死ぬのが怖いって思ったことありますか?

死についてひどく考えはじめてしまったのが、今日この頃の俺だ。死ぬのが怖い。ってかなんで人間は死なないといけないのか?的な根本問題を毎日必死に考えている。

前置きするが、私は命が脅かされる病気になっているわけでもないし、余命宣告されたわけでもない。なんなら20代。そして、大事なことだが100日後にワニが死ぬ前からこのnoteの下書きをしたためていた。決してワニの流行に乗ったわけではない。志村けんの訃報のニュースが今朝飛び込んできたりもして、このnoteには情報がどんどん上乗せされている。

去年の暮れ、ここ3〜4年まったく訪ねようともしなかった祖父の体調が気になりはじめた。そわそわする。80歳を超えた父方の祖母とのLINEのやりとりはあと何年で出来なくなるのかと不穏な不安でいっぱいになる。母方の祖母は今月89歳になった。冷静にあと何年生きられるのか。まだ生きている人たちに対して、それが家族であろうと、こう考えてしまう私は甚だ失礼だと思った。

家族だけにはとどまらない。なぜか俳優・竹中直人の年齢も気になり、彼の演技を観られるのはあと何年なのかと考える。ワイドショーに出ていた声優の山寺宏一が一気に老けたように感じたので年齢を調べたら58歳だった。「まだまだ若いさ!」との呼び声が高いアラカン世代だが、死へのゴールへ近づいたことにしかならない。と私は考えてしまう。オリンピック大会なんちゃらの会長の森喜朗氏なんて82歳だ。今朝新型コロナウイルスによる肺炎で志村けんが亡くなった。ウイルスが憎いのに加え、70歳の「高齢」という避けては通れない数字が胸に突き刺さった。

ここ数ヶ月、なぜか「あと何年で死ぬか」と意識的に誰かの残りの寿命のカウントダウンをしてしまうクセがついた。それも他人の、高齢者の。先日そのことをしつこいくらいnoteに書いた。

28歳の私が死に対してここまで怯えているんだから、たとえば60歳になった私は、自分自身の人生をカウントダウンして「残った時間」という現実を突きつけられ、ただ絶望しているのだろうか。

100日後に死ぬワニを見てみんな言っていた。「ワニくんのおかげで今を一生懸命生きようと思いました」「生きることの大切さを知りました」ーー本当に? いつか必ず訪れる死という現実を直視してして震え上がっているのは私だけなのだろうか。


極端に考える、考え方のクセ

私は「境界性パーソナリティ障害」という疾患を持っている。

……アッ、今「出ました!メンヘラかまってちゃん系が書く自己満noteね!」と思った方、そういうわけではないのでどうか最後まで読んでほしい。うつ病やHSPなど心の病系が一般化した今、多少聞き慣れない精神疾患があっても驚かないでほしい。

”パーソナリティ障害”と聞くと、「パーソナル」という単語がついている手間、「そもそもの性格が悪いってことね」とか「性格がもう病気ですねおつかれ!」的な勘違いが必ず起こる。たしかに、なんだか人格そのものを否定されているように聞こえるが、そうではない。

簡単にいうとパーソナリティ障害は考え方や行動が極端で、それによって不安定になったり自分が苦しくなってしまったり、対人関係にトラブルが起こったり、些細なことで不安になったりする精神疾患のこと。

とはいえ治療すれば治るれっきとした病気だ。幼少期機能不全家族にいたことが原因で若年層の女性に発症することが多く、私も例によって毒親育ち・アダルトチルドレンのアラサーである。

私の場合、物事に対しての考え方が超極端だ。しばしばこれに苦しめられる。どういうことかというと、0か100かという極端に考えてしまい、結論が見えないと納得ができない。「私このままだと捨てられるのかも?」という見捨てられ不安が強くそれを避けるべく無理な努力をし、対人関係が不安定になる。

私は「まあいいや」と折り合いをつけて考えることがすこぶる苦手で、自身にも他人にも極端に100点満点を求めがちな傾向がある。そして、夫に対しての見捨てられ不安が強く、夫への執着が強い。表には出さないもののこの葛藤が結構キツイ。

例えば。乗ろうと思っていた電車に乗り遅れた自分を執拗に責め続け、その場から動けなくなる。私が電話をしたいタイミングで夫が電話に出ないと(仕事中なのに)着信を30〜40件平気で残す。「私のことが好きなんだったら、電話に出ろ!」と怒りが収まらない…。普通だったら怒らないところを過剰にキレたり、無駄に自分を責め続けたりとまあ極端なのだ。

