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感覚、無意識、それらの境界について|インタープリター・和田夏実「存在の行方を、細胞に問う」WS開催レポート

本記事は、2022年9月23日〜25日に開催されたサンプル・ワークショプ2022「起こす」の開催レポートです。

(執筆:渚まな美 編集:松井周の標本室)

はじめに

まずは、みなさんの普段の生活について思い返してみてください。

朝起きて、身支度をして、家を出ます。
どのように電車に乗り、どのように目的地に向かっていますか?
音楽を聴く人、動画をみる人、いろいろかと思います。
そして仕事をしたり、友達と会ったりして帰宅し、ご飯を食べ、眠りにつく。
1日の中で、「意識的」に使っている感覚はどれくらいあるでしょうか?
おそらく大半の人が自分の感覚について意識的になったことが少ないかと思います。
 
では、どこかの感覚が特出して日常の中心にあった場合、世界はどのように感じられるでしょうか?

今回は、普段意識することの少なかった感覚に触れ、今一度自分の無意識を自覚し、自己と他者の境界について考えるワークを行いました。

〈講師プロフィール〉
和田夏実(わだなつみ)さん インタープリター

ろう者の両親のもとで手話を第一言語として育ち,大学進学時にあらためて手で表現することの可能性に惹かれる。視覚身体言語の研究、様々な身体性の方々との協働から感覚がもつメディアの可能性について模索している。近年は、LOUD AIRと共同で感覚を探るカードゲーム”Qua|ia”(2018)やたばたはやと+magnetとして触手話をもとにした繋がるコミュニケーションゲーム”LINKAGE”、”たっちまっち”(2019)など、ことばと感覚の翻訳方法を探るゲームやプロジェクトを展開。美術館でワークショップなどを行う。東京大学大学院 先端表現情報学 博士課程在籍。同大学 総合文化研究科 研究員。2016年手話通訳士資格取得。
https://www.signed.site/

ワーク① 視覚

WS開始前。一度会場の外に出された参加者は、まずアイマスクを渡されます。
そして1人ずつ、目隠しをしたまま、和田さんに部屋の中へと案内されます。

「ここにひじがあるので、掴んでください。そのままゆっくりと進んでいきます」

「ここに肘があります」と和田さん

掴んだ腕に従い、穏やかな音楽がかかった、真っ暗な部屋の中へゆっくりと足を踏み入れました。
知っている空間だけど、とても慎重になります。
途中、何かロープのようなものが足先に当たる感覚や、床を踏む一歩一歩の感覚、隣にいる和田さんの温度、すでに入室している別の参加者の気配や声が、いつもより大きく感じます。

「ここに椅子があって、膝のあたりに座るところがあるので、そのままゆっくりおかけください」

こちらも知っている椅子のはずなのに、座面がどこなのか、どこが正面なのか、普段なら考えないことを感じます。
いつも無意識に行なっていた「椅子に座る」という行為がどれほど複雑だったのかということを自覚させられました。

静かな空間の中、建物の微かな音(上の階の水の音、空調の音)と、参加者の息遣いだけがある。そのまま、どうやら全員が入室したのか、和田さんの凛とした声と共に、静かにワークが始まりました。

(これを読んでいるみなさんも、よかったら一緒にやってみてください。)

「あなたはまだ、存在していません。
睫毛に触れてください。
爪の先、耳の軟骨の形、それぞれ自分の身体に触れてみてください。
手の形はどんな形ですか?」

声に合わせて、自分の身体を自分の手で触って確かめていきます。

「足の指先をグリグリと動かしてみてください。
骨はどこにあるでしょうか?
鎖骨をなぞり、身体の力点を探ってみてください。
鼻のてっぺんはどんな柔らかさをしていますか?
床との接地面を、ぐるぐると足で探索してみてください。
髪の先に触れて、その髪ができた時の時間について想像してみてください。」

自分の身体から、徐々に他者へと感覚を広げていきます。

「今皆さんが座っているそのモノを触ってみてください。
それは『つき』です。丸く夜空に輝くあの星のことではありません。
この空間では、あなたが触れているモノが、『つき』の定義です。
さっきまで床と呼んでいた接しているモノも『つき』で、あなたが身に纏っているモノも、あなたが吸ったり吐いていたりしているモノも、『つき』と呼べるでしょう。」

とても不思議な感覚でした。

自分が普段、「これは〇〇だ」と認識していたものの境界線が曖昧になっていくような感覚です。
自己と他者を区別している境界ってなんなのだろう。

「ここでは、あなたと『つき』が接しているという事実が最も重要で、これらを区別する方法を持ち得ません。
あなたが触れている『つき』は、どのような硬さと柔らかさですか?
そしてそれらは、どのように分けたり示したりできるでしょうか?

