第51回読書会レポート:倉橋由美子『聖少女』感想・レビュー
(レポートの性質上ネタバレを含みます)
2024年上半期は女流近現代文学をテーマにし、
ラストは倉橋由美子さんの『聖少女』にしました!
明治から戦後の日本を女流文学から見てきた結果、
見えてきたものがありましたよ!
文明開化から戦後までの日本の流れについて
私なりに道筋をつけられ、大きな収穫となりました
参加者の皆さまの感想
・『ノルウェイの森』っぽい
・『太陽の季節』っぽい
・サディズム
・何を書いてもいいのか?
・ありきたりな葛藤
・父親の葛藤
・一世を風靡した作家
・東京のセレブの話
・嘘か本当か境目がない
今回も読みにくい内容にもかかわらず、満員御礼のキャンセル待ちとなりました!
近親相姦という過激な内容でしたが、さすがは読書会の猛者、
常連さんからは「よくあるありきたりな内容」と一蹴され、主催者としては安堵しました。
こうした内容の本もこれからは堂々と扱っていこうと思いましたよ^^
時代を特定する記述はないのだけれども……
この作品は、ぼくの生きる時間軸と過去とを行ったり来たりする回顧録形式がとられています。
ぼくのいる(いた)時代背景を押さえておかないと「なにが言いたいのかわからない」作品です。
世相を反映している内容にもかかわらず、具体的な年代を特定できる手がかりが少なく戸惑います。
時代を曖昧にして普遍的な親子関係を描きたかったのかもしれませんが、
やはりこの作品は”アプレゲール作品”として、時代を浮き彫りにした作品、という位置づけで解釈したほうが、一気に作品の空気感が生々しくい感じられると思います。
ぼくは何年生まれなの?
登場人物たちは何年に生まれたのか、いつの時代からいつの時代を回顧しているのか、正確な記述はないため文章の端々から推察するしかありません。
ぼくは24歳、未紀は22歳の設定であることは明記されているのですが、これを踏まえて、、、
とあるため、二人とも空襲は経験しているようです。
特に未紀は記憶にあるかないかくらいの幼い時に遭っているようです。
また他の手がかりとして次の文章に着目してみました。
まず、電話ボックス内の暑さやプールで泳いでいることから、季節は夏であることが分かります。
また「一級国道」を調べたところ、昭和40年(1965年)4月に施行された道路法改正で廃止され一般国道に統合されていることが分かりました。
さらに、都電の廃線は昭和38年(1963年)10月から順次始まっているため、このあたりで検討をつけられそうです。
つまり、都電が廃線となりつつもまだ一級国道が残っていた、昭和38年10月~昭和40年4月の間の夏……
昭和39年(1964)の夏にぼくは24歳であったと推測されます。
よってぼくは昭和15年(1940)生まれと結論づけました。
就学前に敗戦を迎えた世代ということが浮き彫りになってきたのです。
おかしな親子関係から問うアプレゲール ~子ども時代を奪われた世代~
以上の結論から、まだまだ敗戦の空気が濃厚な時代背景ということが分かりました。
ただし、ぼくは就学前に敗戦を迎えたため、直接教科書へ墨を塗った世代でもありません。
混乱の中を幼い身で生き抜いてきた彼ら。
子どもとして真っ当に甘えられる時間が少なかったはずです。
これを踏まえて当時の世相へ目を向けてみますと、
戦前の価値観・権威が完全に否定されてしまったために、正義や善悪の基準が180°変わってしまい、既存の道徳観を欠いた無軌道な行動が社会問題化していき「アプレゲール犯罪」と呼ばれる犯罪が横行していました。
それは単に貧しさからの犯罪ではなく、裕福で何不自由なく暮らしている子どももこうした犯罪を引き起こしていたというのです。
実際にぼくも未紀も頭脳明晰で、当時ではごく少数しか進学できなかった大学へ通っている設定になっています。
その上で、ぼくやその同級生は、強盗や性犯罪など目を覆うような所業を次々と起こしていきます。