この考え方のクセをやめようと今いろいろと頑張っているのだが、私が死を極度に怖がるようになったのは、この0か100かという極端な考え方、いわゆる《ゼロヒャク思考》が関係している。

「死にたい」が「死ぬのが怖い」に変わった瞬間

末恐ろしい話だが、ちょっと前までの私はすべての物事に対し「死にたい」という言葉を言い放ちながら精神を保っていた。

過去、私はアダルトチルドレンとして「100点満点が絶対」「優等生でいることでしか許されない」的な家庭で育ってきた。二十何年も弱音を吐くことを悪として生きていたのだが、会社を退職してうつ病を患ったことをきっかけに「人間弱音をはいてもいいんだ」という新しい考えをキャッチした。溜め込んだしんどさの結果うつ病になったのだから、それを発散する機会を知ったときは新鮮だった。

「人って死にたくなるほど辛いことがあったらたまには弱音を言ってもいいんだ」という気付きは私にとって事件レベルの大きな気付きだった。だって、どこかでガス抜きしないと人間だめになっちゃうから。しかし《ゼロヒャク思考》の持ち主である私には「ある程度」や「たまに」という度合いがわからなかった。

私は、これまで我慢していた「つらい」「さみしい」「かなしい」とか、通常なら細分化できる感情もすべてひっくるめて「死にたい!!!!」になった。死にたいが口癖になったのは、自分の極端さゆえの話だとは気づかずに「死にたい」を連呼し、”死ぬ死ぬ詐欺”もやったりした。夫に電話をして「今すぐ来てくれないと死ぬから!」という予告殺人だ。

息を吐くように「死にたい」と口に出すブームは2年ほど続いた。本当に死にたいと思うこともあった。しかし、これが境界性パーソナリティ障害特有の《ゼロヒャク思考》によって一気に覆されることになる。

「死にたい」が「生きたい」に変わった日

事件がおきたのは去年の11月。私のハッピーバースデーの夜、4年間付き合った彼氏(現夫)からプロポーズをされた。3年ほど同棲していたが、私の病状がよくなるまで結婚はないかな〜とのんきに私は構えていたもんだから、違った意味でのサプライズだった。

別のnoteに書いているが、私は境界性パーソナリティ障害の影響で夫を殴ってしまう。殴るだけではなく、怒鳴り、ここに書くのも嫌になるくらいの悪口を平気で夫に浴びせる。わかってる。今すぐやめたい。でも、キレた自分を収拾させることは今は難しく、この葛藤が今私が境界性パーソナリティ障害と戦っている証拠でもある。

話を戻そう。誕生日に現夫からプロポーズをされた私は有頂天になり、喜び、頬を赤らめた。嬉しかった。キレて、自分の怒りをコントロールできなくなっている私を、あんたを泣きながら殴る私を、あなたはは受け入れてくれるんだね。今日から恋人じゃなくて、「夫」だ。そして私は「妻」になれる。結婚なんていう形式上の契約をそんなに信頼していなかったけれど「あなたを愛しています、ずっと一緒にいよう」ではなく、「あなたのことを受け入れます、ずっと一緒にいよう」という意味に聞こえ心の底から安心できただけでも大きな意味があるんじゃないか。本当に涙が出るくらいだ、ありがとう。

すると、恒常的に続いていた私の「死にたいが口癖」フェーズが突如として終焉へ向かっていった。心情としてはこうだ。あれ? 私はなんで「死にたい」なんてバカバカしいこと口に出していたんだっけ? はあ、「死にたい」なんて口に出すのも疎ましい。おぞましい。おそろしい! 

愛する人の本当の出現により、生のエネルギーを知った瞬間だった。

「生きたい」

この人とずっと一緒にいたい。夫と永遠に一緒にいて幸せに暮らしたい。これまで「死にたい」と言いまくっていた自分へ嫌悪した。生きたい。同時に「人間には死というものが必ずくるので、永遠には夫と一緒にいることができない」という事実を改めて思い知った。

死ぬまでにあと何回ポケストップを回せるんだろう?