私たちは、様々なモノに名前をつけることによって、それらを区別し、存在しているように扱ってきましたが、私が発した記号は、必ずしもあなたの中にあるものと同じとは限りません。

時間や距離、空間、数、言語、身体。
そもそもの世界の立ち上げ方を変えた時、そこには無数の世界と、私の繋ぎ方が立ち現れます。」

境界として認識しているものはある一定の視点や基準からの世界の見方であるというのは、日々なんとなく理解はしているものでしたが、和田さんの使う言葉の選び方がとても私にはしっくりくるものであり、言語化されて初めてはっきりとした気づきとなりました。

「ではこの空間に存在する他者を認識してみたいと思います。
手を叩いてみてください。参加者は何人、どこにいるでしょうか?」

人の近さ遠さ、方向、その数などが、音からわかります。
そして耳を澄ませると、他者がそれぞれ違う音を出していることもわかりますし、その人がどんな人なのかも、なんとなく想像できたのが不思議でした。

ワーク② 触察

次に、和田さんの導きで、別の席へと移動しました。

渡されたのは、一輪の花。
その形を、じっくりと触って確かめます。
重みがある部分、ざらざらした部分、柔らかな部分、わずかな凹凸がある部分、スルッと長く伸びている部分。
指先の感覚は、ナノサイズの凹凸まで感じ取れるほど鋭いと言われていますが、見ることよりも、もっと細かな部分を指先で丁寧に確かめていく感覚があります。
それらの感触を参加者に説明し、花を交換しあって、お互いにその感触について確かめ合う作業をします。
「フワッとした」と表現していたのはこの部分のことか、私なら違う言葉で表現するかもしれない、など考えながら、確かめていきました。

まだ参加者は一度もアイマスクを外していません。
後から写真を見ると、
思ったより上手く行っていない花の受け渡し

後から写真を見ると、思ったより上手く行っていない花の受け渡し

これは触察(しょくさつ)というそうです。観察ではなく、触察。
その名の通り、見ることではなく、触ることでそのモノの特徴を注意深く洞察することです。
触りながら、これはなんの花なのか、どんな色なのかを想像していましたが、目隠しを外してその花を見た時、自分が思っていたものと違う色だった、思っていたより繁っていたなど、いろんな感想が飛び交っていて、改めて、普段視覚が占めている部分の大きさを感じます。

他にも、暗闇のままお菓子を口の中で転がしてみたり、伸びる布を使ってペアで感覚を交換したりなど、暗闇の中で感覚を探求するワークをいくつか行いました。
視覚の比重が普段よりぐっと小さいだけで、それ以外の感覚が全て繊細になった瞬間が何度かあり、その感覚がとても新鮮で面白かったです。
少し、ヨガをした後のような気持ちになりました。

「まさか、あれは、これか!?」と感覚の答え合わせをする皆さん

ワーク③ 手遊びと手話

アイマスクを取ったあとは、身体を使ったワークをいくつか。
例えば、円形になって座り、1人の動きを全員で真似するといったもの。
頭の上に手を乗せたり腕を広げたり寝転がったり、次々に動きを変え、他の参加者はどんどん真似していきます。
どんな動きをしても参加者が真似してくれるのが面白く、それだけでコミュニケーションとなっていました。
こういった身体を使った遊びのようなことは、手話を第一言語として育った和田さんが、幼少期にろう者のご両親と遊んだことがきっかけとしてあるようです。
身体を通じて相手と関わる手話という言語が、遊びであると同時にコミュニケーションでもあったと言います。

その後、手で言葉をつくってみます。
手話も、日本手話、アメリカ手話など、国ごとに異なった言語として成立しているものですが、今回は参加者がそれぞれ自分の思う「片思い」、「憂鬱」を表現してみました。

各々の記憶やイメージが垣間見えたり、その人にしかない表現、共感の声が出る表現など様々です。

随分と頭もほぐれてきたところで一度簡単なレクチャーパートへ。和田さんのこれまでの体験や考え方についてお話ししていただきました。

音声言語はモノにラベルをつけていくのに対し、視覚身体言語は手でイメージを描く言語であると和田さんは言います。

例えば、「花」に対して、それがどんな花なのか、花畑の景色はどんなものなのか。その人の頭の中のイメージを覗いてみたい時、手話のような身体の言語は身体の中のイメージがとてもよく出てくるけど、音声言語では表現しきれない部分もあり、その翻訳を幼い頃から考え続けてきたそうです。