こうした苛烈な行動は、まさにアプレゲール犯罪といえるでしょう。
戦時中に両親が結婚して生まれてきた彼ら。
混沌とした時代をサバイブしてきた登場人物たちの取り巻く家庭環境はいびつです。
彼らの鬱憤は、体制に対するものというよりは、もっと個人的で内面的な衝動のように感じます。
その個人的で内面的でいびつな関係は、他の登場人物の親子関係にも漏れなく反映されています。
登場人物たちのいびつな親子関係
ぼくは高校2年の3月末に友人含め3人と共に退学処分となるのですが、そのシーンが異常です。
それぞれの父兄が学校に呼び出されるのですが、、、
あだ名が「公爵」という男子生徒の母親は、息子の潔白を信じて疑わず怒鳴りつけぼくを睨み、その途端、公爵は自ら母親の髪をつかんで引き倒してしまいます。
あだ名が「エスキモー」と呼ばれる男子生徒は、校門の外へ出たときに母親の肩に手を回して恋人同士のように連れ立って歩いていきました。
ぼくに至っては実の親ではなく、父兄代理として来てもらった作家と駅の方へ歩いていくのでした。
親子としての秩序が崩壊している描写は、酷く印象的です。
未紀の母親
未紀に関しても、母親から今でいうところの育児放棄がなされていることが、次第に明らかになってきます。
母親はかつて、若い医師を愛しその人はドイツへ留学して戦争中に死んだとのことです。
若い医師への未練を断ち切れないまま結婚し、未紀を産みます。
妻としての役目を果たした未紀の母親は、もう、夫のために「ヒラク」ことはありませんでした。
妻としての役割も放棄したのです。
未紀の父親は未紀が生まれた当時のことを次のように書き残していました。
「これを読んだときからあたしのパパへの愛は突然変異して、はっきりと近親相姦的愛の相貌をおびたのでした。(新潮文庫 P219)」と未紀は述懐しています。
そうして捨てられた父と娘は、母親に対して共犯者となったのでした。
こんなに複雑でいびつな親子関係はありましょうか?
未紀もまた、真っ当な子ども時代を過ごせていない様子がわかります。
身勝手でいびつな母親、
国民を振り回した政府。
でも生きていかなければならない現実。
非力ながら現実と折り合いをつけざるを得ない子どもたちの様子が痛々しく悲しい物語です。
ぼくの矛盾
ぼくは退学となるも、運良く大学に入り「ガクレン、アンポ、国会乱入、逃亡、逮捕」と一通りの左翼活動をしていきます。
にもかかわらずアメリカ行きのビザが下りるのを待っている状況からこの物語はスタートするのですが、
この矛盾も、彼らの反発は体制に対するものというよりはもっと個人的で内面的な衝動、とすれば説明がつくのではないでしょうか?
実際に学生運動を繰り広げてきた若者達は、結局、大人しく就職活動をして一般サラリーマンになっていったとききます。
反抗を貫けず、結局は、国家が振りかざす暴力から逃れて生き延びることはできないのだと証明してしまいました。
これはぼくの結婚にも暗示されています。
未紀との結婚は成立したのか?
ラストは二人の「結合」の状態で終わっています。
結婚できてハッピーと取るか、
新たな地獄の始まりととるか、、、
私は後者の説を取りたいと思います。
ぼくは未紀を幸せにできると思いきや、結局、未紀は何も答ずに無反応です。
こんなにバカバカしく虚しく悲しいことはありましょうか?
でもこれが未紀にとっての結婚の答でした。
奇しくも未紀は母親と同じ「不毛な自己抑制」の運命へと取り込まれていったのです。
ぼくに対してなにもおこらない状態。
こうしてぼくは未紀に対してすら
なにもおこせず無力さを突きつけられたまま物語は終わります。
価値観の逆転、秩序の崩壊、不安と混沌、そのぶつかり合いの末の未紀の答。
無力なぼくに幸福ははたして訪れるのでしょうか?
(2024年7月28日日曜日開催)
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