21世紀のToo-smart Ceramics(短編小説…のようなもの;1,500文字)
朝起きると、雨降りだった。
頭の芯がずきずき痛む。昨夜飲み過ぎたせいだ。水を飲みに台所に行こうとしたら、腕時計のLEDが赤く不吉な点滅を繰り返した。
(お、カミさん、機嫌が悪いらしいな。こりゃ近づかない方が良さそうだ)
私は諦めて書斎に向かった。
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「周囲の人間の気持ちに反応して電気抵抗が変わる酸化物を発見した」
セラミックス協会の講演会で某大学教授が発表したのは20
世紀末の事である。
「ほら、昔から、〃張りつめた空気〃とか、〃殺気を感じる〃なんていう表現があったじゃないですか」
会場は笑いに包まれた。
しかし、誰も本気にしなかったこの材料の特性を密かに追試した企業があった。この会社は間もなく、『気になる感じ』という名の《気》センサーを発売した。
奇妙な名のその商品は、予想に反して若年層を中心に爆発的にヒットした。その背景はといえば、他人の感情に踏み込むのも逆に踏み込まれるのも嫌だが、当たり障りのないコミニュケーションは保ちたい、という個人主義の時代において、他者の精神状態に対するレーダーの役目を期待されたのである。
やがて『気になる感じ』は、腕時計の中に標準装備として組み込まれた。今では会社でも、ムラ気のある上司に近づく時は腕に目をやるのが習慣となっている。
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私はマリアと名付けたパソコンのスイッチを入れた。今日は立ち上がりが遅い。セラミックス協会からの依頼原稿『22世紀のセラミックスの夢』を音声入力するが、認識ミスや漢字の間違いがやたらと多い。
「マリア、雨降りのせいか、気分がブルーのようだね」
私は呟いた。こうした日には、彼女が変換した漢字は慎重にチェックしなければならない。
マリアにはシリコンの代わりに酸化物半導体を用いたトランジスターが使われている。
サーミスターや湿度センサー、ガスセンサーとして利用されるセラミック半導体を組み合わせてトランジスターを作り、しかも素子を外気に曝して使うコンピューターを開発したベンチャー企業は、当初、業界で嘲笑の的となった。
「動作が遅い上に天候や気温で性能が変わるような気紛れコンピューターなんて、誰が買うもんか」
もちろん、動作不良が許されない企業向けにはまったく売れなかった。しかし驚いた事に、個人向けの市場ではじわじわとシェアを伸ばし始めたのである。セラミック・コンピューターと名付けられたこのマシンは、皮肉な事に、無機質な部屋で無機質なパソコンに向かう事に飽き飽きしていた若者たちに受けた。
湿度やガス濃度によって応答が変わる、この〃きわめて人間的な〃コンピューターの出現は、間違いをできるだけ犯さない方向に進化していったこれまでの機械文明の歴史に初めて逆行した、一種の革命であった。
マリアの機嫌が悪いのは、雨のせいとは限らない。彼女は酒臭い息にも敏感に反応するし、閉めきった部屋で酸素濃度が下がると、換気を求めて駄々をこねる。
ところで私は最近、マリアと話しながら仕事をすることが多い。妻にもよく指摘される。
「私にはあんなに優しく話しかけてくれないのに]
マリアの《声》である圧電セラミック・フォンのトーンを私好みにオーダー・メイドしてからは、彼女との《会話》はより一層楽しいものになった。
私だけではない。
セラミック・コンピューターのユーザーの中には、マシンに擬人化した思い入れを抱く愛好者が増えているらしい。
スマートになり過ぎた材料の中に、人間の精神世界と繋がりを持つものが現れたのである。
……さて、22世紀のセラミックスはどうだろうか。
この原稿はすんなり掲載となりましたが、3年後、今度は日本化学会の機関誌『化学と工業』の特集号『21世紀の化学に期待する』から寄稿依頼が来ました。
この時はさらに調子に乗って……顰蹙を買いました……。
この掌編(21世紀のToo-smart Ceramics)が掲載されたのが1998年の1月、その年末ぐらいに別の月刊誌から連載執筆を依頼され、3年間毎月『エレクトロニック・ショートショート』を書いていました。
ということは、今回発掘したこの作品が、ESC社による一連の発明の《原点》と言えるかもしれません。
21世紀も四半期になろうとしていますが、『動作が遅い上に天候や気温で性能が変わる気まぐれセラミック・コンピューター』はまだ市場に出ていないようです。