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19歳の“初期衝動”が“ビジネス”に変わるまでVol.04
〜前回までのあらすじ〜
2002年、当時19歳だった僕は、彼女のノンちゃんと一緒にブランド“banal chic bizarre”を立ち上げる。2003年、先輩“てっちゃん”のおかげで、念願だったCANNABISでの取り扱いもスタートし、初の展示会も成功した僕たちはビジネスを順調に拡大していた。
2003年6月
初参加の展示会で全国10店舗の新規お取り扱い先を獲得したこと以外にも、思わぬ収穫があった。
会期中に当時人気俳優のNさんが来場し、会場全体の視線が彼に集中していた。
僕は田舎から出てきたばかりのお上りさんなので完全に舞い上がっていたが、バレないように平静を装うのに必死である。
すると、Nさんが僕たちの方を見て、何か気になったのかスタスタとこちらに近づいてきた。
Nさんはノンちゃんの目の前でスッとしゃがみこむと、「この靴、良いですね。売ってないんですか?」と、ノンちゃんが家でテレビを見ながら黙々とボタンを付けまくったリメイクデッキシューズを指差していた。
その時、僕の心の中では
『Nさんがこっち来た!やばい俺に何か用事かな?あー違う、ノンちゃんの方じゃん。マジかよ、靴の事聞いてきてるし。ていうか、ノンちゃんに跪いてるみたいになっちゃってるー!ノンちゃん、頭が高い!しゃがめ!しゃがめ〜!!』
と、心の中で呟いていたがノンちゃんはその状況で堂々と仁王立ちしていたのが今でも忘れられない。
こんな出来事もあり、このカスタムデッキシューズも販売する事になり、作ればすぐ売れてしまう状態になった。
他にも、このNさんが雑誌でウチのアウター(パターン間違えて袖ピチピチのやつ)を着てくれたことで、このアウターも約300枚売れた。
Nさんのお陰でブランドの認知度も上がり、この頃は雑誌にも頻繁にウチの服が掲載されるようになっていた。
CANNABISに呼んでもらった小さなクラブで開催されたプライベートイベントでは、シークレットであのBjorkが来ていた。
それはもう大興奮である。
他にも日本の芸能人の方々が普通にいる。
この時、ノンちゃんも僕も20歳を迎えたばかり。
聞き慣れない名前のお酒を片手に、とてつもない業界感を味わっていた。
(いま思い出すとあのお酒はコンビニでも手に入るやつだった…笑)
不思議なもので、こういう事が立て続けに起こると色々と慣れが出て来てしまうようで、この頃の僕は作った物が確実に売れる事が普通の事だと思い込んでいた。
余談だが、19歳から20歳までこんな生活を送っていたので、同学年との接点が全く無く、同い年のアパレルの友達が出来るのは22歳になるまで皆無であった。
専門学生時代のクラスメイトとも全く疎遠になっており、当時はSNSが無かったのでこちらがブランドをやっている事も知られていなかったかもしれない。
約半年後
この調子を維持したまま迎えた次シーズンの展示会も同じくCANNABISの合同展にお誘い頂き新作を披露した。
ただ、前回と今回ではそのラインナップに大きな違いがあった。
それは、8割ほどのアイテムをパターンから作り、サンプル縫製も工場でお願いした事。
今までの自分たちで作れるものを作るスタイルからの脱却である。
これは、知り合いの方に紹介して頂いたOEM会社が全ての工程をサポートしてくれる事になり実現した事で、デザイン画をOEM契約のパタンナーさんに見せて仮縫いを作ってもらい、生地も様々な繊維会社の生地見本帳を見ながら理想の素材を見つけていく事が可能になっていた。
なかなか思うように仕上がらない印象もあったが、そういうものなのかな?と思いつつ、展示会に挑む事になった。
迎えた展示会当日
参加ブランドのラインナップも増えており、その中には現在パリで活躍しているANREALAGEもあった。
そのシーズンは確か前後左右で着ることが出来る服を作っていたと思う。
他にも約8ブランドくらいが参加していたが、今も残っているのはANREALAGEぐらいかもしれない。(ウチも今は靴と小物のみの展開に絞ってるので)
ただ、この展示会はANREALAGEにとっては大変な展示会だった事を覚えている。
屋上のスペースで展示していたのだが、まさかの雨。