また和田さんは、手話はファンタジーと相性が良い言語だと言います。

レクチャーの中で、幼少期の和田さんとご家族の映像を拝見したのですが、和田さんが全身でワニや馬を表現したり、お母様へ小さい虫を這わせて遊ぶ様子が自分の小さい頃とは異なり新鮮でした。他にも、目を取って飛ばす(動きをする)ことで、いろんな国のことや、周りの人やモノの様子を教えてもらう、という遊びもよくしていたそう。

手話での表現は、音声言語にはない空間的な広がりやイメージの表出がありました。

このワークショップには触角デザイナーの田畑快仁(たばたはやと)さんも
スペシャルゲストとしていらして下さいました!
参考:https://yokohama-sozokaiwai.jp/person/24527.html

ワーク④ 翻訳劇

最後のワークは、翻訳です。
「翻訳」と言っても外国語を日本語に訳すような言葉から言葉への翻訳ではありません。舞台上で立ち上がっている1シーンを、それを観ていない観客に対し翻訳して伝えるのです。
3つのグループに分かれて行うのですが、
まず、全チームそれぞれ、WS会場にあるものを工夫して1~2分ほどの1シーンを作ります。その後、以下のような手順で鑑賞です。

  • Aのつくったシーンを、Bはどのように翻訳するか考えます。

  • Aの上演の際、Cは後ろを向いた状態(見えない状態)で、まずはBの翻訳を通して鑑賞します。

  • その後Cは向きを変えて、Aの上演を目でも鑑賞します。

  • 上記を各グループ交代に行います。

写真左:上演中、右:翻訳中、中央:鑑賞中

実況中継のように「お、お、おおおー!今、今できました!」と翻訳するグループもあれば、「何かを集めているみたいですね」と詳細をあえて伝えないグループもありました。
和田さんは、時々演劇など言葉での翻訳のお仕事もされているそうですが、その際にも「どの程度翻訳するか」を考えるそうです。

お仕事の際には、どの程度まで翻訳するのかを演出家などと話し合って決めるのはもちろん、また、その人の頭の中がどんなふうに広がっているのだろうということを想像しながら翻訳するそうです。

鑑賞者の想像力を奪い過ぎず、でも伝わるようにすることは難しいけれど、伝え方によって相手に立ち上がる情景がより広がることが面白かったです。

おわりに

和田さんのWSを通して、普段は使わない感覚を使い、身体中の細胞が目覚めたような気がしました。
普段生活する中では意識の後ろ側に隠れていた部分、無意識の部分を掘り起こして、そこに血を流し、神経を通わせたような感覚があります。
その分普段意識しないことだからこそ、終わった時にズンとした疲れもあり、それも含めてとても心地よい時間でした。

そして改めて、「感覚」というものが自分と他者を繋ぐものであるということを認識したWSでした。

今回、ゲストでいらしていた田畑さんは、盲ろう(視覚と聴覚の両方に障害のある)の方です。和田さんと田畑さんは「触手話」でコミュニケーションを取っていました。
触手話とは、手を繋ぐような形で触れ合いながら、手の感覚で手話を読み取り、コミュニケーションをとる方法です。

その光景がとても饒舌というか、伝えたいもので溢れているスピード感だったことが忘れられません。
音声言語は目に見えないものだから普段意識しませんが、触手話だとコミュニケーションが可視化されて、双方の繋がりのようなものが見えた気がしてとても興味深かったです。

一緒にダンスをしているような、相手との関わり、空間の共有が顕著に現れていました。
もしかしたら今回のWSは、他者の世界を想像する、体験するための一つの方法でしかないのかもしれません。

ですが、時々想像してみてください。

少し聴覚に意識を向けてみたら、何が聞こえるだろうか?
少し触覚に集中してみたら、何が感じられるだろうか?

普段なかなか意識しないと忘れがちな感覚ですが、少しベクトルを変えることで見える世界がぐんと広がります。

ここまで読んだ方も、ぜひこれを想像のきっかけにしてもらえたらと思います。

和田さん、ありがとうございました!

サポートは僕自身の活動や、「松井 周の標本室」の運営にあてられます。ありがとうございます。