第37回読書会レポート:金子みすゞ『金子みすゞ名詩集』(感想・レビュー)
初めての試みで2月は詩を取り上げてみました!
以前から気になっていた金子みすゞさんにしてみましたよ!
感性が研ぎ澄まされる時間は濃厚で、これから毎年2月は詩を課題にしようかなと思いました。
参加者の方々も、どの詩を選ぶか重なることはなく、思い思いに金子みすゞワールドに浸りました~
老若男女に愛される彼女の詩は繊細で慈悲深く愛に溢れた世界だとあらためて実感しましたよ。
ご参加者の皆さんの感想
参加者の皆さんにあらかじめお好きな詩を一編選んでいただき、
それぞれ皆んなの前で朗読していただきました~♪
Oさん:『夕顔』
Kさん:『夢売り』
Iさん:『みんなを好きに』
Yさん:『浜の石』
Sさん:『しはわせ』
Tさん:『海へ』
Iさん:『キネマの街』
Sさん:『蜂と神さま』
主催者:『こころ』
今回は『こころ』を選んだ筆者!
6行目「ちいさい私でいっぱい」の「私」とは、、、
6行目の「ちいさい私でいっぱいだって」と母親が吐露している部分に着目してみました。
ここでの「私」とは、まずは語り手でもある娘の「私」となると思います。
娘である「私」を悪戦苦闘して育てているために、「お母さま」はいっぱいいっぱいであると素直に読み取れます。
あなたを育てるのに大変なのよと。
もう一つの解釈として、母親自身が己の器の小ささを自嘲気味に表現している、ともとれるのではないでしょうか。
小さい私=母親自身と読むことにより、子育てはおろか、主婦として妻として家計やご近所付き合いなどやらねばならないことに追われている、不器用で余裕がない女性の悲痛な叫びが、短いに言葉のなか凝縮されています。
筆者の母もヒステリックで頻繁に怒鳴る人でした。
彼女としては、すべてを真面目に理想通りにこなそうと気を張り詰めていたのだと思いますが、そんな母親を見ながら、筆者のほうが子供だけれども内側では”お姉ちゃん”として、妹の面倒を見たりヒステリックになる母親の機嫌をとったりしていたなぁ……
そんな幼い頃を思い出させてくれた作品です。
お母さまを労る反面、私のほうが余程しっかりしているわ、と女親に対してちょっとしたマウントをとっている可愛らしさが伝わってきます笑
本当はどちらが子供なのか?
存外、内側の関係性は外側からは判断できなかったり、またはその時々で入れ替わったりするのかもしれません。
そこを鋭い眼差しで愛を持って表現したみすゞさんの感性に脱帽です。
(2023年2月19日日曜日開催)
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