器用貧乏、斬られて候
こんにちは…!
心理カウンセラー修行中の俊(しゅん)です
すっかり記事の投稿が空いてしまいました。
予定が立て込んでいたこともありますが、何よりもブログを書ける気持ちになるまで時間を要したことが起因しています。。笑
去る6/29〜6/30の2日間、カウンセラー根本裕幸さんのお弟子講座の
第1回が開催され、僕はその初日のラストで希望者ジャンケンに勝ち、
根本師匠にセッションをしてもらったのでした。(強運)
しかし、そこで「バッサリ…!」と斬られます。
それはもう、見事なまでに。。
その日からしばらくは呆然としたり、見えない傷口を押さえて呻いたりして
ジタバタとのたうち回っていました…笑
今でも、完璧に復活したとは言えません。
それでも、だいぶ蓋をしていた感情や思いに、目を向けられていると思います。(多分…)
今回の記事では、徐々に受容できてきたセッションの内容を一部引用しながらアウトプットして、少しでも昇華を試みたいと思います。
ちなみに、今回の記事のタイトルは町田康さんの
『パンク侍、斬られて候』
をオマージュしました。
名作ですのでご興味あればお手に取ってみてください📕
それでは、本題に入りましょう。
セッション開始
師匠とのセッションは、ゆるやかに始まりました。
まずは、相談したい内容を僕が話すところからスタートです。
マイクを渡され、以下のことを挙げました。
・父の他界後の寂しさ
・家族との関係
・元上司との関係
周囲に沢山の人がいる状態だったので緊張するかなと思ったのですが、不思議と落ち着いた気持ちで話し出すことができました。
師匠は目を伏せがちにしながら、じっくりと僕の話に耳を傾けています。
一通り話終わると、師匠からポツポツと質問をもらいました。
僕の説明が足りてなかったところや、一見話題から離れて関係ないかのように思えた点にまで、質問範囲は及びました。
僕は溜め込んでいた気持ちを吐き出すことに途中から夢中になり、気付かないうちに多弁になっていました。
この時の口数の多い自分を振り返ると、「恥ずかしい」という感情が湧き上がります。
居心地の悪い、取り繕った、抑制されていない演出が透けて見えるドラマを観るときの気持ちに似ています。
(実際、後からセッションのアーカイヴ映像を観て、そう思いました)
その時でした。
師匠の言葉に、僕は動けなくなります。
師匠の一手で射貫かれる
”それはファンタジーだということを理解しなければいけない”
そういう趣旨の言葉が、師匠のマイクを通して聞こえたとき、
僕は「えっ」という声にならない息を発して、固まりました。
その後、強烈な一言が放たれます。
(ここでは敢えて触れません)
あまりの衝撃に、その場の全員が息を呑んでいたのが分かりました。
後に同期から「戦慄が走った」と言わしめたその瞬間は、今も強烈に脳裏に焼き付いています。
師匠は僕の一番痛いところに、そして気付かないフリをしていた点に、
目を背けさせないような一手を投じました。
薄々どころか、きっと最初から「分かって」いたこと。
それを指摘されて、胸のあたりにザワザワとした感触が広がります。
鼓動が早くなり、喉が狭まり、自律神経の警報が発せられました。
そして同時に、身体の底の方から、音を立てるように激しい怒りの感情が
吹き上がってきました。
その怒りは師匠に向かいますが、「はい」と相槌を打っていました。
師匠は言葉を続けます。
その内容は、以下のようなものでした。
”そうやって「はい」と言ってしまう自分がいる。
何でも「分かったフリをする」癖があり、それを家族や元上司にも
行ってきたのが、相手に伝わるのだろう。”
僕のなかの怒りはさらに燃え上がろうとしていました。
そして、師匠は僕を見てこう言います。
「今も”そう”です」
$${\underline{\text{その一言で、ハッとします。}}}$$
僕は怒りの感情を、表に出していないと思っていました。
その上で、師匠との会話を、狼狽することなく続けているつもりでした。
でも、師匠は全部お見通しでした。
僕が情報と感情を処理できない状態にも関わらず、生返事していることに。
「領域展開」
ここからもう、僕は師匠しか見えなくなりました。
周囲に人が居ることも分からなくなり、後から聞いたら、セッションが長引いたためお手洗いに立った人が数名居らっしゃったらしいのですが、まったく気付きませんでした。
師匠の発動した領域展開に、引き摺り込まれていたのです。$${\tiny\text{注)漫画『呪術廻戦』で登場する、心の中の風景に呪術を付与し、空間として具現化する技}}$$
師匠は、僕の特性を表す言葉と、今の状態を並べます。
全ての言葉が必中となり刺さりました。
・役割を与えられると出来る器用さがあるが、中途半端
・つまりは「器用貧乏」
・本気で挑むことをせず戦意喪失している状態
・問題を上手に回避してきた
・自分の力を発揮することを畏れている
・仕事はライスワークのままで本当にいいのか
・今のままでは状況を脱するのはかなり難しい
他にも様々な言葉がありました。
周囲の同期たちには意味不明な瞬間も多かったと思います。
でも、僕には全ての言葉が分かりました。
ライフワークを求めてフラフラと彷徨う状態を、いい加減に卒業しなければ、結局は自分も周囲も幸せにはなれない。健やかでいられない。
そんな風に、今は思います。
そして師匠は、「反抗期を終わらせないといけない」という話をしました。
そう、僕が師匠に対して抱いていた怒りは、反抗心だったのだと思います。
師匠は、その反抗期を終わらせる鍵も示してくれました。
敢えて、抽象度を上げて。
なぜ、具体的に教えてくれないのか?
