写真史の稀書・奇書・寄所(8)ー『A History and Handbook of Photography』
本の佇まいに直結する装丁を見ていくのも、稀書を収集する上でのたのしみだ。19世紀のなかばのフランスとイギリスを例にとって比べてみると、フランスではほとんどが革装丁またはコーナーと背だけ革の半革装がおおい。
というのも、フランスでは本はカルトナージュと言われる暫定的なペーパーバックとして売られ、購入者は自分でルリユール(装丁家)のところにもっていって装丁をしてもらう。つまり、おなじ本でもおなじ装丁のものはない。ドレスは所有者のお気に召すまま。
いっぽう、イギリスではクロスが主体のハードカバーで最初から版元でデザイン・装丁されている。いまわたしたちが知っている流通形態のハードカバー本とほとんど同じスタイル。ここにそれぞれのおもしろさがあるわけだけれども、イギリスの本の場合は、さすがに100年を超えるとクロスが破れたりして、状態が悪いものも多い。あと、やたらベタベタする。
フランスのルリユール本の場合は装丁し直すこともありなのだが、イギリスの本は基本的にオリジナルであることに意味があるので、やはり美本に出会うのは一朝一夕にはいかない。
さて本題。フランス、日本の本を何回か紹介したので、ここからは何回かイギリスの本を紹介したい。今回はガストン・ティッサンディエの『写真の歴史とハンドブック』(1876年)。まずおおまかに性格をつかんでみると、19世紀の写真技術のハウツー本の典型といっていい。前も言及したことがあるが、この時代の写真本、あるいは百科事典の写真の項目などを開いてみると、その大部分は写真の歴史+技術解説から成り立っている。
出版社はロンドンのサンプソン・ロウ=マーストン=ロウ&サール。1848年にサンプソン・ロウ=サン&カンパニーとして設立され、何度か経営体制の変革を経て、最終的には1879年にサンプソン・ロウ=マーストン=サール&リヴィントン社となる。美術史や写真史ではよく見かける出版社だ。
この本の最大の特徴は、実は翻訳本というところにある。原書はパリのアシェットが1874年に出版した『写真の驚異(Les merveilles de la photographie)』。いずれ紹介しようと思うが、19世紀フランスでは『写真の驚異』とか『驚異の発明』といった書名の、僕は勝手に「メルヴェイユもの」と呼んでいる写真関係の本が何冊かあって、そのうちの一冊の英訳ということになる。
19世紀にこうした本が翻訳されるというのは実はめずらしい。例外的にダゲールがダゲレオタイプを公表したと同時に売りだした『ダゲレオタイプとディオラマの歴史と手順』は数カ国語に翻訳されるが、これは歴史上初めてでてきた写真という技術のインパクトを考えればどうぜんだろう。こんかいこの記事を書いていて思ったのは、これが史上初の写真ハウツー本ということになるが、その記念すべき一冊目からして写真の歴史(といってもダゲレオタイプの発明経緯だけれども)+技術解説のスタイルをとっていることだ。つまり、歴史+技術解説は19世紀の写真技術書のオーセンティックなスタイルだといえそうだ。
第一部の歴史的記述の部分にかんしては、フランスもイギリスも自国に写真発明の優先権があることを主張する傾向にある。ティッサンディエもフランス人なので、イギリスのトルボットにかんする記述はなく、ニエプスとダゲールについての記述が厚い。まだ一貫した写真史を編むという人文学的な方向は確立していないので、翻訳にも一定の歴史的意義も見出せる。だが、やはり一番当時の人々にとって重要だったのは第二部の技術解説だったのはいうにおよばない。
19世紀の標準的に使われる写真技術はかなり塗り替えのスピードが早く、1870年代ともなると、標準的な技術だけでもダゲレオタイプ(1839年)、カロタイプ(1841年)、ウェット・コロジオン(湿板写真)(1851年)とかわっていき、原書が出る74年にはドライ・プレート(乾板)なども出てくるころだし、ほかの特殊な写真技術などもあり、技術解説もかなりこみいってくる。(*カッコ内の年号はそれぞれの特許がとられた年)
もちろん、それらも順をおって図版付きでていねいに解説されているのだけど、同書のなかでいかにもフランス語原書だなと思わされるのは、琺瑯(エナメル)写真の技術が解説されていることだ。この技術は、フランス写真協会とリュイーヌ公爵の出資ではじまった"新しい写真印画技術発明コンテスト"の成果として登場してきたものだ。これは、1850年代にいわゆる古写真でおなじみの鶏卵紙(卵白で紙をコーティングした印画紙)が登場して広まった背景で、すぐに褪色するという問題点があったために開始された年限なしのコンクールだ。
1850年代末にラフォン・ド・カマルザックという人物が発明し、一時はかなり注目された。美術雑誌『ガゼット・デ・ボザール』が初めて写真関係の記事として載せたのもこの技術についてである。もっとも、強いかわりに一点しか作れない特殊技術だったので、のちには陶器に写真を焼き付ける工芸的な技術として注目されていく。ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館にはカマルザックが制作したエナメル写真のティーセットがある。(下の写真)
カマルザック制作の琺瑯写真の技術を使ったティーカップとソーサー (©︎Victoria & Albert Museum)
1世紀半前の本にしては僕は自分の本はかなり綺麗な部類だとおもっているが、やはりイギリス本、醍醐味はオリジナルのカバーであることだ。凝っているのは、表紙の不思議な箔押し。じつはこれ、ウェット・コロジオン法の種板(ネガ)を作るために薬品を板ガラスに垂らす所作というマニアックなもの。中の木口木版も図版もとてもきれいで、わたしも『写真の物語』のなかで使っているし、ボーモント・ニューホールも『写真の歴史』のなかでこの箔押しと同じイラストの図版をウェット・コロジオンの技術解説の図版にもちいている。
(上)図版の一例 / (下)ボーモント・ニューホールの『The History of Photography』で引用されたティッサンディエの図版
まだ写真を直接に本の図版として紙に印刷する技術はなかったので、この時代の図版はおもに木口木版。それもまた、本の質の良し悪しにかかわっているわけだが、この本の図版はとりわけ精緻なように思える。フランス語原書はマイクロフィルムやファクシミリ版でしか見たことがないので、ぜひオリジナルに出会ってみたいというのもまたひとつの夢だ。
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