さようなら、すべてのお笑い
日常的な形でそれが現れるのは「笑い」です。
ベルクソンが言うように、笑いというのは、
人間の認識の限界に達したところから出てきます。
怖いときに笑うし、悲しいときに笑うし、嬉しいときにも笑う。
そうすると、お笑いがブームになるというのは、
本来は宗教が機能しないといけないようなところを、
キリスト教が機能しないといけないようなところを、
お笑い芸人にゆだねているということなのですね。
ですから最近、極力笑わない努力をしようと思っています(笑)。
――――『現代に生きる信仰生活』佐藤優 149頁
▼▼▼お笑いを見なくなった▼▼▼
最近、僕はお笑いを見なくなった。
2019年の吉本の闇営業事件のあと、
かなりお笑いから距離を取るようになり、
今年の松本人志の性加害問題で、
一気にお笑いを見る意欲を失ってしまった。
多分それでも今年も『M-1グランプリ』は見ると思うし、
『キングオブコント』も見るのだと思う。
芸人の深夜ラジオは今も大好きだし、
「お笑い芸人」という生き方に惹かれているのは今も変わらない。
けれども、テレビのお笑いを見たい、
とまったく思わない自分がいる。
これはいわゆる「キャンセルカルチャー」みたいなやつかというと、
そうでもないから自分でも驚いている。
松本人志的なミソジニーとかホモソーシャリティには嫌悪感があるが、
だからといってそれに社会的に抗議するために「お笑い見ません!」と、
意思表示をしているわけではまったくない。
これは何なのだろう、と思うが、
自分でもまだ分からないのだ。
分からないから文章を書いてみようと思う。
文章を書いた結果、
それでもまだ分からないかもしれないわけだが、
たいていの場合、
書く前よりも書いた後の方が、
「きっとこういうことかな」という答えに近くなるので、
僕なりに自己分析をしてみようと思っているわけだ。
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