性を消す(7月23日の記)
こんなに生きた心地がしなくなること、最近あんまりなかったからなあ。朝からひとりでとりあえずパンケーキを焼き、あえて明るい人たちのYouTubeを流ながら、できるだけ負の方向に流されないようにしながら、そういえば暗い気持ちのときは書くとが良いんだよなあと思い出しパソコンを広げた。
「自分の傷つけ方」と何度も調べて、その度に出てくる「いのちの電話」の電話番号を薄目で、バカにしながらスクロールする。「不安ならすぐ電話を」と騒ぎまくるのに電話は出てくれないくせに。検索を続けると、「自傷行為はその場しのぎの最悪の方法です」と知らない県の医者が書いているコラムにあたる。おまえは最悪の方法にすがる道に追い詰められたことがないんだろう。ただ、私にも、最悪の方法をとるほど馬鹿ではないという吟次がある。結局深く傷つけたこともなく薄いカッター傷を繰り返すだけだし臆病なだけなのだ。全部全部ずっと前から中途半端で恥ずかしい。
性の要素をどうしても打ち消したいと昨日の出来事を思い出して決めた。胸もいらない。髪も。華奢な肩も。あなたの身体はあなたのものというキャッチコピーは私のような人間にはどうやら無意味で、身体のパーツをそれと逆方向に改造することを夢見ることで、少しでも安心しようとする。髪は、どうすればいいのかもうずっとわからず、1年も美容室に行っていない。性として見られない髪型にどう出逢えばいいのかわからない。胸のつぶれるインナーを着ても最近ではそれでも満足しない。棒になりたい。
それでも宣言しない限りは、私は親に、友達に、既婚の女だと思われ続けるのだということを昨日思い知った。ただにんげんでいたくて、親に会うときは女の要素を打ちけす格好をするようになった。スカートなんて履けない。ネイルもできない。だらしないね、化粧くらいしたらと使いたくもない化粧品をよこしてくる。笑えるくらい女扱いをしてくる。私を、手先が器用な若奥さんと思われている。
ただ、宣言したとて、きっと理解はされないだろうという絶望の観測がある。あの人たちの怪訝な顔を見てしまったから、またその顔をされるのだろうと思う。私の精神疾患にも向き合ってくれない両親だ。彼らの口から私の病名すら聞いたこともないくらいなのだ。私が宣言したとしてもまた変なことを言い出したと思われるだけだろう。非常に表面的に、時事問題の話題として「LGBTQの人たちの結婚する権利うんぬん」の話を、博識な家長の面をして、他人事として話す父を見て、今そのLGBTQの娘が目の前にいるという滑稽な状況を、あなたは予想だにしないだろうね。うちの玄関に飾ってあるレインボーフラッグとノンバイナリーフラッグを見て、あなたたちがもしかしたら察してくれるかもしれない、という淡すぎる期待をいだき続けている。カミングアウトする勇気はない。もっと若く自認していれば状況は変わったのか。
化粧は自分をケアしているような気分になるから昔から好きだけど私は、私の化粧の仕方がわからない。義妹にもらったDiorのコスメは私にはキラキラしすぎている。もっと自分らしくいられるようなコスメや方法を知りたいけど、探す気力も、探し方も、持っていない。そこまでの元気がいつもない。言い訳ばかりで吐き気がする。
「あなたがどんな格好をしていても、あなたはノンバイナリーだ」という考え方は素敵だしできれば骨の髄からそう思いたい。のに、女に見られ続けてきたキャリアのほうが長いから、自信がない。逆の方向へ自分を改造したくなる。服は何を着ればいいの。何を着たってボーイッシュっていうくせに。胸を切り裂いてしまいそう。
タトゥーを入れるなら1年悩めと言われたゴールが9月に迫っている。私の身体は私のものだという刻印が早くほしい。自分が異質な存在であると自分と周りにに知らせる印がほしい。そうしてやっと覚悟が決まる気がする。どの形なら、これからも大丈夫になれるか、まだまだ自分のことが、わからない。