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け 『剣道』
剣道を習っていた。僕の両親の子育ては比較的「放任主義」だったのではないかと思う。塾なんて行ってなかったし、習い事もしていなかった。今は企業団地自体あまり見なくなったが、昭和の一部上場企業の団地というのは親がおしなべて高学歴だった。たぶん一種国家公務員の宿舎とかが今もそういう状況だと思うのだけど。団地の友人が3人いると、(僕の父を含む)1人は父親が東大卒で、あと1人は京大か阪大で、残りは早稲田か慶応って感じだった。これは誇張しているのではなく、本当に。そうするとその妻たちは当然(?)多くは大卒かつ教育熱心なわけで、僕が遊んでいた団地の友だちは小学校高学年ぐらいになると歯が抜けるように一人、また一人と、夕方のキャッチボールやサッカーから抜けていった。塾が始まったのである。
最後まで残ったのが僕と弟だった。つまり僕の母はあまり教育熱心でなかったのだ。いや、教育熱心だった。だが、他の家の母親ほどには、「塾に通わせる」といういうことにこだわっていなかったのである。その判断は正しかったと断言できる。お父さんが東大卒で母親が教育熱心だった隣の家のMくんも早くから草サッカーを抜けた。つまり遠くの塾まで熱心に通い始めた。中学の段階で受験し、僕たちが行った偏差値が低く不良が支配する公立校とは別の私立中学に行った。風の噂で、良い大学には行ったそうだがその後、統合失調症に苦しみ、社会生活もままならないと聞いた。彼の病気と受験や教育が関係しているかどうかはもちろん分からない。分からないが一つ言えるのは、僕の周囲の、親の強烈な期待と受験戦争の組み合わせに曝された人は軒並み、その後の人生で大きな挫折感と劣等感と低い自己評価に生涯苦しめられる傾向にある。教育ママは善意の固まりなので、その善意が万力で手の指を潰すように子どもの内面の何かを潰していても、その力を緩めることができないのだ。
剣道の話に戻そう。感謝すべきことに僕の母は僕を塾に無理矢理やらせるようなことはしなかった。おかげでたくさんの豊かな友情体験を僕は小中学生のときにもつことができ、それは今も自分の人生の滋養になっている。しかし、ひとつだけ習い事をしていた。それが剣道だ。
僕は小児ぜんそくだった。本当に苦しかった。母はできることをすべて試した。小学生の頃、なんか家の飯もおやつも不味かったのも、きっとこれが原因だ。薄い調味料、玄米、砂糖があまり入っていない味気ないクッキー、母親が「ぜんそくに良い」ということを全部実践していたのだ。母親の愛の結晶は、僕にとっては不味い飯として記憶されている。親の心子知らずなのだ。剣道も、母親が何かで読んだのだろう。おそらくは剣道は姿勢を良くするから、胸腔が広げられ、肺活量が上がるので小児ぜんそくに効果的、とかそういう類いだと今なら類推できる。
でも、僕は剣道が嫌いだった。とんでもなく嫌いだった。防具が、特に小手がクサい。冬は異様に寒い体育館で正座させられる。「そんきょ」っていう姿勢は拷問のように辛い。夏は暑い。小手はクサい。僕が好きになる要素は何もなかった。あと、僕は人を叩いたり人に叩かれたりするのが好きではない。こう見えて心優しい人間なのだ。地獄のように口は悪いが、心の奥底は優しいのだ。だから叩いたり叩かれたりしたくなかった。あと、小手がクサい。でも『武蔵の剣』という当時流行っていた漫画を読みながら、僕は母親と約束した年まで我慢して剣道に通った。
大人になった今、僕は筋トレをしている。他の部位より、心なしか背筋と上腕三頭筋が発達しやすいように思う。これは剣道でたくさん使う筋肉だ。恩恵は受けている。ありがとう、お母さん。
追伸:小手はクサい。
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