私は傷ついていたんだ(2024年10月の日記)
■10月6日
ちょっとしたことで友達に連絡したら、既読だけついて返事が来なかった。丸一日中これで悩んでしまう。私なにか悪いことしたかな、この文章だと勘違いされてしまうことがあるかな、というように悶々とした考えが堂々巡り。結局その苦しさから抜けられなくて、夜に自分から謝りの連絡を入れる(怒った事実もないのに、“怒らせてしまっていたらごめんなさい”という謎の前提で)すぐに大爆笑のラインの返事がきて、「ごめん、忘れてた」というだけだった。私は安心して泣いた。こういうひとつひとつのコミュニケーションに勝手につまづいてしまう。
相手はそこまで思っていないのに、こちらの勝手な思い込みが暴走する。本人よりも深く受け止め、相手の気持ちを読み取っているというよりも、自分の不安や恐れを相手に投影し、押し付けている。これはすべて愛着障害(不安型愛着スタイル)の症状であるという。
◼︎10月8日
夜に、本の整理をした。作ってきた本を見るのが前は嫌だった。編集者のキャリアを続けられなかった後悔のようなものが出てくるから。でも今日は、歩いてきた道を眺めるような気持ちになれた。客観的に、なんだこんなに頑張ってきたじゃんか、となった。今はもうその仕事をやらない。でも実績は消えない。自分を認めることができてきてる気がする。
■10月10日 木曜
夕方ごろ、応募しようとしていた仕事の応募先が募集を辞めていることを知り、パニックになる。履歴書のフォーマットにある性別欄を見て、男か女かどちらかを選ばなければならないということに気を病んでいたということもあって、涙が止まらなくなる。たまらずパートナーに連絡をして助けてもらう。「正しくあらねばならない」という自分の中の声が、私を苦しめていた。応募先がない→働けない→お金が稼げない→社会に不必要→死ね というような連鎖が頭に駆け巡った。しばらく泣いて泥のように眠る。
今ならわかる。自分を責める悪いやつが頭の中を支配していたと。このパニックは、自分の頭の中でだけ起こっていると。そして、このパニックは私のせいではなく、病気がそうさせているのだと。
■10月11日
『子どもを生きればおとなになれる』を読了する。愛着障害、アダルトチャイルドが取り組むワークが載っている本。特に架空で親に手紙を書いてみるというワークがよかった。その本の指南通りに書いてみたら、感情に振り回されず、親に伝えたいことが書けた。実際の親からも6月くらいに手紙をもらっていて、その返事をしなければならないのだけど、その準備としてもよかった。
夜は、近所の居酒屋のオープニングパーティーに参加した(パートナーの知り合い)ひさびさに知らない人としゃべるというイベントをやったのだけど、なかなか楽しくおしゃべりできたと思う。他人としゃべることを楽しいと思えているのは、すごく進歩だと思う。
■10月15日
朝、夢の中に父親が出てきて、勝手に私の予定を決められるという夢を見た。いつもそうだった。私の気持ちや感情を無視して勝手に決めて勝手に進むのが父親。私の感情は無視。そうやって数えきれないほど私は傷ついてきた。パートナーに散歩しながら話を聞いてもらって少し落ち着く。朝ジムに行き、再び散歩をしたりして気を紛らわしたけれど、落ち込みから戻ってこられず、ひたすら苦しみながら寝た。
新しい仕事の依頼がきた。うれしかったこともあった。
■10月16日
渋谷に行く仕事があり電車に乗った。渋谷を歩くといろんな人がいて、私みたいな人がいたっていいじゃないか、みたいな気分になって気が紛れた。気分がよかった。最寄りの一駅前で降りて公園を散歩したら、金木犀が何本も植えてあることに気付いた。遠回りしないとこの香りに気づけなかったなとおだやかな気持ちになった。日々一進一退である。
■10月19日
『子どもを生きればおとなになれる』によると、自分を認める力というものが、生きやすくなるために重要らしい。何か新しい行動ができたとか、自分の力が発見できたとか、日々のそういった些細なこと。
最近よかったことは、クライアントに電話するタイミングで躊躇なく電話できたこと。足をソファにぶつけて腫れて痛かったので、自分を優先して病院に行けたこと(20代前半、刃物で指をぱっくり切って血が止まらなかったのに打ち合わせに行って、クライアントにドン引きされたことがある)、居酒屋で自分が食べたいものを頼めるようになったこと。打ち合わせに行って、好きな編集者さんと雑談ができたこと。苦しくなったらメモをとり、「私は傷ついていたんだ」と子どもの頃の自分を慰められるようになれたこと。
■10月22日
境界性パーソナリティ障害の英語のハッシュタグをいろいろ見ていたら、世界中に私と同じ病気の人たちがいて安心した。#bpd とか # bpdthingsとかで調べると、発信している人たちに触れられる。
◼︎10月23日
好きなライターさんがいるのですが、その人の原稿を校正することになった。そしたらね、人の名前は適当だし、誤字脱字もするし、文章も下手・・・。ショック・・・。この人本も出しているくらいの人だけど、これは編集の人や校正者が頑張った結果なんだな〜と思った。
■10月24日
ここ最近は、ずっと原稿の仕事をしながら、校正の案件をこなす毎日。終わるかな、といつもドキドキしていたけれど、案外順調に進んでいる。心配は杞憂なんです。不安がよぎっても、誰しもが不安な気持ちになるし、不安になるのは当たり前!とあるがままに認められるようになってきた。
■10月25日
パートナーが連絡なしに、夜遅く帰ってきた。それに対し、私は感情に支配されずに、「連絡なしなのはひどい。夜遅く帰ってこられると寝ていても起こされるし嫌だ」と伝えることができた。このトラブル自体はぶっちゃけどうでもよくて、私の対応の変化にふたりで大絶賛する夜だった。昔の私だったら、何に怒っているのか自分で途中でわからなくなるくらいキレていた。「冷静に言葉で伝えてくれたのが本当にすごい」と言われて私もうれしくなった。みなさんはそんなこと?って思うかもしれないんですけど、ガチで数年前の私意味わからないくらいキレていたんですよ。田房永子の『キレる私をやめたい』そのままだった。今なら、なぜキレていたのか理由がわかる。自分の中の「傷ついた自分」が悲鳴をあげていたのだ。
最近は、怒ると何も生まれないということも、冷静に理解できるようになってきた。「すごいよ、ひさこちゃん。確実によくなってる」と言われて、それを実感した。
◼︎10月31日
世間はハロウィン。子供の頃天真爛漫に振る舞えなかった人は、大人になっても自分を出せなくなるというツイートを見かける。私が子どもの頃天真爛漫にふるまっていたといしたら、それは「天真爛漫にしていたほうが大人が喜ぶだろう」と思った上でのことだ。
TikTokにアップされている、アメリカの郊外の仮装した子どもたちがトリックオアトリートと行って家々をまわる動画にとても癒されている。