「食べたい人だけ食べる」でいい――昆虫食は正義か?(デーリー東北「私見創見」)
昆虫食についての議論がSNSで活発になっている。賛成派は、世界の人口増加でタンパク質不足になるため、牛、豚、鶏を従来通りに食肉用に育てるのは地球環境に深刻影響を及ぼすと主張。サステナビリティ(持続可能性)の観点から食用昆虫に注目している。
一方、反対派は「得体の知れない虫を、なぜ食べる必要があるのか」と考える。特に賛成派・推進派が養殖・加工しやすいと注目するコオロギについて、漢方薬の解説書に「微毒があり妊婦には禁忌」と書いてあるとし、その危険性に警鐘を鳴らす。コオロギの粉末を使ったパンや菓子を開発する企業などを、批判する人や論調が増えてきた。
筆者が昆虫食で思い出深いのは特派員として駐在していたタイ・バンコクでの事情だ。陽が沈むころ、バンコク各所の通り沿いに多数の屋台が並ぶ中に、食用昆虫を売っている店があった。買っていく人もそれなりに多く、商売が成り立っていた。
写真を撮ろうとすると「20バーツ!(現在で約80円)」と叫ばれて料金を取られるのだが、払ってでも撮影する観光客がたくさんいた。
その食用昆虫の種類がすごい。タイ語で「チンリーッ」というコオロギのほか、「タッカデーン」と呼ぶ大きめの赤バッタや、「ビールのおつまみに最高」が売り文句のタケノコムシ(タケツトガという蛾の幼虫)、ゲンゴロウやタガメ、ヤゴ、スズメバチの幼虫や成虫なども売っていた。素揚げだったり、甘露煮風だったりと味付けも様々だ。
近くの屋台でビールを飲んでいると、隣のテーブルに座ったオシャレなOL風女性がハンドバッグから何やら取り出し口に運んでいる。失礼を承知でチラチラ見ていると、なんとコオロギの素揚げだった。思わず聞くと、「おやつ代わりによく食べるわよ」とのことだった。
その駐在時代の2008年、タイ保健省が国民に「虫の食べ過ぎに注意」と呼びかけたことがあった。虫は高カロリーで脂質も多く、素揚げだと油分も増えるので「食べ過ぎは肥満につながる」と警告したのだ。それだけ一般的な食べ物だったからである。
筆者も好奇心に負けて挑戦し、いくつか食べてみた。赤アリの活動が活発になる時期には、その卵が「ラープ」という、ひき肉とハーブを和えたサラダ料理に入ることが多く、食べる機会があった。赤バッタの素揚げは印象として川エビの素揚げと変わらない。ただ、帰宅して歯を磨くと赤バッタの足のかけらが口から出てきて難儀したが――。
日本にも昆虫食はある。イナゴやハチの子、ザザムシやカイコのサナギなどは郷土食として古くからあった。明治後期〜大正時代に活躍した昆虫学者、三宅恒方の論文『食用及薬用昆虫ニ関スル調査』(1919年)によると、当時の日本では48種の昆虫が食用に供されていたそうだ。
ただ、戦後に食の西洋化が進むと昆虫食は廃れ、悪食のように扱われてきた感がある。タイでも昆虫食は東北部の出身者は食べるが、南部の人は食べないという。食生活の変化も進み、若い人は今の日本人と同じような食事が中心で、昆虫を好んで食べる人は今や少ない。
要は、興味ある人は食べればいいし、嫌いな人は食べなければいい。それだけの話だ。
サステナビリティの観点からも、昆虫食の研究開発は進めてよいのではないかと思う。実際に青森県内でも弘前大学が昨年、トノサマバッタの養殖について民間と共同研究に乗り出したという。
ただ八戸市とその周辺なら、やはり海洋資源を増やす取り組みを進めてもらいたい。2023年2月に、東京・麹町で開かれた3年ぶりの「八戸ふるさと交流フォーラム」で、熊谷雄一・八戸市長は「水産業では従来少なかった養殖事業を推進したい」と力を込めた。
それを聞きながら、「そう、水産資源でサステナビリティに貢献するのが八戸の流儀だ」と思った。昆虫は、同じように大きな資源問題を抱える魚類養殖のエサとして研究する道があるかも、などと考えていた。
(初出:デーリー東北紙『私見創見』2023年3月7日付。社会状況については掲載時点のものです)
(了)