ボクの住む町は

東京のしいて言えば西側に住んでいる。
東京の大動脈と呼ばれる路線の駅から私鉄に乗り換え、数駅先が最寄り駅。
有名商店街や大学のある駅に挟まれた、静かと言えば聞こえはいいけれど、
東京というイメージからはほど遠い地味な駅。

越してきた頃には、有名デパートの高級スーパーがあったり、
いろいろな店が並んでいたけれど殆どが姿を消し、その代わりに、
ブーランジェリーというオシャレなパン屋、動物病院、コーヒー豆店、
ネイルサロンと、店ではなくショップと呼ばねばいけないような店が
増えました。
近頃はヒーリングバーバー(?)とウィッグ屋という、なかなかパンチの
ある新参者もいます。

これだけ店がなくなっても、線路が地下に潜って出来た駅裏の空き地に
私鉄の系列スーパーがどんと構えているので、生活に不便はありません。
つまり、町の風情や人情、旨い物はなくなったけれど、どの年代の人にも、新しく入ってきた人にも、便利な町になったということでしょう。

駅の東西南北どちらにも古くからの住宅街が拡がるこの町は、
年寄りが多く住むこともあり、おっとりという言葉がぴったりの
柔らかな空気が流れ、大きめの庭に植えられた木や花々が、
季節なりの風景を楽しませてくれる、とてもお気に入りの町です。

多くの町に春の訪れを告げるのは、梅や桜ということになるのでしょうが、
ボクにとって、この町に春を連れてくるのは白い木蓮です。

道沿いのお宅や脇に入ったお宅の庭など、知る限りで数本の白木蓮があり、梅が終わる頃には蕾が大きく膨らんで、今か今かとその時を待っています。
あっという間に蕾は割れ、プリマがステージに上がったかのように一斉に
白い花が開き、およそ一週間、白木蓮がこのエリアの主役となるのです。

しかしそんな白木蓮の絶頂はほんのわずか。
一週間を越えると、権勢を欲しいままにしてきた花はボロボロと落ち、
踏まれ、自転車に潰され、薄汚れ、無残な姿だけが残ります。

町を桜色に染めながら散っていく桜のような劇的な美しさとは違い、
ポトリと花が落ちる椿にも通じるこの木蓮の散り姿は、
いかにも日本らしい無情さ漂う「もののあはれ」の美しさと思えるのです。

こんな静かな町でも、商店街が少しづつ変わっていくように、
経年変化とともに町の風景は変わっていきます。

そんな中、木蓮も次第に追いやられる運命のようで、
お年寄りの家では、道に散った花びらの掃除が大変で切られたり、
家の建て直しや売却で切られたりと、
ここ数年で3〜4本の木蓮が姿を消していきました。
桜なら保存運動なんてこともあるかもしれませんが、
木蓮は静かに消えていくだけのようです。
誰が悪いということでもありません。これも時の流れです。

しかしそれでも木蓮は、また来年も春を告げてくれることでしょう。
きっと、少しだけ、風に、逆らいながら。


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