その理由は、僕には伝わっていました。
細かい小手先の小細工じゃ意味ねーんだよ!という師匠のメッセージを、
グサグサと受け取っていたからです。
とは言え、今後のステップに詳細な話が出なかったことで、同期から質問が飛びました。そしてその回答の要旨は、以下のようなものでした。
”具体的な行動として出来るような宿題を出してしまうと、今までの癖で
小器用に取り組み、「やったことにしてしまう」でしょ?
それだとムカツクじゃん。だから言わなーい。”
愛と共に、不出来な弟子にお灸を据えるトドメの一発が放たれ、セッションは終わりを迎えました…。
パンチドランカー状態の懇親会
強烈なパンチを浴びすぎて、セッション後に開催された懇親会では、もはや立っているのがやっとの状態でした…笑
空腹だったようで食べ続けていましたが、味もよく分かりません。
ただ、周囲の同期たちの優しさに、胸を打たれ続けていました。
セッションでの格好の悪い僕を見て、さぞや皆軽蔑したり、腫れ物に触るようにするのでは…と思っていたけれど、そんなことは全くなく。
「私も器用貧乏なところあるから分かるよ」
「自分のこと言われてるみたいだった」
「あそこまで斬られたらフラフラになっちゃうよね」
「勇気のあるシェアをありがとう」
共感してくれるどころか感謝までされてしまい、
「かたじけない皆の衆…このご恩は忘れませぬ…」
と、心の中のパンク侍が咽び泣いていました。
課せられた宿題と、今の感情の状況
領域展開の間は、師匠の顔が怖くて怖くて仕方ありませんでした。
ところが、アーカイヴ動画を観た際に、
「あれ、師匠、記憶よりずっと穏やかな表情してるな…」
と気付きます。
僕がセッション中に師匠に見ていた姿や、抱いていた反抗心などは、
まさに「投影」や「転移」だったんだな…と、今になって分かります。
勉強している内容を、こんなにも分かりやすく体験してしまうと、我ながら情けないやら格好悪いやら…
でも、身をもって学びました。
この記事の執筆中も、
・巧く書きたい
・課題のブログ執筆で「修行中の弟子の役割」を全うしたい
というような、小器用さを使ったり、与えられた役割をこなすような癖の
発動を、自覚していました。
今まで自分すら騙すように自動発動していた行為に、メタ的な気付きを得てしまうのは、気持ちの良いものではありません。
ゲンナリもしますが、この癖とは、まだまだしばらく付き合うことになりそうです。
それでも、この記事を書きながら胸の奥がザワザワとしていたので、きっと小手先だけではなく、感情の動きも少しは捉えて反映できたのではないかな、と思っています。
セッションで師匠から課せられた宿題は、まだ自分の中でも消化できていません。
どういうことなのか、どうすれば”それ”が出来るのか。
ただ、
「考えるな、ただ念じろ、感じろ」
という趣旨の言葉も師匠から添えられていましたので、今はジタバタせず、宿題の言葉に身を委ねたいと思っています。
果たして修行の過程で、新しい自分を迎えられるのか…
皆様、長文最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今しばらく、不出来な弟子の奮闘記に、お付き合いいただけますと幸いです。
それでは、また別の記事で。
心理カウンセラー
俊(しゅん)
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