便利な言葉だからか、使われ過ぎじゃないの?『寄り添う』
私だけだろうか? ── 最近、とても気になる言葉がある。
《寄り添う》
使われ過ぎの『魔法の言葉』になってやしないだろうか?
例えば、ジャニーズ騒動の際に、所属する人気タレントの発言に:
── ファンに寄り添う
大きな災害が起きると、報道やコメンテーター、いや、災害とまったく無関係なスポーツイベントのインタビューや映画・ドラマ発表会見中にも頻発する:
── 被災地(の人たち)に寄り添う
サービス産業が使いたがるのが:
── お客様に寄り添う
医療関係者はもちろん:
── 患者に寄り添う
教育関連政策を議論する時は必ず:
── 子供に寄り添う
── 子供の気持ちに/心に寄り添う
「寄り添う ── いいことじゃない!」
「何絡んでるの、このオッサン?」
── あなたはそう言うかもしれません。
でも、例えば15年前、この言葉ってあまり耳にしませんでしたよね?
特に芸能関係者がよく使います。
例えば、松本人志氏の疑惑とそれに関わる活動休止に対して、吉本興業前会長の大﨑洋氏が発言しました。
吉本興業の対応方針発表の中にも表れています。
では、この言葉がどうしてこんなにも愛用されるようになったのでしょうか?
まったくの私見ですが、
具体的な行動や意見を明記しなくて済む
からではないか、と思います。
ネット ── 特にSNSが普及した現在、何か具体的なことを書いたり言えば、称賛する人もいるでしょうが、必ず揚げ足を取る人がいる。
『善行』と褒め称える人が大多数でも、『偽善だ』と貶すひねくれ者が声高に叫ぶ声もあり、それにうっかり反応すると、反応した側が炎上することもある。
ならば、
揚げ足を取られないよう、具体的な情報を一切含まず、けれども「相手/対象に『共感』はしている」
とだけは言いたい
── そんな時、こんな便利な『魔法の言葉』はありません。
その気持ち、わからないでもないですが、これほどまでに頻発すると、
「とりあえずコレ使っとけ」
的雰囲気も感じてしまうのです。
ネット/SNSの普及が日本語を、ある形に変えていく ── のを感じます。
《寄り添う》
── これももう、『常套句』辞典に入れていい!