通常なら「死にたい」っていうの、辞められてよかったじゃん! で完結する話だが、境界性パーソナリティ障害お墨付きの《ゼロヒャク思考》を持つ私にとっては、矢印がぎゅいんと真反対に振り戻され格好。ここから死について考えてしまう無限ループが始まる。

プロポーズされた日を堺にやがて訪れゆく死が怖くなり、毎朝泣きながら起きるようになった。朝起きると「また寿命へと近づく1日が始まるんだ」と悲観的な気持ちになった。どうせ死んだら夫と離れ離れになってしまうんだと考え込むと「ってか食事の意味って…?」と人間の生命の原点に立ち返ってしまった。

食欲が出ない。ポケモンGOをしていてもふと「死ぬまでにあと何回ポケストップを回せるんだろう?」と考えてしまう。歩いているときさえ、「今この一歩は一生に一度きりのもんだよな…」と悲観的になる。もうそのときの私は、天才的にネガティブだった。私はすべての生きる行動に意味を求め、考え、ゴールのない「死とは何か」を考える旅が始まってしまった。

【考察】人が死について思いを馳せるタイミングは3つ

ここからは、私が死について考えたことをまとめていこうと思う。

まずは、人が死について自ずと考えるタイミングについて。おそらく、「死」について考える時期は以下の3つに分かれると推察する。(身内の不幸、ペットの死など近しい誰かの死を体験すると否が応でも死について考えることになると思うのでここではその場合を除く)

【第一期:幼少期「ねえ、ママ。死ぬってなあに?」期】

まず、幼少期でなんとなく人は死ぬという事実を知る。なんとなく死の概念を知り、「おかあさ〜ん、死なないで〜(泣)」と自分にとって身近な人との別れを想像して怖がった時期は誰にでもあるだろう。私が小学生だったとき、いつも公園で遊んでいた近所の幼稚園の女の子が大量の砂が入ったバケツへ容赦なくアリンコが投入する残酷な遊びを見て「ありさん死んじゃうよ〜」と話したところ「死んじゃうってなあに?」とつぶらな瞳で聞かれたことがある。10歳の私はそれに答えることができず、なんと伝えればいいか悩んだ結果、結局うまいこと「死」の認識についてその女の子に言えなかった。「死んだらおばけになる」くらい言ったかも。この出来事を母にも報告したが、そのときは特段「死が怖い」なんぞ思わなかったな。きっと最初はこうやって「死」にそっと触れ、それってなんだろう?と不思議に思うところから死を考えるタイミングがスタートする。

【第二期:思春期「本気で死について考える派orカジュアルに「死にたい」というのがおしゃれだという派」】

で、次のフェーズとして訪れるのが、中学生・高校生くらいのとき。このとき人々は2つの派閥に分かれる。ひとつめは、本気で死について考える派閥だ。中二病的思考になって死について考える人もいると聞く。私の夫は中2のとき突然死ぬことが怖くなり、夜も眠れなくなったという。1年以上考え抜いた結果、「それよりも今は高校受験がんばらねば!」という”目の前のこと一生懸命すれば死ぬとか余計なこと考えなくて済む説”を実践し、その時期は乗り切ったそうだ。まあ、私も”目の前のこと一生懸命すれば死ぬとか余計なこと考えなくて済む説”を実践すれば、noteにこれ書いて考察しなくたっていいと思うんだけど、そうもいかないからこうやって文章を書いている。もうひとつの派閥は、突如として出現する「カジュアルな死にたい派」である。「今日テストじゃん。死にたい」とカジュアルに死ぬということもこの頃に覚えるやつがいる。メンヘラがおしゃれ〜!みたいな感覚で「死」を使いこなす。自分と死期が離れすぎているがゆえ、「死ぬ」「(関連語として)殺す」などが簡単に言えるフェーズだ。

【第三期:円熟期「超大人になってから&自然と来る悟り、そして恐怖」】

大人は長い。例えば大学生までを子どもと定義するなら、子どもとして過ごすにはたったの20年しかない。それ以降60〜70年はずっと大人として生きていくわけで、それに伴い、あらゆる経験値がアップしていく。が、途中で必ず死について考えるタイミングが来るらしい。人に与えられた時間は平等で、誤解を恐れずにいえば、生まれた瞬間誰だって死へのカウントダウンがスタートする。この事実と真剣に向き合うタイミングは誰しもに訪れるらしい。私の調査結果によると、だいたい50代。私の父は40代で「今死んだらまずいな」と感じ、恩師である某動物学者は50歳を過ぎた頃に「人生の半分が過ぎた。このままだとやべえな」と思ったそうだ。しかし、ある一定の年令を過ぎると「もういつ死んでもいいくらいだ」と自然に思えるらしい。これはだいたいの人に聞いてもそうなので、たぶん70%くらいは真実だと思う。

20代が死を怖がるギャップは理解されにくいのはなぜ?

