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映画「正欲」をみて。浮かび上がる2つのメッセージ

前提としてこの話は「普通」と「異常」の2軸で描かれています。その中で私が優れていると思った点は2点あります。

1点目は、「異常」として作品で扱われている人々が、「普通」を理解しようとした点にあります。

それは人に対して性欲を持たないガッキーが性行為を体感してみようとしたところに現れています。昨今では「多様性」という耳障りのいい言葉に乗じて、様々なルール改正や法改正が恣意的に行われています。(LGBTQなど)

その中で作者が、あえてマイノリティがマジョリティを理解しようとする描写を描いたのはとても秀逸だと感じました。(それこそが多様性であるべき)

また、作中に描かれる異常とされる人々が、社会規範(社会では正常)と思われている事柄に葛藤しながら立ち向かう姿勢に、みんな違ってみんないい理論の様な生温差がなくて好感が持てました。(性欲持たない男女同士が戦略的に籍を入れたりするシーンなど)

2点目は正常だからといって必ずしも幸せになれるとは限らないことが表現されている点です。

作中の終盤の部分になりますが、冤罪をかけられた異常者を夫に持つガッキーは、容疑をかけられた夫を待ちづけると力強く宣言しました。

一方で稲垣(正常)は、最終的に離婚調停にまでなってしまうという悲惨な末路が描かれています。

ここから読み取れることは、世間の憧れる家庭を手にしたのは、正常者でなく異常者側だったのです。ここに作者の皮肉が込められている気がしてなりませんでした。大変驚かされました。

私の解説はここまでにして、まだ鑑賞していない方は劇場に足を運んでいただければと思います。他にも思いが込められたシーンがたくさんあるはずです。是非一緒に語りましょう。

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