ブースの場所的にどうしても雨が侵入してきてしまい、想定してたであろうロケーションにはならなかった。
でも、それでもそこから活躍して今はパリ。
当時からブレてないブランディングは本当尊敬です。
では、我々banalchicbizarreはと言うと、場所は店舗での売り上げが良かった事もあり、屋内のかなり良いスペースを与えてもらえていたのだが、各バイヤーさんたちの反応に何だか違和感というか、手応えを感じる事があまり出来なかった。
「工場生産にシフトしてクオリティーを上げました」と言っても、何だか大して褒めてももらえず、「はぁ、そうですか」ぐらいで会話が発展しない。
幸い、前シーズンまでの人気が口コミで広がっていたので、新規の取引先は増えていた。
そのシーズンの画像が見つかったので一部紹介。
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綺麗に作りたかったジャケット。
素材は今考えると意味のわからないパイル地。(タオルみたいなやつ)
裏無しで大きいハトメが付いているのがポイント。
当時僕が痩せていたこともあり、肩幅はレディース並みに小さかった。
YKK規格で一番太い10号ファスナーは今でも好んで取り入れてます。
この頃はファスナーの引き手に種類がある事を知らなかったので、このDAと呼ばれる引き手ばかり登場します。
これはあまり売れなかった。
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こちらは自分たちで作ったアイテム。
3枚のTシャツを繋ぎ合わせて、三つのネックのどこから顔を出しても良いっていうアイテム。
染めは僕が行い、どうやったら一般的な後染めとは異なる見た目になるかを試行錯誤してました。
これは結構売れた。
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ノンちゃん単独企画のロングタンクトップ。
白と黒のXLサイズのタンクトップの裾にリブを付け、オープンファスナーを敢えてファスナーの方が長くなるように縫製。
ファスナーにより色を組み替えて使うことが出来たり、全てを繋ぎ合わせてガウンのように使うことが出来たような気がする。
どうせ当時のノンちゃんの事だから、ファスナーを丈詰め加工するのが億劫だったのだろうけど、それを逆手にとってデザインとして応用出来たのが当時の我々の強みだったのかもしれない。
確かにファスナーの長さが揃ってたら普通だしね。
これは沢山売れた。
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同じ展示会に出ていたANREALAGE同様、我々も4面体で着用できるアイテムをやっていた。
これが当時流行っていたかと言えばそんなことは無く、このシーズンにこういうアプローチをしたのはこの2ブランドだけだったと思う。
ウチのこのアイテムは、ほとんど売れなかった。
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学生が体育の時間に使うような靴を探していて辿り着いたのが、地方のホームセンター。
そこに取引をお願いして、大量に仕入れさせてもらいラッカースプレーで蛍光色にした後に、ハトメを売って、紐をわざわざ大手付属会社と契約して作ってもらったという、コストが掛かったんだか、掛かってないんだかよくわからない一足。
発売時には真空パックして並べていた。
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雑誌“FRUITS”の表紙で自分がこの靴を履いて掲載してもらえたので、これは流行ると思って作り過ぎた結果、儲けたのか、儲からなかったのかもよくわからない一足となった。
20歳の頃。隣がノンちゃん。
余談だが、ノンちゃんは当時あまり人前に出たくなかったらしく、これ以降スナップを断るという、僕には考えられない行動に出る。
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オムツのようなシルエットのデザインのデニムを作りたいというノンちゃんの謎の発想で作ったデニム。
パタンナーさんもこのヒップの膨らみを苦労して作ってくれたが、そもそもオムツのシルエット穿きたいやついるかい?
