散歩していてふと気づいたのです。 蕎麦屋さんがなくなっていたのです。 この町に住んで25年、常連でもなく、ほんの数度入っただけだけど 前を通るとたまに、出汁とかえしのいい香りがした店。 とてもやさしそうな、おじいさんとおばあさん二人でやっている、 東京なら、どの町にもあるまあ普通の蕎麦屋でした。 普通の町場の蕎麦屋だからさして特長はありません。 しかし、普通の蕎麦屋だからこそ、通りすがりの人が、 ちょっと立ち寄って蕎麦をたぐる。そういう使い方のできる店でした。 一、二年
わが家の給湯器の操作パネルの上の今日の主役です。 まあ見てお分かりでしょうガチャのフィギュアです。 年寄りの一人暮らしの部屋に、 こんなかわいいフィギュアは不思議でしょうね。 私も不思議です。 これまでフィギュアだけでなく、可愛らしいものとはまったく 無縁で過ごしてきた身にはまさに青天の霹靂。 実はガチャ自体もこの二回の経験しかないのですから、 このフィギュアとの出会いは間違いなく「特別」だったと思いますし、 実際このふたりは殺風景な部屋に柔らかな空気を放ってくれています
さて今回も、僕が出会った大食漢の話しですが、大食いの話しではなく、 ほんの僅かな時間でしたが楽しい時を過ごさせてくれた、 大食漢で有名だったレジェンドのお話しです。 全3回の3回目 3,さらば愛しきレジェンド 最後の登場人物は、テレビで良く見る食レポなどをする「デブタレ」と 呼ばれる太ったタレントの先駆けと言われている方で、 今でも「デプタレ」の人たちからレジェンドと呼ばれている人のお話です。 そのレジェンドが残した歴史に残る名言があります。 「カレーは飲み物」 きっと
僕は年齢の割には良く食べる方だ。 しかしこの頃年相応に食が細くなってきた。 またアレルギーが出たことによって、食べられるものが限られたことで 食への興味がかなりダウンしてきました。 それでもドンブリ飯をガツガツ喰うという、青春の1ページを夢見る日も あります。 いくつになっても男は、若き日を引きずっているのです。 さて今回も、僕が出会った大食漢の話しです。 愛すべき英雄の話しをお楽しみください。 全3回の2回目 2,ミスター大丈夫ですか? 夜中の牛丼屋での衝撃から数年後
僕は年齢の割には良く食べる方と言われます。 でも寄る年波には抗うことは出来ず、医者の勧めもあり、 腹八分を心掛けようと必死に取り組んでいます。 そんな僕でも頭の中の自分はまだ若く、大盛りのどんぶり飯を ガツガツと食べる夢を見ることがありますが、 実際は、牛丼屋で大盛りをためらった時のプライド崩壊、 焼肉で締めにライスが食べたくても入らない時に湧き上がる諦めの境地、 おにぎりを三個買ったのに、一個残しで満腹になった時の敗北感など、 思いきり食べられた若き日を引きずりながらも、現
♬化粧の後の鏡の前で、いつもあなたの手を借りた♬ 高齢者という線引きをされた方はほとんどの人が知っている 布施明さんが唄った「そっとおやすみ」の冒頭のフレーズです。 昭和45年(1970年)の曲ですから、もう52年も前の曲なんですね。 多分、今から37,8年前くらいでしょうか。 遊び盛りのボクはよく二丁目に呑みに行っていました。 二丁目の前に“新宿”という地名が付く二丁目です。 二丁目と言うのはどこにでもある普通の地番ですが、その前に“新宿”の 二文字がつくと、突如、町
その居酒屋は駅から離れた静かな住宅街にある。 ボクの住む駅から徒歩でおよそ20分。 わが家からはだいたい15分。 となりの下町的な駅からなら多分16,7分といった感じの距離感。 わが駅から都心へと向かうバス通りを行き、とある角で覗くと ぼんやり光る赤ちょうちんが見える。そこが私が愛する居酒屋いや酒場だ。 今では住宅街にポツンと一軒あるだけだけど、話では、昔、通りを入った 所に銭湯があり、それを中心に電気屋、蕎麦屋、パン屋、和菓子屋など 数軒の店が集まって出来た一角だったそ
ふと気づくと、駅前のコンビニが閉店していた。 4,5日前もそこで買い物をしていたのだけれど、店はもうなかった。 ここのおにぎりがスキだった。けど、周辺にはこのチェーンはないので、 食べる機会が相当失われることになる。 不思議なことに、ボクを包んでいたのは、 驚きでもなく、淋しさや悲しさでもなく、喪失感でした。 ボクがこの町に引っ越してきた約25年前、すでにコンビニはありました。 新しい町に来て、あって安心するのはコンビニとスーパー、そして病院が、 間違いなく野球でいうクリー
