モンゴルの朝は早い。酒を飲んだ翌日のような、喉の奥のわずかな乾燥で目を覚まして、僕はヒーターを弱にする。頬が持ち上げられるようにほてっていて、ベッドサイドのテーブルにある水差しを傾けてコップを満たしたぬるい水を確かめるように口に含んだ。カラカラの口内にもたらされた水はぬるいけれどそれも心地良い。 コップをテーブルに置いて、椅子にかけられたセーターを着込む。それから流れるようにやかんに水を入れ火にかける。棚の上の段からコーヒーの缶を、下の引き出しからフィルターを取り出し、粉
君の肩越しに見えるガラスの向こうの無数の足に、本当に人多いなーなんてやけに冷静に考えている自分がいる。外は秋晴れで、午前の光がそろって着始めた薄手の上着を照らしている。誰も僕を見ていない。こちらに気づいていない。ここから外を見るのはとても安心する。 テーブルの上には半分になったトースト。ホットケーキに染みこんだバターが二人の沈黙の中で少しずつ乾いていく。「食べなよ」と言いたいけれど口の中がカラカラで、「オはよウ」とひっくり返った声であいさつした朝の失敗を思って何も言えない
最寄り駅が地下鉄で、中学高校大学と地下鉄を利用しているからか、JR、というか駅のホームが屋外にあったり窓から外の景色が見えたりすると非日常に感じる。改札を通っても空が見えて空気の肌ざわりが外のような、エアコンで調節されていない外気に触れられることは私にとって何だか少しおかしい。階段を降りれば冬でもマフラーがいらないほど暖かい地下鉄と違って、電車に乗りこんでも手袋の中の手はまだかじかんでいる。初めて行く土地に向かうときは、窓の向こうのビルの明かりや公園の緑が目まぐるしく流れて
よく思い出す光景がある。リビングの大きな机、椅子に座る幼い姉、鍋敷きの上の丸い耐熱容器に入ったラザニア、いつもと何も変わらないのに嘘くさいほど暖色の明かり。家に居るのは姉と私の二人きりだが、心細いとか、不安とか、そういう感情を抱く必要はない。母がいない理由も、父がいない理由も、兄がいない理由もわかっているし、すぐに帰ってくる。父は仕事で、母は兄を塾まで車で迎えに行っているのだ。私たちの分の出来たての夕食を用意して出かけた母は30分もしないできっと帰ってくるし、何も考えないで
眠れない日々を何とかしたくて、僕は診察室の戸を叩いた。中に入ると、彼は患者用の黒い丸椅子に座って回っていた。「どこに座ればいい」と聞くと、彼は黙って、彼がいつも座っている白いマッサージチェアみたいに大げさな椅子を顎で指した。「眠れないんです。」僕が言うと、彼は回るのをやめてこう言った。「もうやめないか。あんなにやって効果がないんだ。」「君は眠れないんだよ。」彼の胸ポケットに入っている銀色のボールペンとピンクのプラスチックのボールペンが、病院の白い蛍光灯の下できらきらしている
私にとって書くこととは何か考えたとき、なんとなく、それはリラックスすることだと思った。それは多分、書いている時はどこにいても一人になるからだと思う。 出先でも家でも、考えていることや思ったこと、あった出来事見た物、なんとなく大切だと思うことはいつでもどこでもできる限りメモするようにしている。だいたいすべてのことを忘れてしまうし、それらを表現する自分の言葉が一番新鮮なときを残しておきたいからだ。 メモをするとき私はだいたい一人で、考えごとをしている。電車の中で、歩きながら
美味しいかき氷を食べたときに、美味しいなと思って、 好きな人がいたら、教えてあげたいって思うんだろうな って思って、 ってことは、好きな人ができるまで、私が幸せを希求すると、それに応じて失敗したり成功したりする中で、 成功例が溜まっていって、教えてあげたいようなことばかりが溜まっていって、 いつか好きなひとができたら、私はその人に、素敵な世界を見せれるんじゃないかなって それは結構いいことな気がする