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師について【前編】
師を真似ることを求めず
師の求めたものを求めよ
――――松尾芭蕉(空海とも言われる 諸説あり)
▼▼▼人生は「師」と「友」だ▼▼▼
僕は出会いに恵まれてきたほうだと思う。
手持ちの肩書き/組織/地位/富/知名度といった、
自らを保証する「社会的武装」がマジでまったくない。
47歳の中年になってこれはさすがに心細くなる。
「ドラクエ」で最初の中ボスまでなら、
「たびびとのふく」と「ぬののぼうし」でも、
「まぁそういうヤツいるよね」なんだけど、
ラスボス討伐に向かうラストダンジョンでもまだ、
「たびびとのふく」と「ひのきのぼう」だと、
さすがに心細い。
キラーマシンにワンパンで殺される。
僕はそういう心持ちで生きている。
多分僕は自らの「運」というかパラメータというか、
そういったものを「自らを武装するあれこれ」ではなく、
「出会い」に全振りしてしまったのかもしれない。
その結果、僕の人生はこれまで、
本当に多くの良い出会いに恵まれてきたと思うし、
今後も恵まれ続けるのだろうという予感がある。
この「出会いの恵み」は、
もちろん生まれたときからそうなのだ。
父や母や姉や弟という出会いも出会いだとするなら、
僕はすばらしい人々に囲まれて育ったと思う。
家族は皆、僕よりも人格者で立派だ。
そして幼少期や学生時代や社会人初期も。
友人、先生、同級生、同僚、職場の先輩、上司。
僕にはもったいない素晴らしすぎる人々の顔が、
北斗の拳のワンシーンのように夜空に浮かぶ。
しかし本格的にその恵まれ方が加速したのは、
30歳頃からなのだが、
それは僕が公務員を辞めたときと重なっていて、
おそらくこれは偶然ではない。
つまり僕が「地方公務員」という今の世の中で、
社会的信頼/収入の安定性/後ろ盾する組織としては、
最強クラスの地位/立場を自ら辞したとき、
つまり「はぐれメタルのよろい」を脱ぎ捨てたときから、
僕はやたらと素晴らしい仲間に出会い始めたのだ。
今は親友でもある妻との出会いもそのひとつだ。
地方公務員を辞めて最高に良かったことのひとつは、
妻と出会えたことだから。
とにかく素晴らしい人々に出会ってきた。
僕は自分のことは自慢できないけれど、
自分の友人のことは延々と他者に自慢できる。
自慢されても鼻白むだろうかしないだけで、
しようと思えば永遠にできる。
本当に素晴らしい人々なのだ、僕の友人たちは。
そして思う。
結局人間の幸せというのは、
「誰と出会うか」なのではないかと。
配偶者や子どもとの出会いってのもあるから、
他にももちろんあると断った上で、
極論すれば人間が出会うべき最重要な出会いというのは、
煎じ詰めると「友」と「師」の二種類なのではないかと思うのだ。
なんか「論語」みたいになってきたけど、
今日は「師」について考えてみたい。
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