仕事に熱中する人に対しては、9時5時勤務の友達は理解を示せない。超絶インドア派は山登りをする楽しみを感じるより前に、山を降りたあとの疲労を想像してしまってげんなりすると思う。このように世の中に相容れないことがたくさんある。それくらい、28歳の若い私が今死ぬことが怖いということは周りに理解されない。

今日、雑誌の撮影があって雑談で「死ぬことが怖いんですよお〜」と軽く話してみたら、現場にいたモデルに「(頭)大丈夫ですか?」と真顔で言われた。その場にいたヘアメイクは「僕、死ぬことなんて考えたことないっすよ(笑)」と引かれた。まじか。人には理解できないことなのか。みんな幸せに生きているということ? 楽しそうで羨ましい、いいな。

でもみんな違ってみんないいんだけど、死は誰にだって平等に訪れる。誰でも死ぬときがくるのに。なぜ、考えないのかがわからない。

さまざまな人に死生観を聞いてみた。

ライターという職業柄、取材や撮影でいろんな方々にお会いするのだが、その際、失礼を承知で「最近、死ぬことが怖いんです」と相談をする。もうこれをライフワークにしたいくらい。「死について聞いてみた。」という連載をやりたいくらい。以下、ここ最近聞いたいくつかの回答を一言ずつまとめていきたい。

◎30代の男性美容師(一番私と世代が近いが…)

「死について考えたことなんてありませんよ(笑)それまでどう生きるか?じゃないですか?(アッケラカン)」

◎40代の女医(取材で出会った方)

「死ぬときなんて、あ〜〜〜死ぬぅ〜〜って言ってたら終わりですよ。無になるんですから。怖いもへったくりもありません。今、死ぬのが怖いと思うのは、今が一番幸せだっていう証拠ですよ」

◎40代の主婦モデル(小学生男児2人のママ)

「死ぬのが怖いって今が一番幸せってことじゃないですか!人はいずれ必ず死にますよ。今まで楽しくやってきたから、今後も死ぬまで楽しくやっていけるんだろうな〜って考えてます。そんなことより今日とか明日のことを考えるので精一杯(笑)あと、そういうネガティブなこと考えていると老けちゃいますよ!マイナス、負のオーラを体の中に入れていると老けるんです」

◎50代の精神科医(私の主治医の意見)

「誰だって死ぬことは怖いもの。でも、それをずっと考えていたらきりがないでしょ? だからその怖いという考えを机の引き出しにしまっておくの。で、僕たちは机の上にあること(=今やるべきこと)をする、でいいんだよ。そうやって僕たちはいろんなことに折り合いをつけて、生きていくの」

◎70代の学者(御年76歳の大先輩へ恐縮ながらも聞いてみた)

「世の中は「死について考えて生きる人」と「死を考えずに生きる人」に二分される。あなたはこうやって死を考える機会を持てたということはすごいことなんだよ。だって、死を感じるということは生を精一杯まっとうできるからね。」「年をとるたびに、好きなことだけをしていきたいという気持ちになるよ

いろんな人の死生観を知り、ここ数ヶ月だんだん死への恐怖が薄れてきたように感じる。人の死への考え方はさまざま。ただし、なにかしら考えることで自分を騙し、恐怖から遠ざけ、落ち着けていると思う。だって基本的には誰だって死にたくないと思うから。

樹木希林の「体は借り物」論

ここに書ききれないが、本や映画もたくさん観て、死生観について考えてきた(機会があったら別のnoteにまとめようと思う)その中でももっとも私が出会ってよかったと思うのが映画「”樹木希林”を生きる」である。

樹木希林は、体は神様からの借り物だという。

雑巾みたいにボロボロにする必要はないけれど、使い切ることが大事だといっていた。「人生をまっとうする」と考えるのは、実感があまり沸かなかったけれど、「借り物の体をしっかり使い切るために生きる」と考えるとすんなり納得できるような気がしてきた。

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死ぬことが怖くなった当時、恐怖とともにこみ上げてきたのは、人間には与えられた時間が平等だということだった。それは誰にも変えることができない事実。今、なんとなく耳を流れる音楽を聞く1秒さえも過去。タイピングして一文字書いた瞬間もすぐに過去になる。そんな時の流れをとめられないことが悔しかった。その一分一秒さえも、私はきっちり使い切ることができるだろうか。

できれば、今日をきっかけに死が怖いと深く考え必要に恐れることはやめたいと思っている。今日これで終わりにしたい。死について考えるのはポケットにそっとしまっておきたい。

それでも。

思考がいったりきたりして不安定だ。栗山千明はもう35歳かあとか無駄に考えたり。親が還暦だとか。国民の親戚のおじさん、志村けんが死んだとか。昨日は志村けんのニュースを聞いて悲しすぎて動けなくなった。

