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雨天の体育授業で小学生に怪談を語る教師「本当に怖いのは幽霊なんかじゃない ── 人間だ」

T先生(♂)は小学校4年の1年間、学級担任でした。
それだけではなく、今から思えば教育大学で地学を専攻していたのでしょう、学内で『天文地質クラブ』を創設し顧問を務めていました。
私も5年になるとこのクラブに入り、ハンマーとタガネをリュックに入れ、先生の引率で日曜に化石や鉱石採取の日帰り旅に出ました。
・化石の町『岐阜県瑞浪』貝やサメの歯など
・石灰石の山『赤坂金生山』フズリナやアンモナイトなど
・『可児川の河原』珪化木とその中にあるオパール
・『板取川』柘榴石ガーネット
こうした標本を採取して家に持ち帰り、整理していました。
この先生の指揮で、彼が収集した人の頭ほどもある流紋岩、安山岩、玄武岩など、様々な石を校庭の一画にコンクリートで固定し展示する『岩石園』を作ったこともありました。

とにかくT先生は『鉱物・化石』分野の教育に熱心で、私を含む『天文地質クラブ』メンバーの何人かが、名古屋大学で開かれた学会で発表講演をさせたれたことまでありました。
── あれは、教育関係の学会だったのか、それとも地学関連学会中の教育部会のような場なのか、先生が亡くなった今ではもうわからない。
どこかに書いたけれど、私が工学部に進学後、セラミックス/無機材料の研究開発を生業なりわいにしたのはこの頃の体験が『刷り込まれ』ているかもしれません。
同じクラブの同級生に『ブラタモリ』や『さかなクンがやってきた!』にも出演した地質学・古生物学の先生(当時:茨城大学教授)がいますが、やはり小学生時代の『刷り込み』が関係していると言っていました。

T先生は教育熱心なあまり、悪さをした男子は(私を含め)よくビンタされたものです。休日にクラブ員を引率して化石採取に行くような熱意と家庭とのバランスに問題があったのかどうか、この後、離婚も経験された。

さて、当時体育館などというものはなかったので、雨が降ると体育の授業は流れた。担任によっては、例えば算数や国語など他の授業と振り替えて遣り繰りした先生もいた。
T先生の流儀は異なり、雨降りの薄暗い教室で、怪談話を始めるのだった。当時30代半ばぐらいだったと思う。

「今日はどうしようかな。また怖い話をしようか?」
先生が尋ねると、男子の多くは喜び(臆病者は少なくとも喜ぶふりをした)、一方、女子の半数近くは、
「キャーッ、やめてえ!」
と声を上げた。

T先生の怪談は二通りあり、どこかで聴いたような幽霊話や怪奇譚をそれらしい声色で語るオーソドックスなもの、そして、
「これは本当にあった話だけど……」
と始めながら、そのクライマックスで突然、
「オマエだろう!」
など誰かひとりの肩を叩いたり揺さぶったりして、
「ギャーッ!」
と叫ばせて終わるパターン。
後者は本当に心臓が止まりそうになる ── ビンタはもちろん、この怪談話も、今ならレッド~イエローカードでしょうね。

4年の担任が終わる頃だったか、やはり雨天の体育授業で怪談話をした後、T先生はポツリと、
「本当に怖い話はキミらにはまだしていない」
と告げた。
どんな話?話してよ、と何人かがせがんだけれど、
「いや……それはできない……怖すぎるからなあ」
そして ── 続けた。

「本当に怖いのは幽霊なんかじゃない ── 人間だ」

こわばったその表情を見て、子供たちはもう、話してくれ、とせがめなくなった。それ以上踏み込んではいけない何かを感じたのだろう。

小学校を卒業し、最初は年賀状を出していたT先生とも疎遠になっていった。

そして、ふとした機会に、彼の言葉を想い出すことがあった。
(本当に怖いのは人間 ── あれはどういう意味だったのだろう?)

中学の終わり頃か、高校生になってからか、横溝正史を読み始めた。そして、『八つ墓村』の文庫本解説に、この小説は戦時下に作者が疎開した岡山県で聞いた過去の事件がヒントになったと書かれていた。

「岡山県 ── 確かT先生の出身は岡山県の津山だったはず」

そして調べ始め、『八つ墓村』の下敷きになっているのは、昭和13年に起こった『津山三十人殺し』事件であることがわかった。
この事件の犯人は、近隣の民家11件に侵入し、住民を猟銃や刃物で次々と襲い、1時間半の間に28名を即死、5名に重軽傷を負わせた(そのうち2名が間もなく死亡した)。
(2019年の京都アニメ放火殺人事件までの81年間、最多の犠牲者を出した事件だった)

昭和13年 ── 昭和ひと桁生まれのT先生は小学生ぐらいでしょうか。近隣の集落で起こった大量殺人事件はおそらく、幼い彼の心に強烈な恐怖心を与えたことでしょう。

「本当に怖いのは幽霊なんかじゃない ── 人間だ」

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