グルテン不耐症と乳成分、卵、蟹のアレルギーが判明して早三年。 これまでスキなだけ食べ、呑んできた老体をそろそろ労りなさいと、 体にやさしい食事へスイッチさせてくれたのは、神からのギフト でした。 よく、そんなアレルギーで「何食べてんの?」と良く聴かれるので、 今回はキレイでも美しくもない独居老人の食事の一部を紹介します。 【注意!】 これはグルテンフリーやアレルギー対応の食事の工夫などという 素敵な食卓を書くものではありません。キレイとは真反対に位置する、 独居老人の粗末
先日はボクの住む町の隣の大学の隣町を紹介しました。 今日は逆の隣町を。 窓の外は秋雨の重たい雲が段々になって水墨画のよう。 今日書こうとしているのは、こんな天気の日には書きたくない町。 なぜなら・・・ここはボクにとっての心のサンクチュアリであり、 どんな時でも元気に、そして明るくしてくれる町だからです。 今の町に越してきて約二十五年。 電車で一駅。歩いて十五分のこの町はずっと通過する町でした。 電車で下車することもなく、散歩の途中で最短距離を通過するだけ、 そういう位置づ
先日はボクの住む町を紹介しました。 今日は隣町を。 隣といっても、上りと下りがあります。 上りの町は庶民的な小さいエリアにいろんな店がある下町テイストな町。 そして下りは駅前に有名大学がある町。 今日は大学のある町を。 (ここでの町とは住居表示での町ではなく、一定のエリアを表して 町という言葉を使っています。) この町は駅から二本の商店街が平行して通っていて、 お店の多いメインの商店街が幹線道路に突き当たるともうすぐわが家。 そういつもどん突きから商店街に入り、買い物
He is back. 『孤独のグルメ・シーズン10』がまもなく始まります。 そうあの井之頭五郎さんが帰ってくるのです。 もう制作されないのでは?という噂が流れたりで やきもきしてきたファンとしてはうれしい限りです。 そんな孤独のグルメですが、 実はここ2,3シーズンはちゃんと最後まで観ていません。 観るのは五郎さんに食事が提供される所まで、その後は観ていないのです。 心の声とともに展開される五郎さんの食べシーンは 「飯テロ」とか「夜食テロ」と呼ばれ、誰もが楽しみにしつつ
東京のしいて言えば西側に住んでいる。 東京の大動脈と呼ばれる路線の駅から私鉄に乗り換え、数駅先が最寄り駅。 有名商店街や大学のある駅に挟まれた、静かと言えば聞こえはいいけれど、 東京というイメージからはほど遠い地味な駅。 越してきた頃には、有名デパートの高級スーパーがあったり、 いろいろな店が並んでいたけれど殆どが姿を消し、その代わりに、 ブーランジェリーというオシャレなパン屋、動物病院、コーヒー豆店、 ネイルサロンと、店ではなくショップと呼ばねばいけないような店が 増えま
呆然とする僕と、愛想笑いの僕がいた。 落ち着こうと腕組みする僕と、大丈夫と何度も呟く僕もいた。 グルテンフリー生活を続けたいと告げようと ドクターを訪ねた僕の5分後はだいたいこんな感じでした。 「申し訳ないですが、食べられないものがまた増えちゃいました」 ドクターは控えめの笑顔で、何でもないような軽さでそう言う。 前回、念のためにと行ったアレルギー検査でいくつかの食品が 引っかかったそうで、乳製品全般、卵の白身、蟹、一部の豆類が NGになったという通告でした。 でも上
スキなものを、スキなだけ食い、飲みたいだけ飲み、 隙あれば、また食っては飲むという人生を過ごしてきました。 そんな暴飲暴食をくり返してきた昔の若者たちに訪れるのは、 長年の酷使による内臓の悲鳴や断末魔が普通なのですが ボクの変調は違う形で現れたようでした。 それは一昨年の夏、20数年にわたって苦しんできた両足首の不調、 その症状が出るのが年に一度から、半年に一度となり、 三月に一度になった時のかかりつけ医の一言からでした。 「グルテンが悪さしている気がするんですよねぇ。 試
自己紹介 見た目が大げさな前期高齢者。 後輩からは「身体が大きく、声が大きく、態度もデカイ」と言われるが、 それが尊敬や親愛の情から来ているものかは未解明。 妻は7年前に亡くなり、子供、兄弟なし、両親没で必然的ひとり暮らし。 生まれは東京。埼玉→東京→千葉→東京と東京周辺を彷徨ってきた。 「川向こう(神奈川)を押さえれば首都圏制覇」とほくそ笑むことがある。 60を過ぎて突然判明した食物アレルギーの影響か、コロナ禍の外食抑制か、食への興味が薄れかけている。 しかしそれでも痩せな