老いの流れも止められないし、誰だって今日が一番若い。体は借り物、だからそれを使い切るために私はどう考えればいいんだろうか。つらくなくなるのだろうか。

椎名林檎と宮本浩次の「獣ゆく細道」から〜”命、だうせなら使い果たそうぜ”〜

でも、残念ながら答えはたぶん決まってる。結局、しょせん、「今を精一杯」とかありがちなキャッチコピーに答えは詰まっているんだ。100日後に死ぬワニにみんなが教えられたといっていた「今を生きる」とか「今を大切に」とかそういう思考で自分の心を押し付けるしか無い。

「今を精一杯生き抜く」を繰り返していけば、きっと樹木希林がいう「借り物の体をしっかり使い切るために生きる」につながるだろうか。なんだかきれいごとのように思えて、すんなりいかない。ひねくれている。

ふと、散歩しているときにふと思ったことがある。椎名林檎と宮本浩次の「獣ゆく細道」がAppleMusicから流れてきたタイミングのこと。「獣ゆく細道」の歌詞、”だうせ(どうせ)なら使い果たそうぜ”という宮本浩次の歌声が心に響いた。

無けなしの命がひとつ だうせなら使い果たさうぜ (略) 借りものの命がひとつ 厚かましく使い込むで返せ さあ貪れ笑ひ飛ばすのさ誰も通れぬ程狭き道をゆけ(一部引用・「獣ゆく細道」より)

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無けなし、借りもの。どうせなたら使い果たそう。厚かましく使い込んで返そう。なるほど。そう思うと、樹木希林の言っていた体は借り物論というのも、もっとしっくりくるんじゃないか?

そもそもなんで人間は生まれて死んでいくのか。そんな哲学的なこと考えたってなんだかよくわからない。「今を精一杯生きる」とか言われたって綺麗事過ぎてピンとこない。たまにはだらけたいし、思うようにいかないときにも精一杯生きようと思える前向きなエネルギー、あんまし残ってないし。

精一杯生きるのは抽象的すぎて難しいかもしれないけど、どうせなら自分の体を使い込むって思うのだったらできる気がする。厚かましくも使い込んでいき、死を迎え、返すべき人に体を返そう。多少の厚かましさを持ち合わせていいのなら、精一杯というか、それなりに一生懸命生きられるような気がする「どうせ」死ぬんなら、使い込んでやろう。使い込んでから、返すべき人に返したほうが、達成感があるんじゃない。

少しだが、私は死について、こう納得できた。

自分を、脳を騙しながら納得させる。生きる。

一時期は「死にたい」と思っていた自分が、ある日を堺に「死が怖い」となり、死について考え悩んだこの数ヶ月。私は境界性パーソナリティ障害の特徴《ゼロヒャク思考》を持つ人間で極端に考えすぎるところがあるけれど、そうじゃない人だってきっといつか死について考えるタイミングがくると思う。

先日、50代の編集者に「死について悩んでいるんです」と相談したら、こう言われた。

「そうね、そしたら一回とことん考えてみてもいいかもね」

自分の納得いくまで考えること。自分の思考のなかで落とし所を見つけ、自分を落ち着けること。それで、それを飲み込んで生きていくこと。死についてだけじゃなく、何事もとことん考えた先にしか、納得というものは来ないんじゃないだろうか。そして、これってたぶん、私がずっと悩んでる《ゼロヒャク思考》を緩和させることにつながるんじゃないかなと思う。

人間の脳は単純だ。自分がいい方向に考えたければそう考えるし、悪いことばっかり思えばとたんにネガティブ思考になる。思考は簡単に左右されるから、ときには自分の気持ちを落ち着けるために思考を騙すことも大切だと思う。

この前、ある70代の著者と会って話した。彼は、10年前に息子を亡くしている。死ぬのは怖くないか? と聞いてみたら、死んだら三途の川をわたった先に、先に死んだ息子や祖父母、友人などがいて、再会を果たす。それで、その後楽しく暮らすんだ、と笑顔で話していた。だから、死ぬのは怖くないと。天国とはいえないかもしれないけど、そういう世界はある、と彼は言った。そうじゃなきゃ、息子をなくしたのが悲しすぎて僕はやっていけなかったとも漏らした。

彼はそう考え、自分の脳を意図的に騙していた。自分が心地よくいられるように「思う」ことで、生きる。そんな道もあるのだ。

機会があれば今後もいろんな人の死生観を取材で聞いていきたいと思っている。死は誰しもに平等に訪れる現象だからこそ、死生観にそのひとの生き様が現れると思うから。考えひとつで生きやすさ、生きづらさは変わる。案外いろんな悩みはそんなシンプルな構造なのかもしれない。

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!