今考えると全てが謎のアイテム。
当然全く売れなかった。
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光沢のあるジャージ生地を使ったショートシャツ。
この光沢とショート過ぎる丈がメンズには非常に難しい。
今ならせめてリネンなどのしっとりした素材で作りたいところだが、当時は素材の知識がゼロに近かった。
これもほとんど売れてない。
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先ほどのショートシャツとセットアップで考えられたパンツ。
これもノンちゃんのイカれたアイデアにより、パンツの股ぐりがファスナーで開き、そこに頭を通す事でトップスにもなるという、謎の2WAYアイテム。
お産を思わせるこのデザインといい、オムツパンツといい、微妙に共通点があるのがちょっと怖い。
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パターンから拘りたかったのだが、平面的で全く着心地の悪いパンツが出来上がってしまった。
ハトメに通した紐を締める事でシルエットを変えたかったが、元々細身のシルエットの為、全くシルエットが変わらない最悪の仕上がりだった。
これは全く売れてない。
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アームホールのカッティングを大胆に行った結果、すごく腕の上げにくいカットソーが出来上がってしまった。
そして求められていないシンプルさ。
これもまったく売れてない。
展示会が終わり、オーダーを集計してみると、カスタムしたアイテムの方がウケが良く、お金を掛けてチャレンジした工場生産のものがイマイチヒットしていない。
オーダーの総額は、新規の取引先が増えたこともあり前シーズンと遜色ない金額だった。
そして3ヶ月後、そのシーズンの発売日を迎える事になった。
今まで作れば作るほど売れていた人気は鳴りを潜め、量産のみならずカスタムしたものの売れ行きも鈍くなっていた。
そして、その月の月末に生産を請け負ってくれたOEMからドーンと大きい額の請求書が届いた。
他にも量産に掛かった雑費を支払っていくと…
あれだけ潤っていた通帳の残高はいつの間にか65円になっていた。
もはや、危機を感じるとかのレベルでは無く、全部終わったな…と思っていた。
そもそも工場で行う量産とは、その名の通り、沢山同じものを作るからコストが下げられる訳で、少ない枚数を生産してもらっても割高になってしまい、こちらも工場もお互い旨味の無いビジネスになってしまう。
僕たちは今回オーダー数が落ちてしまった為に、一枚あたりのコストが想定よりかなり割高になってしまっていた事に気づかなかった。
オーダーの総額でついつい安心していたのだが、原価に差が出ていた事を舐めていたツケが早速回ってきた。
何が悪いのかはすぐに理解出来た。
大きく2点。
自分たちすら欲しく無いモノを作り出してしまった事と、クオリティーの意味を履き違えた事が大きな原因である。。
サンプルが満足いく仕上がりでは無かった段階で、パターン修正してセカンドサンプルを作るべきだったのだが、そのコストをケチってしまった事で、そもそも自分たちが満足する物作りでは無かった。
パタンナーとのフィーリングの問題もある事は後々わかる事なのだが、頭の中に描いている洋服と、実際に出来上がった洋服の何とも言い表せない差が目で見てわかっていた。
おそらく、服飾専門学生であれば大半の人が経験する“初めて作った洋服の違和感”みたいなものを、僕たちは後戻りが出来ないこの段階でようやく体感していた。
詰まるところ、工場生産して綺麗な縫製でパターンから作成するという一般論に則ってしまったことが大きな原因で、それはbanalchicbizarreのファンに求められてはいない要素である事に、展示会で発表してから気が付いた。
一般的な人々が言う“クオリティー”とウチのブランドに求められる“クオリティー”は言葉が一緒なだけで内容は全く異なるし、それが一体何なのかこの頃はイマイチ理解していなかった。
当然、残高65円になってすぐにここまでの考察なんて出来るわけも無く、実際は頭の中空っぽの状態である。
これで全ての支払いが終わったのかもわからず、借金するのか?と途方に暮れていたのだが、ノンちゃんは「工場で作るのは高いから仕方ない」と無表情。
何でそんなに余裕?と思ったのだが、わずか1日後に奇跡が起きた。
通帳残高が約250万に復活していたのである。
それは、前シーズンから取引が始まった中部地方の某セレクトショップからの入金だった。
どうやらノンちゃんはこれが入ってくる算段があったらしい。
マジでそういうの伝えて欲しいよね…。
このセレクトショップ、展示会でのオーダー以外に色々と追加発注をしてくださり、この頃は地方で一番ウチを売っているお店になっていた。
顧客との繋がりも深く、ウチの服だから売れるというよりは、そのショップ自体がブランド化しているようなイメージ。
きっとどんなブランドを仕入れても売るんだろうなと思わせる、実力のあるお店だった。
このお店のお陰で窮地を脱して、再び来シーズンに挑める資金を調達する事ができた。
このセレクトショップには感謝しかない。
しかし、このお店とは数ヶ月後に取引決裂になる。
(だから名前は出さない)
理由は、顧客の為の特注オーダーをウチが拒否したから。
今でも自分は間違ってないと思うし、そういう安易なオーダーは今後も受けるつもりはない。
展示会で出すものがそのシーズンの全てであり、それ以外の別注アイテムは各ショップとの取り組みであるべきなので、一人のお客様に対して対応するというのは我々のスタイルでは無いのだ。
このショップとの取引を終える数ヶ月後にまたしても僕たちは窮地に追い込まれる事になる。
それは、突然訪れたCANNABISとの取り扱い終了宣告だった。
続く