空の話(お伽草子三部作)
鷲の話
高い高い岩山の頂、鷲には死期が近づいていた。寿命が尽きようとする のを自分でも感じ、とうに覚悟は決めていた。
羽はあちこち抜け、頭の上は疥癬にかかって汚ならしいかさぶたができていた。かつては刃のように鋭く、他の鳥たちに怖れられた爪さえも、いくつか抜け落ちていた。もう息をするのが辛かったが、それはこの岩山が高いためだけではなかった。雲がはるか下に漂っていた。
鷲は若い頃のことを思い出そうとしたが、頭もぼけて来たのか、どうしても思い出すことができずに、やむなく、やにのたまった目をほんのわずか開いて、どこまでも続く空の色をぼんやりと見ていた。
鷲はもう憶えていなかったが、若い頃、一度だけ、たった一度だけ、自殺をはかったことがあった。ちょっとした偶然から命を落としそこねた鷲は、そのまま今日まで生き続けてきたというわけだ。
小鳥たちや兎を殺し、その肉を食べて生き続けてきたというわけだ。
鷹の話
大空をゆっくりと旋回しながら、鷹は鷲の臨終を待っていた。
鷹は若く、充分力もあった。鷲が死んだら俺の時代だ。心のどこかで早鐘がそう鳴っていた。鷹は心優しい青年だったが、鷲亡き後の未来に大きなビジョンを持っていた。結局それがいけないのだ、と思った。だから鷲が死んでゆくのを俺はこうして心待ちにしている。
確かにそうだった。しかもその夢のような将来への展望は、2番目の地位にいる者のみに許される種類のものだった。鷲が死んだら四散するかもしれぬ夢だった。もちろん気づかぬふりはしていた。
── 俺は鷲のようにはならないぞ。
子供の頃には鷹は、鷲に憧れていたのだ。それはやはり忘れてしまっていた。
鳶の話
大きな糸杉の梢にとまり、鳶はひとりぼっちだった。以前よく一緒に遊んだ鷹がこのごろでは鳶を遠ざけるようになった。子供扱いされることは前からあったが、近頃は明らかに疎んじていた。
いつかこんな日が来るだろうと思っていた。小さな頃から何をやっても鳶は鷹にかなわなかった。少年時代はよく競争をしたものだ。いいかい、ここからあの山の樅の木までどちらが速く飛ぶか競走だよ。
けれど、何度かくりかえすうちに鳶は決して鷹に勝てないことがわかり、いつかこんな競走はしなくなった。いつも早く着く鷹が太い枝にとまって、飛んで来る鳶を待つ、その目が鳶にはたまらなくいやだった。
いつか鳶は鷹にへつらうようになった。鷹も鳶を見くだすようになった。そしてしばらく前から、鷹はひとり、何事か考えていることが多くなった。そんな鷹に鳶は近づけなかった。
鳶は鷹の姿を遠目に見ながら、ちぇっ、と舌打ちすることが多くなった。
百舌鳥の話
晩秋のタ暮れ、枯木で百舌鳥が震えていた。二日前から何も食べていなかった。空腹をかかえ、西の山に沈もうとする柿色の日を恨めしげに見ていた。
秋が深まりゆくにつれ、蛙や井守は地へもぐり、昆虫たちは産みつけた卵に次代を託して死んでゆく。死んだ鈴虫や蟋蟀のからだは苦力のような蟻たちに引かれてやはり地中に消えてゆく。百舌鳥に残された食糧となる小動物の数はめっきり減った。
このままでは餓死してしまう。鷹や鳶のような肉を引き裂く強い嘴があったらなあ。そしてもっと体が強く翼も大きかったらなあ。眠らないで冬を越す鼠や兎の子でも捕えて食うことができるの に……。それどころか、仲間の鶫や頬白でさえ! そこまで思ってさすがに己の浅ましさを恥じた。
ちょうどその時、眼下の土中から少し顔を出したミミズを目ざとく見つけ、百舌鳥は枯枝を蹴った。
雲雀の話
表畑の中に営まれたささやかな巣の中で雲雀の子供がいま卵からかえった。5個抱いた卵が予定日を過ぎてもかえる気配がなく、母鳥が諦めかけた日に生まれた子だった。母鳥の喜びは大変なもので、まだ目もあかないその子のためにさっそく餌さがしに飛びたった。3日もすると雲雀の子には柔かな毛が生え始め、黒目がちな目も開いた。
けれど、彼の兄弟になるはずの卵は相変わらず艶のないなま、ぴくりとも動かなかった。つまりは死産。母鳥はその原因を知っていた。
母鳥が1日に1個ずつ卵を生み、5個の卵が柔らかな床の上に揃い、夫と共に幸せな抱卵生活が始まって7日ほどが過ぎたある朝、1羽の大きな鳥が突然この巣を襲ったのだ。
その鳥の名は知らない。ちょうど餌さがしに野に出ていた夫、すなわち父鳥がこの怪しげな鳥に気づき、巣から気をそらせるため、その鳥の前を横切って北の空に高く飛んだ。大きな鳥は父鳥のあとを追った。
あやうく危機をのがれた母鳥は卵を抱いたまま、夫の身を案じた。どうか無事に帰って来ますように。母鳥がまんじりともせぬ一夜を明かして迎えた朝になっても、父鳥は姿を見せなかった。
母鳥は居ても立ってもいられなくなり、卵を巣に残して北の空に飛んだ。羽も折れんばかりに飛びまわり、捜し続けた。半日捜してようやく見つけた ── 畑のあぜの横に無残にころがった夫の首を。
あの大きな鳥に食われたのだ。母鳥は狂ったように泣いて泣いて泣いた。それからようやく思い立って夫のむくろにかぶせてやる大きな葉を取りに行った。
帰って来ると百舌鳥が夫の首をつついていた。母鳥は猛然とおどりかかり、驚いた百舌鳥は逃げて行った。
母鳥は型どおりの葬いを終えて巣に戻った。そして初めて、抱いていた卵を半日以上も放っておいたことに気づいた。卵は冷たくなっていた。だめかもしれない、もう私たちの子供たちはみんな死んでしまったかもしれない──殼の中で。母鳥はまた嘆かなければならなかった。自分の愚かさに腹が立った。けれどその冷たくなった卵を抱き続けた。5個の卵が、5羽の子供たちがもう死んでしまっているとしても、こうやって抱いて暖めてやるのが私のせめてもの母親としてのつとめだ。そう思って予定日が過ぎても抱いていたのだ。
だから子雲雀が生まれた時は本当にうれしかった。それだけに夫と、ひいては4羽の子を殺した鳥が憎かった。けれど、その鳥の名は知らず、ただ、百舌鳥が夫の首をつっついていた光景だけが目に焼きついていた。母鳥は幼い子雲雀の耳もとで毎日、殺人者の名を囁くようになった。いいかい、お前の父さんと兄弟を殺したのは百舌鳥なんだよ、百舌鳥が殺したんだよ……。
けれど子雲雀が成長するにつれて母鳥は次第にそのことの無意味さを悟った。雲雀と体長の変わらない百舌鳥が夫を殺して食べるはずがない事に気付いたせいではない。母親のいない半日の間冷たい空気にさらされ、殼の中で死神と戦い、生死の間をさまよっていたこの子雲雀は、やっとのことで一命だけはとりとめたが、生まれつき知能がきわめて低かったのだ。
母鳥の涙は涸れていた。
<空の話・了>