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ありえたかもしれない人生



――ひとの人生は、過去に成し遂げたこと、
現在成し遂げていること、
未来で成し遂げるかもしれないことだけではなく、
過去には決して成し遂げたことがなかったが、
しかし成し遂げる《かもしれなかった》ことにも支えられている。
そして生きるとは、成し遂げるかもしれないことの
ごく一部だけを現実に成し遂げたことに変え、
残りのすべてを、つぎからつぎへと容赦なく、
仮定法過去の成し遂げられる《かもしれなかった》ことのなかに押し込めていく作業だ。
そして、35歳を過ぎると、
その成し遂げられる《かもしれなかった》ことの貯蔵庫は、
じつに大きく重くなってしまう。
    ――――『クォンタム・ファミリーズ』東浩紀


▼▼▼北海道に来ると考えること▼▼▼


7月末から北海道に来ている。

僕は北海道に来るといつも、
過去の自分の延長線上に、
「いたかもしれない自分」の姿を探す。

確か去年の秋に岡山に行ったときも、
もしかしたら愛知県でも、
こんなことを書いたような気もするけれど、
僕には「故郷」がない。

第一の故郷がない代わりに、
第二の故郷が複数あって、
それが愛知県だったり岡山県だったり北海道だったりする。

東京は先週も書いたけど、
僕は「東京にいる人」にはなれても、
「東京の人」にはどうやらなれそうにないので、
「故郷」という感じには今後もならない気がする。

捕囚のイスラエルの民にとってのバビロンみたいなものだ。
とはいえ預言者エレミヤ曰く、
「そこで結婚し、子を産み、果樹園を育て、
その街の繁栄を祈れ」(エレミヤ書29章)ってことなので、
僕は東京のためにお祈りしながら東京で暮らしている。
ファラオ小池改めネブカドネツァル小池の祝福のためにも、
僕はお祈りしているのだ。
多少は褒めてほしい。

東京はそんなわけで「特異点」なのだけど、
第三の故郷にはシカゴとか沖縄とか佐賀とかがある。

シカゴは2歳から4歳まで住んでいた。
佐賀は父親の故郷で、
「陣内」という名字は、
全国で佐賀県に一番多い。

なぜ沖縄?

これはまた別の理由があるのだけど、
いつかまた別の機会にでも。

さて。

僕には「第一の故郷」がないわけだけど、
「第二の故郷」を訪れるとき、
僕は「自分の破片」みたいなものを拾い集めるのだ。
その破片は自分がかつていた場所に落っこちている。

山崎まさよしの名曲になぞらえるなら、

「明け方の街 路地裏の隅
 旅先の店 新聞の隅
 急行待ちの 踏切りあたり」

こんなとこにいるはずもな……
いやいるのだ。

僕の破片が、
そこかしこに落ちている。
それらを僕は考古学者のように拾い集めては、
それらを「復元」する。

「この破片」から復元すると、
おそらくこんな姿形の恐竜が生きていたのではないか。
CGでシミュレーションするように、
僕はその破片から「ありえたかもしれない自分」を、
そこに立ち上がらせるのだ。

「失ったものを嘆く」とかでもないし、
今の自分とそれを比較してどうこう、
という話でもない。
生産的でもないけれど、
後ろ向きでもない。

いや、むしろこれは前向きな作業なのかもしれない。

そんなことを今日は考えたい。


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