頭のコックピットを支配(2月27日〜3月5日の日記)
■2月27日
オット氏の父親が入院。先日は義祖母も心筋梗塞で入院したので立て続けである。
私はなかなか原稿が書けず、なんて文章が下手なんだろうと自分を責めたり、きっと取材相手に怒られるんだろうなどを鬱々とする。夜はふるさと納税のホタテを解凍してたっぷり食べた。
■2月28日
原稿ができて相手に送りほっとする。散歩に行く。
人生に折り合いをつけていかなくちゃいけないんだと思った。お金を稼ぐ人生、友達がたくさんいる人生、丸の内に出勤していく人生、影響力を持った著名なライターになる人生、全部全部あきらめる。今の生活は自分が選んだもので、これ以上は望まない。たまに、勝手に入ってくる情報に翻弄されて気持ちが揺れたりするけれど、自分の人生に満足していくことのほうがきっと大事。
■3月1日
夜、原稿チェックが無事済む。修正のやりとりなどをするが、前回ほど苦ではない。取材対象の人が良いせいだな。二日前に言っていた「取材相手に怒られる」などということは一切なく杞憂だった。これでまた大丈夫だった経験を積みたい。
朝はネットをしながら、メールなど。お昼ごろ、あまりにも天気がいいのでまた外に散歩に行く。ジュースでも飲もうとコンビニに入ると、小学校高学年くらいの子たちのグループがグミ売り場を占領していた。私もグミが食べたかったけれど諦める。
午後は、勉強をすすめる。暑かったので久しぶりにアイスカフェラテをつくり、春の喜びを感じた。
上司が異動になったとのことで、オット氏撃沈気味。
■3月2日
母から「今年もひな祭りを迎えました❤」というLINE雛人形の写真とともに送られてきたこと、父から一方的に送られる「不定期家族通信」とやらで知りたくもない家族の近況を聞かされることなどが立て続けに起こり、なぜ私が家族と距離を取りたがっていることが本人らに伝わらないのかと憤った朝。涙が止まらなくなり、極端な行動に出るのは病気の症状だということは百も承知だが、恐ろしいほど突き放すLINEを父、母それぞれに送ってしまう。
女らしさを押し付けられることや、伝統的家族感が息苦しいことを伝えられたことはよかったのかもしれないが、やりすぎだ。薬は飲まなかった。でも、ここで伝えられなかったら一生我慢したままだったかもしれない。だからよかったのかもしれない。近くの人とぶつかりあった経験が少なすぎて、度合いがわからない。結局病気がよくなっているかどうかもわからない。
■3月3日
昨日は家族のことでエネルギーを消耗したため、一日中臥せっていた。
まだ体調が悪いが、楽しみにしていた「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を公開初日の夜観に行く。体調が悪くなければもっと没入して観られたかもしれない。アカデミー作品賞最有力候補という名に恥じぬ要素がたくさん入っていた名作だった。
「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」はカンフー映画でもあるのだけど、ふとオット氏に「(運動不足だから)カンフーでも習えば?」と言ったところ本当に来週体験教室に行くらしい。
■3月4日
義弟とオット氏と三人で、東横線沿いの名店イタリアンに行く。義弟とは食べ物の話をするのが楽しい。私的観測だが、食べ物の話と動物の話が好きな人には悪い人はいない。人見知りで人と会うのが億劫な人間なのに、楽しいという感想のままランチを終えた。そのまま近くの温泉に行き、帰りはぎょうざの満洲でビールとチャーハンを食べた。
■3月5日
日曜日、オット氏はゴルフの打ちっぱなしへ行ったので、ゆっくり起きて宅トレをし、本を読んだりして過ごす。今日からピルの休薬なのでいつ股から血が出てくるのかとそわそわする。
夕方買い物から帰宅したら、予告なくオット氏が帰宅しておりそのショックからかなり取り乱してしまう。些細なことでパニックになる理由が自分でも本当にわからないが、たぶん想像と違うことが起こるとそれに対応できなくなる(激しく)ということだと思う。
頭の中にコックピットがあるとしたら、出てきた怒りの感情にいきなりハイジャックされた気分。でも、「コックピットを支配された状態でも相手に謝ることはできるんだよ」とオット氏に諭され、素直に謝る。一歩前進。