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達摩ストーブにコークス補給という『仕事』

寒くなりました。
先日、小学校の体育館で防災訓練があり、久しぶりに母校の門をくぐりました。私の在学時は建っていなかった体育館にガスストーブが数台点いているのを目にし、かつて冬の教室に置かれた鋳鉄製の達摩だるまストーブを想い出しました。

小学校では、学級委員や輪番の日直の他に、多種多様な『係』がありました。
花壇の世話をする園芸係、ウサギ小屋の餌や掃除を担当する飼育係などは命あるものたちの面倒を見る責任の想い仕事でした。一方、給食当番、掃除当番などはけっこうな頻度で回ってきましたね。

日直の仕事は黒板に日付や曜日を書くこと、授業の後黒板を消すこと、学級日誌を書くことぐらいですたが、冬はこれにストーブ関係が加わります。これがかなりの労働でした。

朝、冷え切った教室で、さらに冷え切った達摩だるまストーブの下の口を開けて前日の『ガラ』をスコップで取り出す。このガラをバケツに入れてガラ捨て場に持って行き、その帰りにコークス置き場からバケツ1杯のコークスを持ってくる。
ガラ廃棄場もコークス置き場も校舎から離れているので、この運搬作業も小学生にはけっこうな労働でした。しかも、冬の朝は凍てつくように寒い。当番ふたり、かじかんだ手を両側から伸ばし、金属製のバケツを持ちました。
そして、教室まで運んだコークスを、当然まだ冷たいストーブに補給する。
新聞紙や少量の薪を使ってコークスに火を点けるのは、担任の先生の役割でした。そのようなプロセスを経て、ようやく達摩だるまストーブがじんわり熱を帯びて来る。

多くの『輪番』や『係』の中で、この『コークス補給』が一番『ブルーカラー労働』に近く、基本的には『座学』という『ホワイトカラー労働(というのは変かな?)』に従事している児童にとっては異質の作業でした。

(うーむ。あの『コークス補給』、子供たちにとってとても重要な教育だったのではないか?)

園芸係や飼育係のようにコークス係を置くわけではなく、日直に ── つまり輪番で全員に ── 担当させるというのも、この『教育効果』を考慮したものではなかったでしょうか?

「『仕事』だとしたら、『報酬』が要るのでは?」
── いい着眼点です。『報酬』はありました。
例えば、給食の時に達摩だるまストーブの上に食パンを載せて『トースト』にする ── この順序の1位が、燃料であるコークスを運んで来た日直でしたね。
お腹を空かせた児童が冷たいパンにかじりつくのを横目に、『労働対価』である焦げ目のついた熱いトーストに載せたマーガリンがじんわり溶けていくのを眺めたものです。
どのクラス、どの学校でもそうだったのかはもちろんわかりませんが、
《労働に対して『報酬』 ── この場合は『便宜』 ── を受ける》
そこまで含めての『労働教育』だったのかもしれません。
少々深読みすぎるかな?

ちなみに、私の家では子供たちの小遣いを与える代わりに風呂洗いのような『労働』を課していましたね。

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