持つ人がいる。この会社は海外との取引がないから海外特許出願担当以外は英語のことなんて誰も気にしていない。でも、もし今この会社が潰れたら、英語ができる人間から条件のいい再就職先が決まっていくのじゃないかな……)
どの企業も、生産や販売のグローバル化を急ピッチで進めていく時代でした。
目標を「英検準一級合格」に置いて勉強し始めてほどなく、人事課が留学制度をアナウンスしたのです。
プログラムの説明会には、50人ほどの若手社員が集まりました。留学中の社員資格の扱い、昇給や手当の有無など質問に対して人事課が答える形式でしたが、判明したのは、
《まだ、ほとんど何も決まっていない》
ということでした。
説明会は次第に、懐疑的な空気に支配されていきました。
(まあ、そんなもんだろう)
私は端の席に座って、参加者の顔ぶれを眺めていました。
募集要件➀:選考時点で32歳以下であること。
から当然、33歳以上の社員は来ていません。私の同期も参加していましたが、全員がストレートに学校を終えた人間でした。つまり、浪人生活や、私のように留年を経験した同期は来ていない。
これはなかなか興味深い現象で、ひょっとしたら、
(これ以上、人生で無駄な道草を喰いたくない)
という気持ちの表れかもしれません。
私自身は「留年した+1年(小説として発表済で、いずれnoteに挙げます)」を無駄と思ったことはないし、まして何が起こるかわからない未来の留学生活をそんな風に捉えてはいなかった。
いや、この説明会で最も重要だったのは、
(要件ギリギリの《32歳》は、少なくともこの場には私ひとりしかいない!)
ということでした。
つまり、私以外の全員が、自分は来年度もチャンスがある(制度が続けば、ですが……)と考えているはずです。
説明会を支配している、
《懐疑的空気》
とも相まって、おそらくこのほとんどは、
《様子見》
に違いない、と思いました。
つまり、
《本気で試験に臨むのは、私ひとりである可能性が高い》
ということです。
募集要件➁:1次選考試験でTOEFL(旧制度試験)580点相当を取ること。
については、当時会社が契約していた英会話教育会社がクラス分けに使うテスト教材を用いて試験を行うこと、および「閾値に相当する点数」が示されました。
1次選考試験は、その年のGW明けでした。
この頃、貴重なGWの休暇は小説を書くことに使っていましたが、この年だけは妻子を義兄(妻の兄)のもとに《疎開!》させ、ひとり自宅にこもって英語の勉強、特にカセットテープを使ってリスニングのトレーニングを行いました。
久しぶりの《試験勉強!》でした。
この続きは……